家族は他人の集合体。

「家族」というものが、特別な存在であるという認識が私にはない。他の大勢の人たちにとって、家族というのは特別な存在らしいのだが、私にはそうは思えない。「たまたま十八年間一緒に暮らした他人」という程度の認識しかない。

昔から、家族に親密な感情を抱けなかった。母親は私にとって、単に「自分を全否定するおばさん」でしかなく、兄弟は単に「同じ部屋で暮らす年の違う人たち」というだけの存在だった。

このような感じ方は、多くの人の反感を買う。特に「家族愛に強い確信を持つ人」からは、徹底的に攻撃される。「家族を何だと思ってるんだ!」「家族をもっと愛せ!」という、強烈な押しつけをくらう。「家族は他人」という認識が、どうしてそこまで反感を買うのか、私にはよく分からない。

私にとって、家族はまさしく「他人」である。多くの人には信じられないことかもしれないが、街で家族に会ったとき、私は他人のふりをすることもあるし、わざと回り道をして接触を避けることもある。

普通、他人と会っても、人は挨拶はしない。無視して通り過ぎるだけである。私にとって家族は他人である。ゆえに、挨拶もしないで通り過ぎるのは当然のことである……。

私はこのような論理の元、行動しているのだが、多くの人にはこれが受け入れがたいようである。「家族は他人」という認識がどうしても許せないと思う人は、私のこんな行動に強い不快感を示す。時には激昂して、叱りつける人もいる。そして、「家族の素晴らしさ」を、長時間語り出す人もいる。

私には、こんな人たちの気持ちが、まったく分からない。そもそも、家族を愛するか愛さないかはそれぞれの個人の勝手であり、他人が介入するようなことではない。街で家族を無視するのも、家族を避けて遠回りするのも個人の自由であり、どうしてここまでその行動を責められるのか、私にはよく分からない。

母親から徹底的に否定されたことが、「家族は他人」という気持ちを強めたことは事実である。もし母親から全面的に受容されていたら、私もこのような認識は持たなかった筈である。「家族は他人」という「歪んだ考え方」は、明らかに母親がもたらしたものだ。

私にとって、「私以外の人」は全員「他人」である。

中年期までこのような考え方を通してきた私にとって、この考え方を今さら変えることは難しい。

毎月、「他人」が持ってくる仕送りで生活しているのだけど。

10 Responses to “家族は他人の集合体。”

  1. 憂愛 Says:

    (街で逢っても無視するまではいきませんが)私も比較的家族とドライな関係なんで二条さんのおっしゃりたいことは大体理解出来ます。かといって、自分が家族にまるっきり愛情がないかというとそれとはまた別の話ですが(家族については私も近いうちにブログで書くつもりです)
    人それぞれ家庭には事情があるのに、家族愛の素晴らしさを云々語る人はウザいですよね・・。

    一般的に仲の良い家族は、マメに連絡取り合ったり逢ったりしているようですが、本当に家族の絆が強いなら長く逢わなくてもそれはそれで平気なのが本物の家族愛なんだと思います。
    私の考えも少数派だと思いますが、二条さんのように家族をあくまで「他人」と認識するのって大事なことではないでしょうか?血は繋がっていても所詮自分とは違う一個人として認めるのが正しい家族の在り方だと思います。

  2. 二条淳也 Says:

    憂愛さん

    家族愛を強要する人は、世の中にかなり多いので、とても疲れますよね。しかも、家族愛に冷めてる人が異端児扱いされますから、よけい疲れます。

    憂愛さんも家族とはいろいろあったと思います。百人いれば百通りの家族ドラマがある訳で、それを一まとめにして家族愛を強制されると困りますよね。

    「家族は他人」という私の持論を支持する人がいて、かなり意外に感じました。大勢の人が拒否感を示すだろうと思っていたからです。

    家族のことを書くのはとてもつらいですが、憂愛さんの家族ドラマも見てみたいですね。

  3. とうこ Says:

