ひきこもりに有利な社会。

昔のひきこもりは、さぞかし辛かっただろうなあ、と思う。二十二歳までがモラトリアムの期間で、それ以降は正社員という流れがきちんとできていたため、「自分は無職である」という疎外感は、今よりはるかに強烈だったのではないか。

それと比べると、今の時代は、ひきこもりに有利な社会と言えるのかもしれない。三十代のフリーターなどいくらでもいるし、「ニート」という無職状態を指す言葉が社会に広まっている。三十代のフリーターがいくらでもいるという状態は、二十年前は考えられなかっただろう。

このままスライドしていけば、十年後は四十代のフリーターが街に溢れるようになり、それこそ「高齢フリーター」は珍しくもなんともなくなる。ということは、四十代、五十代のひきこもりもそれと同様に社会的に認知され、ごく一般的な存在になり得る。それが正しいことなのかどうかは別にして、このままいけば、まず間違いなく、「高齢フリーター」や「高齢ひきこもり」はごく一般的になる筈である。

これは、我々ひきこもりにとって、「再チャレンジ可能」な社会と言えるのかもしれない。「二十二歳以降は正社員で当たり前」という時代だったら、「高齢フリーター」というだけで奇異の目の晒され、満足な面接も受けさせてもらえなかっただろう。だが、今は違う。アルバイトや派遣という非正規の働き方が全世代に蔓延しているため、私のような年を取ったひきこもりでも、アルバイトの面接を受けさせてもらえる。

我々「高齢ひきこもり」にとって、もはや「正社員」は現実的な立場ではない。「フリーター」のほうが現実的で身近である。この年までフリーターだったりひきこもりだったりしてきたのだ。今さら正社員になるとは思っていない。恐らく、私以外の高齢ひきこもりたちも、自分が正社員になるとは思っていないだろう。

多くの人が不安定な働き方をしている。多くの人が日給月給で働き、生活できないような賃金を得ている。それは絶望的な社会かもしれないけど、中年ひきこもりにとっては、なんとなく居心地が良いような気もする。

「二十二歳以上は正社員で当たり前」という時代だったら、私の持つ孤独感や疎外感は、もっと痛烈だったと思うのだ。

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