人生を楽しみたい。

数ヶ月後には、仕送りは半減すると思う。

普通ならば、収入を得る方法を考えるなり、支出を抑えることに集中すべきなのだろうが、私は逆である。この際、面白おかしくお金を遣っちゃえと思っている。

私はこの夏、ちょっとした旅行に行こうと思っている。来年には息の根が止まるかもしれないのに、だ。一円でも節約しなければならないのに、数万円を散財しようとしている。だが、これは、私がきちんと考えた結果の行動なのだ。

私は今まで、「人生を楽しんだ」ことがなかった。ちょっとした楽しみを味わうことはあったけど、普通の人に比べれば、とてもささいなものだ。海外旅行をすることもなければ、夜の街でパーッと散財することもなかった。酒もタバコもやらず、ギャンブルもまたやらない。「享楽」とはおよそ縁遠いところで、私はずっと生きてきた。

そして、そこまで倹約しながらも、ついに私の人生は行き止まりに突き当たろうとしている。同じ干上がるのなら、いっそのこと、最後に人生を楽しんでやろうと思うのだ。

「千円でも二千円でも節約するべきなのに」と多くの人は思うだろう。だが、数千円、数万円を節約したところで、何が変わるのか。寿命が一ヶ月、二ヶ月延びるだけの話で、結局は生活が干上がるのは変わらない。

重篤な病気に罹った人は、延命治療を拒否して、残りの人生を楽しもうとする。チューブに繋がれて一年生きるよりも、一ヶ月を自由に生きたいと思う。いまの私もそうだ。どうせ近い将来、生活が破綻するのなら、最後に人生を楽しみたいと思う。それは多くの人にとって、理解可能な心境だと思う。

僅か数万円の支出に、ここまで悲壮な決心を要するのだから、笑ってしまう。多くの人が数日で稼いでしまう金額に、私は人生を賭けてしまう。もともとスケールの小さい人間である上に、家計が苦しいことが重なっているので、より一層金銭の支出に過敏になる。

だが、この数万円だって、父が一生懸命稼いだお金だ。散財の代償として、罪悪感は引き受けなければならない。

「父さんがくれた仕送りで、旅行してくる」と言ったら、父は悲しむだろうか。想像するだけで、苦しくなる。

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