楽しみと不安。

昼か夕方に、起きる。いつも夜遅くまで起きているので、だいたいこれぐらいがいつもの起床時間である。

起きると真っ先にアパートの部屋を出る。働きに行くのではない。集合ポストへ、郵便物を取りに行くのだ。たいていは何も入っておらず、たまになんらかの請求書や領収書が入っているだけなのだが、この時間は私にとって、けっこう楽しみな時間である。

郵便という「外部と接触している部分」に触れられることが嬉しいからである。

私は友達がいないから、電話が来ない。メールもまず来ない。恋人こそいるものの、それ以外とはほとんど関係は切れている。恋人ができる前に、骨折で25日間入院していたことがあるのだが、久しぶりにアパートに帰ってみると、誰からもメールもFAXも留守電も入っていなくて、悲しい思いをしたことがある。これほど社会から不必要とされる人間も珍しい。そのへんの石ころよりも不必要なのではないか。

だから、郵便物を取りに行く瞬間は、「もしかしたら、誰かから何か来てるかも」という淡い期待を抱ける瞬間なので、少し楽しい。

だが、そんな「少しだけ楽しい瞬間」も、妙な後ろめたさがある。集合ポストへ行くためには部屋を出なければならない訳だが、その際に、近隣の人と顔を合わせるのが、とてもイヤなのだ。

私は、生きていること自体に、強烈な罪悪感がある。昼間や夕方に、寝起きの顔でのっそり不気味な中年男が出てきたら、顔を合わせた人に変に思われるのではないかという恐怖がある。そして、それが何らかの不利益に繋がるのではないかという危惧がある。

ある時は午後三時にパジャマ姿でポスト前に現れ、ある時は夕方六時にパジャマ姿でポスト前に現れる。こんな人間がまともな訳がない。顔を合わせた近所の人は「こいつ、ひきこもりだ!」と察知するのではないか。そんな心配が、いつも頭の中にある。

私は、自分がひきこもりであることを知られるのが、とても怖い。ひきこもりだと知られれば、あらゆることがマイナスに繋がることを知っているからである。だから、ポストに行くだけでも、かなり不安を覚える。

世の中の人間、全員がひきこもりであれば、こんな心配は消えてなくなるのに、とか思ってしまう。

まあ、全員ひきこもってしまえば、ポストに郵便物が届くこともないのだけれど。

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