仕送り、減額。

毎月、月初めに、私のアパートに父親が来る。一ヶ月分の生活費を持ってくるのだ。

今月は、今日がその日だ。私にとっての「給料日」である。いつもは玄関先でお金の入った封筒を手渡したあと、二人で焼き肉屋に行くのだが、珍しく、「喫茶店へ行こう」と父が言った。

嫌な予感がする。焼き肉代を支払えなくなったのではないか。

嫌な予感は当たった。コーヒーを飲みながら、父は私の目をじっと見て、こう言った。

「来月からは、今まで通りの金額をお前に渡すことはできない」

父の会社がひどい不景気なのは知っていた。なにしろ、私と会うたびに「父さんの会社、もうだめだ、もうだめだ」と言っているのだ。人一倍敏感なひきこもりなら、苦しい親自身よりも苦しさを痛感しているのだ。

父は言を継いだ。

「父さん、これまでお前をよくひきずってきたと思うよ。なにしろお前には、一千万以上つぎ込んだからなあ……」

私は済まない気持ちと自分自身が情けない気持ちで、父の目を見られなかった。一千万以上つぎこんだというのは、まぎれもない事実である。十年以上のあいだ、私はひきこもり生活を維持しながら、ずっと父の経済力に甘えてきた。毎月、父は十二万円の仕送りを持ってきてくれたのだ。これが実に十年以上。単純計算しただけでも、父が私につぎこんだ金額がどれだけになるか分かる。気の遠くなるような金額である。

およそバカみたいな話だが、私はこの生活がずっと続くのだと思っていた。毎月十二万円の「安定した収入」が、ずっと続くと思っていたのだ。これにはワケがある。

父は決して出費を惜しまなかった。お金がないにもかかわらず、お金を遣いたがる人だった。「会社が危ない」と言いながら、ユニクロで服を買わず、三越で服を買った。「お金がない、お金がない」と言いながら、牛丼屋には絶対に入らず、二万円の焼き肉を食べたりした。

そんな父を見てきたため、私は、父の身にふりかかる恐るべき窮乏を、どうしても実感できなかったのだ。私が「一千万円欲しい」と言えば、父は「よし、分かった」と言ってくれそうな気がした。実際、私は中年になっているのに、父は一億でも十億でも持っていると思っていた。父が「支出を惜しむ」という行為を一切しなかったため、父がどれだけ追い詰められているのか、理解できなかったのだ。

だが、そんな父もついに、弱音を吐くときがやってきた。ひきこもっていた私が心の底から怖れていたセリフを、ついに言うときがきたのだ。

ただ、仕送りを完全に0にするワケではないらしい。「アパート代ぐらいは父さんがなんとかしてやる」と父は言っていたし、「あと数ヶ月は今まで通りの金額を渡せそうだ」とも言っていた。

だが、それと同時に「お前も五万円でいいから、毎月稼げ」とも言った。ひきこもり生活十年以上経って初めての「働け」発言である。

働くこと自体に向いておらず、他者と良好な関係が維持できない私にとっては、月五万円でもかなり大変だ。

ここはブログである。ひきこもり当事者が物乞いをする場所ではない。この場を利用して誰かに援助を求めることは一切しないつもりだ。

だが、一人のひきこもりがついに追い詰められたことだけは、記しておこうと思った。

Leave a Reply