コーヒー。
コーヒーを飲むのが好きだ。自室でもよく飲むし、カフェでも頻繁に飲む。カフェでコーヒーを飲むと、読書もはかどるし、気分転換もできるので、好んで行く。
だが、そのコーヒー代はどこから出たのか。父の稼ぎからである。年老いた父が必死に汗を流し、働いたお金で私はコーヒーを飲んでいる。それが、なにか社会的に決して許されないことのような気がして、つらくなる。
ひきこもっている以上、お金を遣うことの罪悪感からは逃げられない。これは、すべてのひきこもりに共通して言えることである。労働した者のお金を、労働しない者が遣う。このことに対する罪悪感を、ひきこもりたちは、自由の代償として受け入れなければならない。
父の(つまりは実家の)生活がたいそう苦しいものであることは、以前、聞いた。保険を解約し、知人に頭を下げてまで、父はお金を集めているらしい。そこまでして工面したお金を、私はコーヒー代に遣っているのだ。これほどおかしいことがあるだろうか!
父が働いている時間に、私は布団で寝ている。父が稼いだ給料で、私はレストランで食事をしたりしている。ここまでいくと、親不孝などという言葉ではおさまらない。なにか、言ってはいけない言葉を自分自身に言いたくなる。正直、「俺、生きている価値ないよな」と思う。
私が別の人になって、私のことを見たら、間違いなく軽蔑しているだろうし、人間以下のクズだと判断するだろう。こんな人間とは友達になりたくもないし、この世に存在すらしてほしくない。こんな人間のために税金が遣われることは許されないと思うし、こんな人間のために牛や豚が犠牲になることが、とても哀れに感じる。
だが、働いたところで、なにが変わるのだろう。確かにお金を遣うことに対する罪悪感こそなくなるが、その代わりに、おびただしいストレスと生きることのつらさを年中考えなければならない。
働いているあいだ、私の心が平穏だったためしはない。いつも、「ああ、つらい、つらい」と思っていた。働いているあいだは、死すら考える。
労働していても、していなくても、つらい。私を生んだことに対する報復として、父からのお金を散在してやりたいと思うこともある。
4月 18th, 2012 at 3:50 AM
カフェに頻繁に行くのに、なぜ自分のことをひきこもりだと思うのですか?
4月 19th, 2012 at 10:24 PM
flowerchildさん
カフェに頻繁に行くことはできても、就労に対する恐怖で働けないのであれば、やはりそれも「ひきこもり」の範疇にあると思っております。