若すぎて雇えません。
ひきこもりにしては珍しいのかもしれないけれど、私は少年期から働きたくて仕方なかった。働くことに、強い関心を持っていた。
高校に入学すると、すぐにアルバイトに応募した。高校一年生、十五歳の時である。映画館の清掃の仕事だったのだが、担当者から電話口で、
「十五歳の子では、若すぎて雇えません。もう少し年をとってから来て下さい」
と言われてしまった。それほど、働くことに強い関心があった。
世の中のひきこもりがどうなのか、私にはよく分からない。少年期から働くことが怖くて仕方ないという人もいるだろうし、私のように、働くことになんら抵抗がなかったという人もいるだろう。
私の考えでは、ひきこもりは誰にでもなり得る可能性があると思っている。実際、週末まで働くと、土日の二日間は誰とも会わずに自宅でゴロゴロしたいという人はいくらでもいる。また、大勢の前で叱責されたり、人間関係に疲れたりすると、しばらく働く気が起きないということは、誰にでも起こりうる。
「土日ぐらいは、一人きりで疲れを癒したい」
「人間関係でイヤなことがあったから、一ヶ月ほど一人にさせて欲しい」
そんな想いの延長線上に、ひきこもりはあるのではないか。
「ひきこもりは誰にでも起こりうる。ゆえに自分は異常ではない」
などと、自分を正当化したいのではない。働くことに疲れて、しばらく一人になろうとするのは、とても自然なことだと言いたいのだ。
逆に、ひきこもりになりにくい人もいる。「人と接することで心の傷を癒す人」というのは、かなりひきこもりになりにくいだろう。だが、私はそうではなかった。心が疲れると、とにかく一人きりになろうとした。電車に五時間乗って、高原の牧場へ行き、ずっと山の景色を眺めていることもあったし、浜辺へ行って、一日中、ぼんやり海を見ていることもあった。そのような過ごし方が、私にとっての「心の癒しかた」だった。
私には、「一人きりになる」という方法でしか、心の傷を癒せなかった。友人と酒を飲んでも、女性とカラオケに行っても、神経が疲れるだけであり、傷ついた心がまったく回復しない。「誰とも接しない」という方法でしか、私の心は回復しないのだ。
「さあ、働くぞ!」
希望に燃えて、アルバイトに応募した十五歳の頃、私はまさか自分がひきこもるとは思ってもみなかった。だが、今になって思うと、ひきこもりはどんな人にも起こりうると思わざるを得ない。
十五歳から働こうとした人間でさえ、自室に籠もるのだから……。