ひきこもりの人が持つ長所。
ひきこもりには、いくつかの共通点がある。
「他者からの批判に傷つきやすく、極端に打たれ弱い」
「家族関係がうまくいっていない。特に、父か母、どちらかとの確執がある」
「集団生活に対する強い抵抗」
「傷つきから立ち直るまで、かなりの長期間を要する」
……悪いことばかりである。一般の人もおそらく、ひきこもりたちに対して、このようなイメージを持っているだろう。「ひきこもり」と聞いて、プラスのイメージを抱く人は滅多にいないからである。
だが、私には、もう一つ、ひきこもりの共通点があると思う。それも、プラスの面で、である。それは、「職業に対する強いこだわり」である。
ひきこもりの人は、「自分のしたい仕事しか、したくない」と思っている人がとても多い(ように見える)。不本意な職業に就くことに、強い抵抗がある(と思う)。もしかしたら、これは私だけかもしれないけど、「どんな仕事でもいい」と思っているひきこもりは、あまりいないように思えるのだ。
ひきこもりは家にいる時間が多く、その有り余る時間を、趣味に費やしていることが多いように見える。そして、その趣味を生かした仕事をしたいと思っていることが多く、それゆえ、興味のない職業に就くことを嫌がっているように感じるのだ。
「趣味を仕事にだなんて、何を夢みたいなこと言ってるんだ」
そう思う人も多いと思う。ひきこもり当事者の私だって、趣味を仕事にするのは「夢みたいな話」だと思う。
だが、「趣味を仕事にしたい」というのは、人類共通の夢ではないだろうか。どんな人だって、多かれ少なかれ、趣味を仕事にしたいと思っている。これは人として、ごく当然のことだと思う。好きなことを仕事にしたいという気持ちは、実現可能かどうかは別として、非難されるようなことではない。極めて人間的な心理である。
ひきこもりの人たちは、たしかに生きていくには繊細すぎる。だが、「仕事なら何でもいいという訳ではない。好きな仕事でないとイヤだ」というこだわりは、なかなか良いものだと思う。そのこだわりは、人間の文化に対して、良い影響を及ぼすことがある。実利に結びつくかどうかは別として、好きなことに打ち込む姿勢自体は、評価されるべきではないだろうか。
「生きていくためにはどんな仕事だってやる」
という姿勢は逞しくて憧れるけど、
「好きなことを仕事にしたい。好きでもない仕事なんてしたくない」
という想いも、なかなかに良いものだなあと感じるのだ。