ひきこもりのクリスマス。

クリスマスイブの日に、恋人と会った。一日楽しく遊び、それなりの食事をした。この日に遣った金額、しめて一万七千円。

クリスマスに恋人とデートできるのだから、ひきこもりとしては、かなり恵まれたほうだと思うのだが、幸福の実感があまりない。当然だろう。遊んだお金は、額に汗して働いた父が出したのだから。

ひきこもりの人たちは、ほとんどが、自室でひっそりクリスマスを迎えたことだと思う。それをバカにするつもりは全くない。彼らに優越感のようなものも、全く感じてない。彼らは、ひきこもりとして、実に正しい生活を送ったのだ。

収入がないなら、ないなりの生活を送る。それはごく当然のことだ。月収百万円の人は派手に遊ぶだろうし、月収十二万円の人は、大人しくしているだろう。

だが、私はそうではなかった。ほとんど働いていないのに、一日で一万七千円も遣ってしまったのだ。およそひきこもりの遣いかたではない。月収三十万円の人と同じ遣いかたをしている。これが、なんだか許されないことのように感じたのだ。

それとは別に、恋人に二万円相当のバッグをプレゼントしている。これまた、父がくれた大切なお金である。もはや常軌を逸しているとしか言いようがない。来月には収入が途絶え、アパートを放り出されるかもしれないという男のすることではない。

人には、それに見合ったお金の遣いかたというのがある。いくらクリスマスだって、私のお金の遣いかたは、「分相応」とはいえない。

恋人と一緒にいるあいだ、私はひたすら罪悪感を感じていた。

(今こうしているあいだも、父さんは働いているんだなあ)

と思うと、自分が生きている価値がないことが、ハッキリと分かった。クリスマスの日に私がするべきことは、恋人と手を繋ぐことではなく、汗を流して働くことだったのだ。

父は、私がどんなお金の遣いかたをしても、絶対に怒らない。恋人とのクリスマスに四万円近くを遣ったことを知っても、ニコニコ笑っているだけだろう。だからこそ、よけいに苦しいのだ。だからこそ、よけいに自分に腹が立つのだ。

クリスマスの日、私があのような過ごしかたをしたのは、正しかったのだろうか。

未だに疑問に思っている。

2 Responses to “ひきこもりのクリスマス。”

  1. hisa Says:

    はじめまして。
    いつも読ませていただいております。
    私は家出人です。もう、家を出てからの人生のほうが長くなりました。
    家出と引きこもりは環境の違いこそあれ、家族の問題としては共通の部分もあるように思っています。

    私は恋人とクリスマスを過ごすため、秋から少しずつ小銭を貯金しました。
    数千円ですが、外で食事をするくらいは貯まりました。
    でも、恋人はそのお金を自分のためだけに使ってしまいました。

    仕方が無いので、食事は手料理を用意しました。ケーキも用意しました。
    それでも、彼は家族と一緒にクリスマスを過ごせなかったことが寂しいと言いました。

    あなたのクリスマスは正しかった、と私は思います。

  2. 二条淳也 Says:

    hisaさん

    はじめまして、こんにちは。

    ブログ、読んで頂いて、ありがとうございます。

    hisaさんは、家出をされたのですか。家出をされた方の気持ちというのは、私には分かりませんが、たしかに家族の問題だと思います。

    恋人とクリスマスを過ごすために、数千円を貯金したという文章、とても微笑ましく感じました。そして、手料理とケーキを用意したhisaさんの行為に、とても心温まるものを感じました。恋人さんは、hisaさんを彼女にできて、とても幸福だと思います。

    私のクリスマスの過ごし方が正しかったのかどうか、今でも分かりませんが、あのようにしか過ごせなかったのだと思っています。

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