違和感。
もう中年なのだけど、「おじさん」と呼ばれることに、強い抵抗がある。若く見られたいという意味ではなく、年相応の人生経験を積んでいないために、自分がおじさんであるという自己認識がないのだ。
私には、「自分は充分人生を味わった」という手応えがない。年はもう中年なのだけど、人生経験は二十代前半ぐらいしか積んでいない。そのため、「おじさん」と呼ばれると、「もうそんな年になったのか」と、訳の分からない違和感を感じる。
ひきこもりの日常は、かなり単調である。少なくとも、私に関してはそうだ。特に何をする訳でもなく一日が終わり、一ヶ月が終わる。今月はどんなことをしたかな、と考えてみても、特に何も浮かんでこない。それは、とても悲しい人生のように思える。
かといって、積極的に外に出ようという気にもならない。外の世界で働くことによって、今まで耐え難いほどの屈辱を味わってきたからだ。
数十人の前で大声で叱られたこと。真面目に働いたのに、突然「明日から来ないでいい」と言われたこと。失敗したからでなく、虫の居所が悪いというだけで怒鳴られたこと……。そんなことを、今までイヤというほど味わってきた。楽しい経験はほとんどなかったけど、不愉快なことやつらいことは、もう一生ぶん味わってきた。
私の場合は、「ひきこもりになってしまった」というのではない。「ひきこもらなければ生きていけなかった」のだ。もし、つらさを我慢して働き続けていたら、私の人生はもっと短かったと思う。少なくとも、今の年齢までは生きていなかっただろう。
私と同い年の人は、今までに千人、二千人の人と出会ってきたかもしれない。だが、私は部屋に籠もっていたために、その半分以下の人としか、出会って来なかった。当然、人生において味わった感動や楽しさも、他人の半分以下である。だが、私はそのような生き方しか出来なかったのだ。そうしなければ、私は生きていけなかったのだ。
自分のことを、「おじさん」と言える人は、すごいと思う。その人の内面には、「俺は人生を味わった」という充足感があるように思えるのだ。
出会った人の数で、人生の価値が決まる訳ではないけれど、やはり年相応に人生を味わいたい気がする。
(ひきコミ93号掲載文)
8月 23rd, 2011 at 8:35 PM
彼女ができた経緯を知りたいです。
8月 23rd, 2011 at 11:54 PM
36歳ひきこもりさん
多くの人が知りたいでしょうね。いずれ書くつもりです。