イメージ。

「小さい頃は、まさか自分がひきこもりになるとは思わなかった」

そんな人は多いと思う。だが、私に関しては、そうでもない。「将来、自分は自室にひきこもって怠惰な生活をするだろう」という予測こそなかったが、「他の人と同じような人生を歩むだろう」とは、とても思えなかった。

小学生であっても、それなりの自己認識というものはある。幼い私は、自分が普通のサラリーマンとして生活する光景が、どうしても想像できなかった。ひきこもるだろうという想定こそなかったが、かなり風変わりな人生を送るだろうというぐらいの予想はできた。小学生時点で、すでに私はレールから外れはじめていたことに気付いていた。

まず、クラスメートとの円滑な関係というものが築けなかった。表向きには良好な関係を維持していたが、内心では、つねにピリピリしていた。

また、誰かと一緒にいるという状態を、楽しむことができていなかった。あるマンガで、主人公が、

「人が多いほうが楽しい」

というような発言をしていたが、どうしてもその言葉の意味が、私には分からなかった。「一人でいるほうが絶対に楽しいじゃないか」。そんな想いが、どうしても抜けきれなかった。

私が子供の頃、すでに日本人の平均寿命は七十歳をはるかに超えていたが、私は、自分がそんなに長く人生を歩んでいけるとは、到底思えなかった。表面上は屈託なく、友達と遊び、家族と笑い合っていたが、心の中では生きること自体に、疲れ切っていた。友達との関係も、かなりもろいものであることは自分自身、よく分かっていたし、家に帰れば、自分の存在を全否定する母親が待っている。生きるということが、とてつもなくつらく、苦しいものであることは、幼い「ぼく」にも、充分分かっていた。だから、自分が老人になる姿というものが、どうしてもイメージできなかった。間違いなく、そこへ行くまでに人生に挫折するだろう。そんな想定を、すでに小学生の私は脳内に描いていた。

中年になった今も、自分が老人になった姿がイメージできない。自分が、人生を最期までまっとうするとは、到底思えないのだ。

まあ、そう言いながら、中年になるまで生き抜いてきた訳だけど……。

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