一番古い記憶。

私の一番古い記憶は、かなり幼い頃のものである。

その日、私は母の母乳を吸っていた。実際に母乳を吸っていたのか、単に乳房にしゃぶりついていただけなのか、もう忘れてしまったが、私は母の乳首を口に含んでいた。すると、母が突然「チッ!」と舌打ちして、

「噛まないでッ!」

と怒鳴り、乳房から私の身体を引き離した。全身からサーッと血の気が引くような恐怖を感じた。そして、

(もっとソフトに飲まないと)

と思いながら、再び乳首を口に含んだ。だが、全身で感じた恐怖は、いつまでも消えなかった。

お母さんは怖い。外の世界は怖い。

これが、私が生まれて初めて持った感情だった。

……これが私の一番古い記憶である。母親の乳首を口に含んでいるのだから、0歳か1歳のことだろう。多くの人は、「そんな幼少期の記憶が残っている筈がない」と思うだろうが、私はこの時の記憶を、中年になった今も、かなり鮮明に記憶している。

作家の三島由紀夫は、自身が浸かった産湯のきらめきを記憶していたという。大作家が持つ優れた感性が私に備わっているとは思えないが、私がかなり幼い頃の記憶を未だに覚えていることは、事実である。

多くの人は、ひきこもり当事者が、その境遇を親の責任にすることを、ひどく嫌う。

「ひきこもりになったのはお前の責任だ! 親のせいにするな!」

ほとんど全ての人が、ひきこもりに向かってこう言う。だが、私はそうは思えない。生まれて初めて持った記憶が「恐怖心」という私には、やはり、ひきこもりになった責任の一端は親にあるように思えてしまうのだ。

母も老齢である。母が死ぬ前に、どうしてあの時、私を乳房から引き離したのか、尋ねてみたいと思っている。

私にとって、本当に怖かった出来事だったから――。

(ひきコミ第90号掲載文)

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