妙な自信。

ブログなどで、わりと率直な胸の内を書いている。なかには、「よくこんなこと書けるなあ」と驚く方もいるかもしれない。

私には、「女性から愛されている」という根源的な自信がある。イヤな言い方に聞こえるかもしれないけれど、異性から徹底的に愛されているという自信があると、恥ずかしいことも書けるものなのだ。

私のブログは、読んでいて、あまり楽しいものではない(と思う)。幼少期のつらい体験や、自殺に関することなど、およそ気分が明るくなるものではない。こんなことばかり書いていれば、私のことを知っている人は、間違いなく私に低い評価を与えるだろう。なかには軽蔑したり冷笑したりする人もいるかもしれない。

だが、そんなものを意に介さない自分がいる。ブログに書いてあることは、私に関する情けない情報ばかりであり、そのどれもが私の名誉を汚すものばかりであるが、私はほとんどそれを気にしていない。周囲の人からどんなに軽蔑されても、自分のことを本心から愛してくれる人がいるという自信と安心感が、周囲の軽蔑を陳腐化させるのだ。

私には今年、年賀状が一通も来なかった(正確には美容院から一通来たが)。仕事でも失敗と撤退を繰り返しており、誇れるようなものはなにもない。他者から嘲笑されるような属性しか、私は身に着けていない。

それでもなお、私が堂々とこの「情けない個人情報」を書けるのは、「本当に愛してくれる人」がいるからである。父も私のことを本当に愛してくれているが、これは実の親だから、ある意味当然かもしれない。だが、まったくの他人から徹底的に愛されると、人間は妙な自信を持つことがある。百人に嫌われても、百人から軽蔑されても、一人の女性から深く愛されていると、男というのは、妙な自信を獲得するものなのだ。

この「妙な自信」は、就労に対してもプラスに作用した。「世の中には孤独な人も沢山いる」と思うと、自分が「最底辺」ではないような気がして、ものごとに積極的になれるのだ。

もっとも、私は今だってひきこもりである。一週間の労働時間は極めて少なく、稼ぐ金額は微々たるものである。それでも、「死ぬまで一生働かない」と断言していた頃に比べれば、かなり前進したと思うのであり、その前進を支えたのは、他ならない「異性愛」なのだ。

ひきこもりの皆さんにも、素敵な恋人が現れることを、切に願っている。

ひきこもりから脱出するために必要なのは、やはり「愛」だと思うのだ。

4 Responses to “妙な自信。”

  1. 憂愛 Says:

    私も最近立て続けに暗い内容のブログばかり更新してるけど、周りの評価下げてるのかちょっと心配ですw

    私個人の意見ですが二条さんのブログを読んで、軽蔑するどころか親近感を覚えたり好感を持っていますよ(逆にいつも前向きで楽しい内容のブログは胡散臭さを感じてしまいます)
    まあ、中にはそんな人もいるということを頭に入れておいて下さい(笑)

  2. 二条淳也 Says:

    憂愛さん

    憂愛さんのブログ、読んでいますが、決して不愉快なものではないですよ。本人が思っているほど、評価の下落というのはないのかもしれませんね。

    私のブログを読んで、親近感を覚えるとのこと。とても意外に感じ、そして嬉しく感じました。

    憂愛さんがコメントくれることによって、私も勇気付けられています。

    これからも、よろしくお願いします。

  3. 低学歴中年ひきこもり Says:

    恋人とは、週何回セックスしてるんですか?

    そちらの方も率直に書いていただければ。 

  4. 二条淳也 Says:

    低学歴中年ひきこもりさん

    そのようなことは書かないと思います。

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