後悔。

親から仕送りをもらって、一人暮らしをしている。他のひきこもりと違って、かなりストレスの少ない生活を送らせてもらっている。他のひきこもりたちは、親と同居している訳であり、常に叱責のリスクに晒されている。一人暮らしの私には、それがない。ひきこもりとしては、かなり恵まれていると思う。

だが、それだけに、罪悪感も大きい。他のひきこもりと比べて、私は数倍の経済的負担を与えているのであり、それはすなわち、他のひきこもりより数倍の親不孝を与えていることに他ならない。

今の生活を送っていて、親が死んだ時、強烈な後悔が襲ってくることを、私は知っている。

「やっぱり親と同居していれば良かった」

「もっと親と接しておくべきだった」

そんな後悔が襲ってくることを、私はすでに知っている。いずれ強烈な後悔に襲われることを知っていながら、私は現在の快適さを優先させている。

親が死んだら、まず間違いなく、これまでかけていた経済的負担を責めるだろう。

「自分が一人暮らしのひきこもりだったために、親を死なせてしまった!」

そんな後悔に、必ずや襲われることであろう。親と同居していれば、それだけ非難のリスクはあるが、「親との思い出がたくさんある」というメリットもある。「可能な限り、親にかける迷惑を軽減させた」という、それなりの満足感もある(と思う)。

私にはそれがない。親に十数万円の仕送りを毎月してもらい、ストレスが少なく、快適な生活を送らせてもらっている。それは明らかに将来生じる後悔を増幅させる。親に迷惑をかければかけるほど、後悔と自責の念は増幅するのだ。

「生きているだけでも親孝行」

そんな境地に立てれば良いのだけど、私の場合は度が過ぎている。ひきこもっているために、私は親の人生を狂わせてしまった。親がどう思っているのか知らないが、間違いなく私の存在は家族全員にマイナスに作用している。

「自分よりもっと親不孝な人もいる」

そう思って自分を慰めたいのだけど、私より親不孝な人に出会ったことがない。およそ考え得る限りで、最悪の生活をしている。

自分より下はいないだろうか。

そんなふうにして、どこかに自分以下の人間を見つけようとしている自分がいる。

そんなふうにしか、自分を慰められない自分が、すごく悲しい。

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