次元の低い考え。

正直に言って、もっとひきこもりが増えればいいのに、と思う。特に、三十代以上の、切羽詰まった中年のひきこもりに増えて欲しいと思う。

私は、自分だけが絶望的な状況にいることに、耐えられない。他のみんなが働いていて、私だけが取り残されていることを、どうしても認められない。

私以外にも、もっと同年代のひきこもりが増えれば、高齢ひきこもりは多数派になり、社会の中で発言権を持つことができ、安心していられる。今のように、ごく少数の変わり者だけがひきこもっているという状況では、いつまでたっても、我々は責められるだけだ。

私は、自分だけが非難の対象になることが、とても怖い。だから、その攻撃を分散させるために、自分以外にも、もっとひきこもりが増えて欲しい。本当に、卑怯で狭量な考え方だと思う。

だが、こんなことを思っているのが、私以外にも結構いることを、私はうすうす分かっている。テレビなどで、「国内のひきこもりは数十万人」などというテロップが流れると、「ああ、自分以外にもそんなにいるんだ。俺だけじゃないんだ」と、ホッとする人が結構いるのではないか。弱者は自分以外の弱者を見ると、とても安心するものなのだ。

私より年上のひきこもりも、結構な数、いるらしい。彼らが普段何をして、何を考えているのか、ほとんど分からない。だが、彼らが生きているというだけで、私に希望を与えてくれている。「この歳までは大丈夫か」という、限界ラインを示してくれているように思えるのだ。当人はさぞかしつらいだろうが、年下のひきこもりは、年上のひきこもりを見て安心するものなのだ。予備校で、三浪生が四浪生を見て安心するように。

ひきこもりがどんどん増えていけば、間違いなく深刻な社会問題になり、日本の財政を圧迫するだろう。ひきこもっていけば、結局は社会保障に頼るしかなくなるからだ。

だが、親が死ぬその最後の瞬間まで、高齢ひきこもりの皆さんには生きていて欲しいと思う。自分はまだマシだなあ、と思いたいから。

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