すぐに顔を覚えられる。

近所のカフェに行ったら、女の子の店員さんから、やけに親しげに話しかけられてしまった。私も男性だから、それはそれで嬉しいことなのだけれど、一つひっかかることがあった。私は、その女の子とあまり面識がないということだ。

そのカフェにはしばしば行くので、顔見知りの店員さんもいる。そんな人とは、「今日は寒いですね」などと、ちょっとした会話をかわすのだが、今回話しかけてきた女の子とは、実は一度か二度しか接客してもらっていないのだ。

だが、彼女のほうは、私のことをきちんと認識していた。以前に私がこの店に来たことがあり、しかも前回カフェラテを注文したことも、きちんと覚えていた。

それが、妙に心にひっかかった。

「自分の顔が醜いから、店員さんの心に強く印象づけられたのではないか」

という懸念を感じたのだ。

私は自分の容貌にまったく自信がない。少年期から青年期にかけて、私は自分が「世界中で最も醜い男」だと思っていた。これは嘘偽りのない心理である。電車に乗ると、乗客全員が私のことを注目しているように感じられたし、私が車両に乗ると、乗客たちがソワソワし出してみんな降りていくので、自分のことを化け物ではないかと思ったこともある。

正直、私は自分の顔面を身体的奇形だと思っていた。それほど、自分の顔に関して、否定的な自己認識があった。だから、「顔を覚えられる」ということに、強い抵抗があるのだ。「印象に残るほど醜い顔なんだ」と、残酷な現実を突きつけられるような気がして、耐えられなくなってくるのだ。

また、ひきこもっているという、後ろめたさも大いに関与している。誰かの記憶に残るということが、ひきこもりという自分のやましい身元が関係しているような気がして、強い不安を感じさせるのだ。「平日にフラついてるから覚えられたのではないか」、「中年なのにスーツを着ていないから覚えられたのではないか」、そんな疑念をいつも抱えているので、正直、本当に疲れる。

美男子だから女の子の印象に残ったと信じたいのだけれど、この歳にもなれば、自分の顔が整っていないことも充分分かっている。なかには「さっきお店の前を通り過ぎましたね」なんていう店員さんもいて、そんなことを言われると、

「前を通り過ぎただけで覚えられるなんて、自分は本当に醜いんだ」

と悲しくなる。それほどまでに、私は日々の行動を後ろめたく思っており、それほどまでに自分に対する肯定感が欠落しているのだ。

何回お店に通っても、まったく顔を覚えられない人もいる。そんな人が、私には羨ましく感じられる。

その人は、印象に残らないほど「普通の顔」をしているのだから。

2 Responses to “すぐに顔を覚えられる。”

  1. 憂愛 Says:

    一緒ですね・・。
    私は女性にしては珍しく一人でレストランやら飲食店など平気で入っていけるタイプですが、やたら知らない店員に「お久しぶりですね」とか「いつもありがとうございます。」とか声をかけられます(そうなると居心地が悪くなり、もうその店には顔を出せなくなります)

    私の顔が覚えられたのは醜いとか変な顔をしていたからなのか、それともただ単に女性一人ということで異質な客と思われていたのか・・・。きっと普通の人なら「覚えててくれたんだ!嬉しい♪」とか感じるのでしょうが、容姿コンプレックスの酷い私は「もしや私が帰ってから、店員同士で、(あの女気持ち悪いよね〜等)陰口叩かれてるのでは・・・」とか、ひねくれた考えをしてしまいます。

  2. 二条淳也 Says:

    憂愛さん

    飲食店に一人で行ける女性は、たしかに珍しいですね。「声をかけられると居心地が悪くなり、もう顔を出せない」という心理は、とてもよく理解できます。私もそうなんです。

    「ひねくれている」と自分で分かりつつも、その思考回路が治せない。私もそうなので、そんな自分がとてもイヤになります。

    店員さんの「笑顔」にすら、なんらかの「悪意」を感じ取ってしまうので、本当に自分がイヤになります。

    かといって、ぶっきらぼうな店員さんだと、それはそれで傷つくのですが。

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