電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼オリオン座と松竹劇場
僕より一回り近く若い世代の清水っ子に会って話をすると
清水の映画館『オリオン座』は新清水駅裏手
現社会保険事務所の場所にあったと言い
さつき通り区役所前交差点角の
相生町にあった時代を知らない事が多くて話が噛み合わず
「ああ、そうか…」と年の違いに気づくことが多い。
おそらく七夕豪雨で地下の松竹劇場は水没したはずなので
それを機会に新清水裏に移ったのだと思う。
映画好きだった友人たちは皆洋画館オリオン座が馴染み深いと言うが、
僕は「男はつらいよ」とかコント55号のB級喜劇とか
松本清張原作による岩下志麻の映画が好きだったので
高校時代は松竹専門だったような気がする。
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現社会保険事務所にあった映画館はカフェ付き「スカラ座」しか思い出せない….
ここに写っているスバル360カスタムが懐かしい!
はい正解です。
スカラ座の上のボーリング場が映画館になったのだと思います。
オリオン座と松竹が入ったんだと思うのですが僕も曖昧です。
確か松竹映画「次郎長青春編 つっぱり清水港」はスカラ座の上で見た記憶があるのです。
そうです。
その右隣にある栗のマークのひさしは確か甘栗も売ってたお菓子屋で、映画を見に行く前にここで清水名物ソース煎餅などを買ったものです。
今の八男坊にはまだ行ったことがありません。二男坊を連れて行っても面白かったですね(笑)
店の名前はたしか「山岡屋」だったと思います。
長岡屋だったら面白かったですね。
早起き三文探検隊の長老もそうらしいですが最近は涙もろくなってだめです。
新朝ドラの「瞳」で一緒に「シャラップ」と言いながら涙ぐんじゃったり。
そうでした「山岡屋」でしたね、ウルウル。
映画の入場料をさっ引いたお金で何が買えるか算数しながら工面した店です。
清水に「実之和」というかれー麺の店があるそうですね、夜中にやってないかな
また大学生のころ、南幹線で私はバイク事故を起こし、清水厚生病院に入院しているときに同室のオヤジさんが八男坊の常連だったことを覚えています。そのオヤジさんはいい人だったのですが、入院中に病院前の寿司屋で酒を飲んでいるところを主治医に見つかった大物でした。
また、山岡屋さんは私の学区では次郎長通りにあり、遠足の時は必ず買い物に行きました。
さくらももこさんの「ちびまるこちゃん」の連載が「りぼん」で始まった直後にその話があり、まだ清水の話であることを認知される前に私は「これは清水だ!」と当時、結婚前でしたが家内に話したことがありました。
入江岡にも店がありましたね。
次郎長通りのお店は火事にあったりして大変だったことを覚えています。学区内でしたので、友人も多く次郎長通りや美濃輪の商店街にいましたので。
この映画で、ブラックユーモアと出逢いまして、強烈な記憶が残っています。その後、モンティパイソンを観たときにも、「マジッククリスチャン」を思い出しました。心に黄色く染みる名作です。
山岡屋の名前が懐かしいもうひとつの理由は入江で今もある大きなお菓子屋、名前が変わっていますが以前は山岡屋だったのでした。ありがとう、思い出しました。
次郎長通りにもあったというのにもびっくりです。
そうそう「レッドソックス開幕試合」写真帳の送り主の名前に焦点が結ぶのにも時間がかかりました。楽しく拝見しました。
いつか清水のみんなに声をかけて八男坊で飲み会なんていうのもいいですね。
肉料理ならバッチリだし(笑)
…ということは、広瀬正『マイナス・ゼロ』のように磯波さんと二人でこの場所に戻って覗き見することができたら、映画の看板を眺めている高校生が二人いて、一人はリンゴ・スターの「マジッククリスチャン」に、一人は渥美清の「男はつらいよ」に入っていく姿が見られるかも知れませんね。
当時の古い紙幣(板垣退助)の札束が実家から出てきましたので、二人の擦れ違いを確認し終えたら当時まだ30歳代だった母がこの裏手でやっていた飲み屋に行きましょう。
そうそう、当日の服装はまだ影も形もないサッカーチームのロゴが入ったものは避けてくださいね。清水の衆がびっくりしますから。
試合の前日に友人からS席二枚のチケットをいただきまして、前の会社での飲み仲間の女性とひたすら飲み続けながら松坂を見ていました。大リーグ観戦は、出張で行ったNYでヤンキースを見て以来でした。
・・・清水生まれの魚嫌いですみません。
>送信元の名前が違いましたね
GoogleからのInvitationメールにファーストネームだけが書かれていたので咄嗟に思い出せませんでした(笑)
大輔というより松坂の方がぴんと来るのは日本人だからでしょうかね。
最近は友人をなるべく「ハーイ」につづけてファーストネームで呼ぶように練習してます(笑)
羽衣劇場は最後の頃はストリップもやっていて、
愛染恭子が主演した事もありました。(知人は見に行って愛染恭子が履いていた下着をもらったそうです)
1970年後半頃は清水にはオリオン座、スカラ座、名画座、東映サクラ劇場、そして羽衣劇場がありました。
1975年8月の静活シネガイドを見ると、
オリオン座ではタワーリングインフェルノ(~15日)卒業試験・アランドロンのゾロ(16日~)
名画座では男はつらいよ・寅次郎相合い傘/ドリフターズのカモだ!御用だ!全員集合(~29日)東京湾炎上/がんばれ若大将(~31日)
スカラ座では青い山脈/花の高2トリオ・初恋時代
羽衣劇場では一週間ごとに変わるため一部題名のみ。
四畳半みだれ床、東京エマニエル婦人、新・未亡人下宿、団地妻売春痴図
後、ボーリング場の後でしょうか、NOWなレジャースポーツとしてレーザークレーがあったようです。(ライフルで画面に映るクレーバーを撃つようです)
長くなりましたが、映画の題名楽しんで頂けたでしょうか。
今度静活シネガイドのコレクションはブログへ少しずつ載せていこうと思います。
『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)を見て震える感動でした。
今見てもやっぱりすごい。
http://www.youtube.com/watch?v=X0QW99659MQ
>1975年8月の静活シネガイドを見ると、
オリオン座ではタワーリングインフェルノ(~15日)
具体的な映画の題名もさることながら、上映年月日がわかるって面白いですね。
1975年8月といえば七夕豪雨の1年後ですがその当時のオリオン座はどっちだったのでしょう?
母は実はオリオン座で「タワーリングインフェルノ」を見ています。
面白かったと興奮して話してくれるのですが、話しやすいように映画の題名を「たわーりんぐ」と縮めて言うたびにひどく抵抗があったので忘れられません。
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