計算ずく。

仕送りを持ってきた父と、食事をした。私は、大震災で被災した人の生活について、話した。

「全財産を津波で流されて、今でも体育館で雑魚寝をしている人が沢山いるね」

「職場も流されてしまって、生活に困っている人が沢山いるね」

「放射能が飛び散って、何十年も家に帰れない人も、山ほどいるらしいよ」

そんな話を、私は必死にした。そして、父は私の思惑通りの言葉を返してきた。

「あの人たちに比べれば、俺たちはまだマシだなあ……」

これこそ、私が期待していた返答である。

私は、被災した人の苦しい生活環境を話題をすることによって、自分たちが恵まれていることを、父に痛感して欲しかった。避難所生活をしている人、家族を失った人、全財産を流された人などのことを思えば、中年のひきこもり息子に毎月仕送りを送ることなどなんでもないことを、父に痛感して欲しかった。我ながら、極めて卑怯な行為だと思う。

父も高齢である。

「もうお前のために多額の仕送りはできない」

と、いつ言い出しても不思議ではない。だが、「被災した人に比べれば、俺はマシだ」と思ってくれれば、まだ仕送りを続けてくれるかもしれない。「被災した人も頑張っているんだ」と思って、老体にむち打って仕事を頑張ってくれるかもしれない。それを「計算」して、私は被災者のことを話題にしたのである。よくもまあ、これほど卑劣な「計算」ができるものである。

父はとても純粋な人だから、私の「計算」通りに、被災者の苦労を慮り、自分の境遇に感謝した。そして、明日からまた仕事に頑張る意欲を見せた。ものごとは、すべて私の筋書き通りに進んだ。

私は、仕送りが止まることが、すごく怖い。だから、どんな手を使ってでも、父からの仕送りを継続させようとしている。あらゆる方策を尽くして、父の機嫌を取り、自分の延命を画策している。

だが、そこまでして、私が生きる意味はあるのだろうか。震災で、「まだ生きていたい」と思っている人が、沢山亡くなった。私より若い人、私より毎日を頑張っている人……そんな人が、沢山亡くなった。家でのんびりゴロゴロしている自分が生きて、毎日を頑張っていた人が亡くなるなんて、なんと不公平なことだろう!

仕送りを継続させるために、私は被災者のことを都合良く利用した。そのことを、心から詫びたいと思っている。

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