文/中沢新一(人類学者・思想家)
南方熊楠と私
私と南方熊楠とのかかわりはとても古いのです。南方熊楠の名前を最初に知ったのは、中学生の時でした。私の父は民俗学の研究者で、書庫には柳田國男や折口信夫などの民俗学関係の本が並んでいました。私もよく書庫に入り込んで父親の蔵書を読んでいましたが、『南方熊楠随筆集』という本の著者の名前がどうしても読めません。しばらくしてそれが「ミナカタ・クマグス」だということを知りました。
熊楠の書物は、中学生にとっては難しい日本語で書かれていましたが、内容には大変興味をそそられました。私は子供の頃から神話や「未開民族」の習俗とかに関心が深かったからです。
熊楠の人物にもたいへん惹かれました。ものすごい人がいたものだなと驚きました。明治時代、夏目漱石がイギリス留学し、英語をしゃべるのが苦手なためにノイローゼになって下宿にこもっていたのとは大違いで、南方熊楠は英語を武器にして英国人を向こうに回して論争していました。科学雑誌『ネイチャー』に論文が何本も掲載されています。
一方で熊楠は、西洋の学問に比べると前近代的で、方法論的にも劣っていて科学性がないと言われてきた東洋の学問には、西洋の科学よりもこのさき科学そのものをもっと先に進めてゆくための重要なヒントが隠されていることを、直観していました。
自分でも不思議に思うのですが、子供のころから私もまったく同じことを考えていました。私はもともと理科系でしたが、最先端のものも含めていまある科学にはなにかが足りないのではないかという漠然たる疑念を持ち続けていましたが、南方熊楠はそのことをもっとはっきりと哲学的に考えていました。
のちに、熊楠と土宜法竜の書簡集が出て、その中に「大乗仏教には大変な可能性がある。そこで大乗仏教の精神をいちばんよく残しているチベットへわしも出かけてみるつもりじゃ」というようなことを、熊楠が書いているのに出くわしました。
これにはびっくりしました。それというのも、私自身が東洋の学問というものを一から勉強してみたい、そこでチベットの僧院で東洋の学問を勉強しようと考えたからです。熊楠の考えと自分の考えが完全に同調した瞬間でした。
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