不快なことがあった。
今日、外科的な疾患のため、病院にいった。会計上の理由で、医師と意見が食い違った。診察室で、医師はこう言った。
「うちの病院では、このような会計システムでやっています。それがイヤなら他の病院に行って下さい」
この言葉が、私の神経をひどく刺激した。多くの医師は、「イヤなら他の病院に行け」という言葉を多用するが、私にはそれがとても不快に感じられる。「うちは客(患者)には困ってないのだ」という傲慢さと、「こっちは診てやってるんだ」という尊大さが感じられ、とても不愉快になる。
これは、私が雇用者に持つ感情と同種のものである。「こっちはお前を雇ってやっているんだ」という姿勢に、私は強い怒りを覚える。自分は優位であり、お前は劣位の立場なのだという口調に、私は強烈な抵抗を感じる。
医師はどんな時でも、「イヤなら他の病院に行け」とは絶対に言ってはならないと思う。その言葉を真に受けていたら、全世界の病院を転々とせざるを得なくなり、病気の回復は望めなくなる。患者がどんな姿勢であっても、自分を頼って来ている以上、治癒の瞬間まで責任を持つ。それが医師のあるべき姿勢である。医師は、自分自身が「他の病院に行け」と言われたら、どうするのだろうか。そう思ってみたら、こんな言葉は言えない筈である。
そして、ここにもう一つの問題が現出する。ここまでの記述を読んでみれば分かるように、私は医師というものに、とても多くのものを期待している。患者である自分のことを、全面的に受容して欲しいと無意識のうちに望んでしまっている。医師の言葉一つにここまで敏感に反応しているということは、逆に言えば、私が医師にとても沢山のことを望んでいるということである。
私は一度不愉快な経験をすると、そこから立ち直るのに、相当の日数を要する。今日は色々なことをするつもりだったのに、この出来事があったために、何もする気がなくなってしまった。
不愉快なことがあると、ずるずるとそれを引きずり、いつまで経っても気持ちの切り替えが出来ない。これもまた、私の環境適応性の悪さである。
さて、今日受けた不快なストレスを払拭するのに、いつまでかかるだろうか。