もし難病にかかったら。
重度の病気に罹患した時、ほとんどの人は助かりたいと思うだろう。そして、主治医に対して、その意思を告げるだろう。なかには医学的治療だけでは飽きたらず、新興宗教に入信したり、不気味な霊的商品を買うかもしれない。病人というのは、藁をも掴む気持ちで、信じられない行為をすることがあるのだ。
バカバカしい壺に大金をつぎ込む人を見て、私はそんな人を冷笑したくなるが、逆に考えれば、そのような行為はその人の生存意欲の表れかもしれない。
なにがなんでも生きていたい、どうしても死にたくない。そんな想いの表れが、そのような行為に人を走らせるのかもしれない。
私には、そんな行為に走るほどの意欲がない。もし、私が「あなたは重度の病気です」と主治医に言われたら、私は、
「助けて下さい」
とは言わないと思う。
「苦しくない方法で死なせて下さい」
と言うと思う。「どうしても生きていたい」という欲求がないのだ。人間として、いや、生物として、明らかに不自然である。なんとしてでも生き抜こうというのが、本来の生物のあるべき姿だと思うのだ。
「ひきこもり」というのは、「生きる意欲が少ない人」なのかもしれない。私以外のひきこもりをあまり知らないのだけど、「絶対に生き抜くぞ!」と拳を固めるようなひきこもりに出会ったことがない。自室に籠もるということが、なんだか生命力のなさを表しているような気がするのだ。
少しでもイヤなことがあると、すぐに「死にたい」と思う人がいる。ひきこもりではなく正常な人であっても、「すぐに死を想記する人」がいる(私もそうだ)。こんな考え方がまともでないことは確かだけど、この考え方を覆すのはとても難しいような気がする。「つい死を望んでしまう」というのは、長い人生で培われた確固たる思考方法のように思えるのだ。ネガティブ思考の人を楽観的にすることは、極めて困難である。それと同じように、「生きる意欲」が少ない人を、生命力豊かにすることは、ほぼ不可能なように思えるのだ。
私が重度の病気にかかったら、主治医に、
「苦しくない方法で死なせて下さい」
と言うだろう。その時、「私を愛してくれる人」はどんな顔をするのだろう。
やっぱり、悲しむだろうな。
10月 20th, 2011 at 7:34 PM
いや〜、いつも思いますが二条さんは何で普段私が考えていることをそのまんまをブログに書いてくれるんでしょうか!
私も、病気にならなくても苦しまないなら今すぐにでも死にたいといつも思っています。(というか、病気になるのが怖い・・)
どんだけ生命力ないんだよ・・って感じですよね。
立ち直りたい気持ちも僅かにありますが、そこまでなってしまったら自力で這い上がるのは困難でしょうか!?
10月 21st, 2011 at 12:06 AM
憂愛さん
そのように共感して頂けると嬉しいです。嬉しいですが、憂愛さんのつらさも分かってしまい、「こんなに苦労するのは自分だけで充分なのに」と思ってしまいます。
「立ち直りたい気持ち」がある以上、立ち直る可能性はあると思います。あると思いたいです。
このように「つらさの共有」をすれば、なんらかの可能性が開けるような気がするのです。