    よくわかりますよ。
    私もそれを言って怒られました。
    多分今日は説教です。
    自分以外の人は血が繋がっていても自分じゃないから他人です。
    家族は長く過ごしてきた人達もしくは他人と区別するための総称と考えています。
    同じ考えの人がいらっしゃって良かったです。

  4. 一貴 Says:

    地震があってから、絆という言葉が注目を集めていますし、政治家もこのんで絆という言葉を使います。でもその絆って、絆があるから俺のことをきけ、としか聞こえないんですよね。

    自分以外の人の家族を他人というと「他人でない」と怒られますが、では自分以外の家族を指す言葉があるのでしょうか? 
    親の世代にとって「他人」はどうやら、「家族」と「それ以外の人」を分けるときの「それ以外の人」を指す言葉らしいですが、では自分以外の人を指す言葉はなんなのでしょうか?

    そうゆう概念すら親世代にはないように思えます。

    もう言語自体が違っているようにしか思えません。

    絆より親切という言葉で、相手を尊重した言葉で地震からの復興をして欲しいです。

  5. 二条淳也 Says:

    とうこさん

    「血が繋がっていても自分じゃないから他人」というのは、本当にその通りだと思います。「家族」という言葉が他と区別するための総称というのも、まったく同意です。

    私こそ、同じ考えの方がいて、ホッとしました。

  6. 二条淳也 Says:

    一貴さん

    たしかに、震災以降、「絆」という言葉はとても頻繁に遣われていますね。「絆の押しつけ」のようにすら感じます。

    一貴さんのおっしゃる通り、自分以外の人を指す言葉は、ないように感じます。言語自体が、たしかに間違っているように感じます。

    「家族を愛せ!」「お前は一人で生きているんじゃない!」という、「つながりの強要」というのは、これからどんどん強まっていくように感じます。

  7. チャ Says:

    初めましてー母親がどうしても他人のような気がして検索してみてたどり着きました。
    お考えに共感でき反論したいことなどもひとつもありません。でも、生活させてくれる他人って、めっちゃいい人やん、と思いました。ご近所付き合いでも、何か頂いたらお返しする、みたいなのはあるので、生活すらさせてくれるってすごい、ボランティア?というか奉仕というか‥。命は否定されていない、繋ぐための努力をしてくれている、という感じでしょうか。

    自分は今物理的に勤められなくなってしまい親が用意するエサで生きています。ここから消えたいですが生活できるほど外で収入を得ることができないのでお互い嫌々で居る、という感じです。スッキリしたいなぁ〜。

    ところで名前が大嫌いという記事も読ませていただいたのですが、名前って変えられるのではなかったでしょうか。名前が影響することって、当然あると思います。これほど嫌な思いをされてるなら、好きなものに変えられるととても良くなるのでは‥と思いました。^^

  8. 二条淳也 Says:

    チャさん

    はじめまして、こんにちは。

    チャさんも、ご両親からの支えで生きている方ですか。お互い、つらいですね。でも、「この事態をなんとかしたい」とみんなが思って模索すれば、何かが打開できるような気もします。

    名前を変える人はすごい行動力だと思います。

  9. くろ Says:

    はじめまして

    私はあなたに強い共感を覚えます!
    家族だから愛せ!なんて押し付けても無理でしょうね(笑)

    そもそも家族という意味のない切れない繋がりを作り家族に帰る

    家族を愛して止まない方々には申し訳無いけど、家族がそんなに素晴らしいものだとは思わないです。

    私の経験上
    家族でも暴力は振るう 自分が一番偉いんだとかほざいて暴力で子供をねじ伏せようとしたり支配したりする。

    家族だから〜〜しなければならないとかただの押し付けで全然意味ないです。

    そんなふうなルールが家族を壊していくんですね…きっと

  10. 二条淳也 Says:

    くろさん

    はじめまして、こんばんは。

    共感して頂けましたか。

    「家族どうしは愛し合うものだ」と強く信じ込んでいる人は、私の考えに強い抵抗を示しますが、私は家族によって精神が不安定になる人もいると思っています。私自身、一人暮らしをしてとても穏やかになりました。

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