自分のぶんだけ、ない。
今日、職場のHさんというおばさんが、「みなさんにお土産があるんです」と言った。どこか外国に行ってきたらしく、チョコレートの箱を抱えていた。
「これから配るので、みなさん食べて下さい」
そう言って、部屋にいたみんなに一つずつ、チョコを配り始めた。
……私には、配られなかった。
Hさんとは険悪な仲ではないし、わりと親切な人だったので、一瞬、なにがどうなったのか分からなかった。特定の人にだけチョコをあげないというような、スケールの小さい人のようにも思えなかったので、自分の手元にだけチョコがないという事実が、なにか信じられないことのような気がした。
普通に考えれば、「たまたま自分のことに気付かなかったのだろう」と思うだろう。そう考えるのが普通だ(部屋には大勢の人がいたし)。
配り終わったあと、チョコは余ったらしく、テーブルの上に置かれていた。
「Hさん、僕、チョコ貰ってないんです」
そう言えば良かったのかもしれない。
だが、私には、どうしてもその言葉が言えなかった。
今までにも同じようなことが何度もあったのだが、「まだ自分は貰ってない」という言葉を、私はどうしても言うことができない。なんだか、「自分にはお土産を受け取る権利がない」というような意識があって、申し出ることができないのだ。実際、このような場面で、「私、貰ってません」と言える人は、かなり少ないと思う。それだけ勇気が試される場面のように感じられるのだ。
私には「自分がここにいても良い」という絶対的な自信がない。「自分がここにいるだけでみんなに不愉快な想いをさせている」というような感じがある。他の人には10の価値があるけれど、自分には1の価値しかないように感じる。だから、「僕にもお土産を下さい」と言えるだけの勇気がない。自分だけお土産を配られないことが、ごく当たり前のことのようにすら感じてしまう。
他者から承認された経験のない人は、正当な権利を主張することが、どうしてもできなくなる。自分が生きている、ということ自体が、誰かの迷惑になっているような気がするのだ。
チョコ、欲しかったな。