仕事ごときに。

生活の大半が、労働に占められるということに、どうしても納得できない。八時間働くとしても、休憩時間や通勤時間を入れれば、およそ半日は労働に占められる。睡眠時間を考慮すると、私生活を楽しむ時間はほとんどない。このような状況が、私には耐え難いことのように感じられる。

私がひきこもっているのは、「楽をしたい」という欲求からではない。「仕事ごときに人生を支配されてたまるか」という、一人の人間としての「意地」からである。仕事ごときに全生活を支配されることに、強い怒りを感じる。およそ一般人には理解しがたい発想だろうが、私はこれが完全に理解不可能な考えだとは思わない。自分の時間がないということは、誰にとってもつらいことだと思うからだ。

私には、「仕事は重要」だという概念が、そもそもない。仕事など、取るに足らないものであり、正直、どうでもいいものである。女性は、「仕事に打ち込む男」に強い好感を持つようだが、仕事に打ち込む代償として、失うものはあまりにも大きすぎる。

自宅と職場の往復だけを毎日していると、「自分は何のために生きているのだろう?」という疑問を感じるようになる。ほとんどの人がそうだ。これは、誰にでも共感できることだと思う。自分の時間がないと、人は自分の生存価値自体にすら疑問を持ち始める。仕事による多忙は、時には人格の荒廃すらもたらす。多かれ少なかれ、「自分の時間」は必ず必要なのだ。そして、私にはその「自分の時間」が、人一倍必要なだけなのだ。

私は、徹底的に仕事を軽視している。仕事など、どうでもいいと思っている。そんな仕事に、大切な私生活を奪われることが、どうしても我慢できない。

多くの人は、ひきこもりがこんなことを言うことを、強く嫌う。

「ひきこもりのくせに、一人前のことを言うんじゃない!」

たいていの人は、そう言う。だが、社会人であろうと、ひきこもりであろうと、発言の権利はある。ひきこもりの主張に我慢できない人は、それを黙殺すれば済むことだ。

仕事ごときに、人生を支配されたくない。

……だが、「好きな仕事」なら、人生を賭けて打ち込んでみてもいいと思っている自分がいる。

「好きな仕事」に携われる機会が、いつか訪れるのだろうか。

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