「あたしが守ってあげる」

平日だが、恋人とデートをした。途中、電車を乗り換える際に、通行人と肩が痛烈にぶつかった。ぶつかったのは中年の男だったのだが、私に一瞥もくれることなく、どこかへ行ってしまった。それが猛烈に腹立たしかった。

「あいつ、ぶつかっておいて、ごめんなさいの一言も言わないんだ! 本当に腹が立つよ!」

そう言うと、彼女は「大丈夫?」と気を遣ってくれたが、それでも怒っている私を見て、ニッコリ笑ってこう言った。

「大丈夫よ、淳也くん。何があっても、あたしが守ってあげるから」

嬉しかった。本当に嬉しかった。

私は、母親から守ってもらったという記憶がない。父は全力で私のことを守ってくれたが、母が自らを盾にして私を守ってくれたことは、一度としてなかった。父親に守られるのと、母親に守られるのとでは、その重みが違う。子供にとって最大の味方は母親であり、その「最大の味方」から充分に守られたかどうかが、その人の性格を決める(と思っている)。

彼女が「あたしが守ってあげる」と言ってくれた時、私は、言いようのない安堵感を感じた。なんだか、柔らかくて温かい毛布に包まれて、絶対に安全な所へ避難できたかのような、とても穏やかな気持ちになったのだ。

彼女は私より身体が小さく、体力もない。そんな彼女が、身体の大きい私に向かって「守ってあげる」と言ってくれたことが、妙に嬉しかった。情けない話のように聞こえるかもしれないけど、男性にとって、女性から「守ってあげる」と言ってもらえることは、とても名誉なことなのだ。「愛している」という言葉より、はるかに強力な愛のメッセージである。

どんな人にも、「母親から守られたい」という基本的な欲求がある。成人するまで、ついに私はその基本的欲求を満たすことができなかった。だが、中年になって、私を庇護してくれる女性ができた。母親でもなんでもない、ただの他人だけれど、その人は私を守ってくれる人である。そんな人を獲得できたということは、私の人生も「最悪」ではなかったのかもしれない。

「あたしが守ってあげる」

あの言葉、もっと何度も聞きたいな。

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