歓迎されていない。

友人にS子さんという女性がいた。私と同い年で趣味が合うので、一年に一回ぐらいは彼女の家に行って、食事をごちそうになる仲だった。彼女には旦那さんと子供がいるのだが、旦那さんも、S子さんと私が変な仲ではないことを充分知っていたので、彼女と食事することを許してくれていた。

そんなある日、私はいつものように、S子さんのお宅をおじゃました。その日は旦那さんもお子さんもいる日だが(二人きりのこともあった)、私もS子さんに変な想いは持っていなかったので、気にもしなかった。ただ、楽しくおしゃべりできれば充分だった。

だが、なんとなく、その日のS子さんは素っ気なかった。話しかけてもつんけんしているし、私に早く帰って欲しいような感じだった。少なくとも、私はそう感じた。私は敏感でもあり鈍感でもあるのだが、「今日の私はS子さんに歓迎されていない」と察知し、いつもより早く帰った。そして、S子さんの家には、もう二度と行かなかった。

ひきこもりに共通しているのかどうか分からないけれど、私は自分が歓迎されているかいないか、とても敏感に感じ取る。そして、少しでも「歓迎されていない」と察知するや、すぐその場から退出する。

たまたまその日は相手が機嫌悪かったのかもしれないし、何か用事があったのかもしれない。もしかしたら、私の早とちりだったかもしれない。そう考えることも可能なのだが、私はそうは考えられない。自分が歓迎されていないということは、とてもつらいことなので、すぐにその場から去る。そして、そのような素振りを見せた人とは、二度と会わない。

我ながら「生きるのがヘタだなあ」と思うのは、この「二度と会わない」という点である。気を取り直して別の日にまた会えばいいものの、私は冷たくした人とは、その後一切の接触を断つ。「あなたがそんな素振りを見せるのなら、私はもう二度とあなたの前に姿を見せません」という態度をとってしまう。好きでそうしている訳ではないけれど、「歓迎されていない」という不快感と屈辱感が、私をそんな行動に駆り立ててしまう。

私には友達がいない。だが、考えてみれば、ほとんどの交際関係を、自分のほうから消していったような気がする。

歓迎されていなくても付き合っていくべきだったのか、歓迎されていないことを素早く察知して正解だったのか、今でも分からない。

ただ、「歓迎されていない」という雰囲気を感じたことは事実なのだ。

私はどうすべきだったのだろう。

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