「謝りたくない」親たちへ。

息子や娘が長年ひきこもって、とても困っている。そんな親御さんは、とても多い。ひきこもり期間が長期化すれば、それだけ親も子も年をとっているわけで、問題の解決は急務になる。

だが、どうも、あまり解決に乗り気じゃない親がいる。「子供に謝りたくない」という親だ。

ひきこもっている子供は、気が向いたとき、自分の内面を語ることがある。その内容は、

「あの時、父さんは俺の味方になってくれなかった」

「あの時、母さんは私を理解してくれなかった」

という非難の言葉である。こんな言葉を聞いて、「私が悪かった。ごめんね」と謝る親もいるが、なかには「絶対に謝らない!」という親もいる。この姿勢が、私にはまったく理解できない。

何度も書いたが、ひきこもり問題は、親子問題である。子供がひきこもる背景には、多くの場合、親の無理解と愛情の欠如が関与している。私はひきこもり専門家でもなんでもないが、私の見た感じではそうだ。

ところが、いざそれを指摘されても「俺は悪くない!」と謝らない親がいる。多くの場合、父親だ。

私には疑問に思える。謝ることによって、親は何を失うのか。親としてのプライドか? 親の威厳か? あるいは意地か? 

いつも思うのだが、「こっちも悪かった」と謝ることによって、ひきこもり問題が改善するのなら、それはとても安いものだと思う。ひきこもるような情けない子供に謝りたくない、という親の気持ちも分からないでもないが、そのような意地は恐らく、マイナスに働く。一番大事なのは、親の意地ではなく、我が子の自立ではないのか。

「どうしても謝りたくない!」

という親は、それはそれでいいのかもしれない。「謝らない、謝らない」と言いながら、親も子も、どんどん年をとっていけば良いと思う。謝罪を拒否することによって、自尊心は守れるかもしれないが、その代償として、悲しい結末を招くかもしれないというのに。

「謝りたくない」と言っているうちは、まだ「余裕」があるのかもしれない。だが、その「余裕」は、加齢と共にどんどん失われていく。謝らないことによって、考え得る最悪の結末を招くかもしれない。

ひきこもりの子を持つ親御さん。

あなたは、それでも謝りたくないですか?

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