弱者のイヤなところ。
電車を待っていると、列に割り込もうとする人がいる。その多くは、老人である。特に高齢の女性が多い。以前、そんなおばあさんを注意したところ、「あたしは年寄りなのに!」と怒りだしたことがあった。彼女は「自分は高齢である。ゆえに割り込んでも許される」と思っているようだった。
また、別の日に、歩道に車を停めている三十代の主婦と、揉めたことがあった。私は彼女の不注意によって、怪我をさせられそうになったのだが、彼女にそれを言うと、「女のような弱い者にそんなことを言って!」などと、彼女は筋の通らない怒りを露わにしていた。
自分は弱者である。ゆえに許される。そう思い込んでいる人は非常に多い。女性、老人、障害者……。これらの人たちは、「自分は弱者である。ゆえに特別な権利がある」と思い込んでいる人が非常に多い。
「自分は高齢である。ゆえにシルバーシートに座っている若者を強制的にどかす権利がある」
「自分は障害者である。ゆえに他者に迷惑をかけても許される」
そう思っている人が非常に多い。そして、それが「さらなる差別」と「軽蔑」を招くことに、彼らはまったく気付いていない。
私の知人に統合失調症の男性がいるのだが、待ち合わせに必ず遅刻してくる。自分は一分待たされるのもイヤだが、相手は一時間待たせても構わないと考えている人である。以前、「毎回遅れるのはどういうことか」と問い質したら、「俺は病気だから」と彼は答えた。
弱者を非難することは、この国では社会的タブーとされている。マナーの悪いサラリーマンを叱ることは許されているが、マナーの悪い車椅子の女性を叱ることは、許されていない。誰が考えてもおかしいことだ。だが、それを指摘する人はなかなかいない。そのため、今の社会は「自分勝手な弱者」ばかりがのさばっている。
そして、私もそんな「自分勝手な弱者」の一人である。私はひきこもっているが、「自分は親から充分に愛されなかった。ゆえに労働免除の権利がある」という、自分勝手な理屈を構築している。私もまた、「許されない者」の一人である。
「迷惑をかける対象が親族に限られる」という意味では、私の特権意識はそんなに悪質ではないと思っている。
まあ、そんなふうに「自分だけは許される」と考えてしまうこと自体が、弱者特有の傲慢さなのだけど。