お礼を言われない。
人のために何かをして、お礼を言われないと、少なからず傷つく。他の人もそうかもしれないけど、私の場合、かなり不愉快を感じる。
通行人が道を訊き、私が教える。
「なんだ、あっちか」
そんな言葉だけを残して、その人は去っていく。すると、私の中に、強い不快感と非難したい衝動が生まれる。
(ありがとうの一言ぐらい、ないのかよ)
私はすぐそう思ってしまうのだが、こんな考え方もまた、ひきこもり生活に拍車をかけているような気がする。考えてみれば分かるが、普段の生活で、お礼を言われないことなど、山ほどある。親切をして、お礼を言われないたびに傷ついていたら、生活できない。残念なことだけど、今の日本ではそうだ。特に、中年以降の人ほど、他者の親切にお礼を言わない傾向が多いような気がする。
親切にして、お礼を言われないと、「親切にして損した」というような気持ちが芽生える。買い物をして「ありがとうございました」と言われなかった時、仕事をして「ごくろうさま」と言われなかった時、私は、働いたのに給料を貰えなかったかのような、強い不満を感じる。
「お礼なんて言われなくて当たり前」と考えれば、そんな不満は感じないのかもしれないけど、この国にはお礼を言う風習がある。
なんとなく、ひきこもりには「道徳を守る」ことに強い執着があるような気がする。礼儀作法にルーズなひきこもりはいなそうに思えるのだ。そして、道徳に反することを連続してされ続けていると、嫌気が差して、自室にひきこもっていくように感じるのだ。少なくとも、私の場合は、ひきこもる一因にはなった。
また、私の考えすぎかもしれないけど、一般の人は、その人を見て、お礼を言う言わないを決めているフシがある。「この人にはお礼を言ったほうがいい」「この人ならお礼を言わなくていいや」。そんなふうに考えて、お礼の履行不履行を決めているフシがある。これは、あながち私の考えすぎではないと思う。人間は、相手次第で態度を変えるからだ。
他者のふるまいに左右されていたら、いつまでたってもひきこもり生活からは抜けられない。それは分かっているのだけど、やはり親切にしてお礼を言われないと、傷つく自分がいる。