悪口による絆。
今まで色んな職場に入ったが、同僚たちが集まって、そこにいない誰かの悪口で盛り上がるというシーンを、何度も目にしてきた。
「タナカの奴、使えないよな。あいつ、いなくても、いいぜ」
そんな話で、数人の同僚が盛り上がっている。そんな時、私はその輪に入ることができない。「タナカ君がこれを聞いたら、悲しむだろうな」といった妙な優しさが出てしまい、悪口合戦の場に参戦できない。これもまた、私の適応性の悪さである。
もしその職場に馴染もうと思ったら、やはり私もその場に加わるべきであった。同僚たちと一緒になって、タナカ君の悪口で盛り上がるべきだった。多くの人は「陰口を叩くような連中とは付き合うべきではない」などと言うが、それは現実にそぐわない、きれいごとである。
職場で仲間とうまくやっていける人というのは、「周囲に溶け込むことができる人」である。例えそれがネガティブな感情の発散の場であっても、そこに溶け込むことができる人こそが、周囲とうまくやっていける。事実、その職場では、タナカ君の悪口を言っている人は職場にうまく順応していて、悪口の輪に入れなかった私は、結局その職場に馴染めなかった。
入社数日目でも、すぐにその職場の「弱者」を見抜いて、悪口大会の場に溶け込むことができる人がいる。こういう人は、恐らく、どこの職場に行ってもうまくやっていけるだろう。陰口を叩いて盛り上がるというのは、あまり褒められた行動ではないけど、大切なのは周囲にどれだけ合わせられるかという適応性なのだ。
私の場合、「陰で人の悪口を言うのは良くないことだ」などという、幼稚な正義感が出てしまい、環境に順応できない。「陰口を叩いている奴なんて、実際はどうしようもない奴ばかりだ」と、私を慰めてくれる人もいるけど、実際はそうではない。
現実の社会では、「陰口を叩いている人」が職場の主導権を握っていることが非常に多い。そして、その輪に入れない者が、疎外されていじめられることが多い。社会で求められるのは「正義感」ではなく「適応力」なのだ。
社会は戦場と同じである。やらなければ、やられる。
本当にこの世の中を生き抜こうとするならば、弱者を見つけて悪口の輪に入らなければならないのだ。
他者を抵抗なく攻撃できる人が、職場にうまく馴染んでいることは、まぎれもない事実なのだから。