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【上林功のスタジアム建築の世界】新国立競技場の耐震対策はどうなっているのか 工費、避難、防災拠点も想定

【上林功のスタジアム建築の世界】新国立競技場の耐震対策はどうなっているのか 工費、避難、防災拠点も想定

新国立競技場のイメージ図(技術提供書からJSC提供)

 4月に熊本で大地震が発生しましたが、防災の観点は、スタジアムのようなスポーツ施設でも、安全対策の観点から切っても切れない大切な要素です。新国立競技場で提案された地震対策はどのようなものか。そのことについて掘り下げます。

 2020年東京五輪・パラリンピック大会においても、大規模災害対策は重要なテーマです。このため、ザハ・ハディド氏の案が選ばれた最初の新国立コンペから地震対策は、主要な取り扱いになっていました。

 もともとスタジアムは大きな屋根やスタンドで構成され、同時に多くの観客が利用することからも構造の検討が重要な位置を占めます。国内のほとんどのスタジアムは耐震構造です。読んで字のごとく地「震」に「耐」える構造である耐震構造は、簡単に説明すると建物の構造を固めることで地震時に「崩壊・倒壊しないこと」を目的としています。

 これに対し、白紙撤回前のザハ案が採用していたのは免震構造でした。免震構造は地「震」から「免」れる構造です。多くはバネやゴムなどを基礎と建物の間に挟むことで地震の揺れを建物に伝えない構造となります。通常、絶対に壊れてはいけないもの、たとえば劇薬を保管する薬品庫や美術品を収めた収蔵庫などに採用されています。

 ザハ案の設計説明書を確認すると、免震構造を採用することで耐震構造の場合より鉄骨のサイズが小さくなるなどのメリットを挙げています。

 一方、基礎と建物の間に挟むゴムやバネなどの免震装置は設置高さだけ地下に掘り込まなくてはならず、また点検のためのスペースを設ける必要があるなど、地下部分が過大な提案でした。建物で地下部分が大きくなるとどうしてもコストは高くなります。ただでさえ敷地の大きな範囲に建つスタジアムでは土の掘削・処分、埋設物の処理など費用も膨大なものとなってしまいます。

 再コンペで提案されたA、B両案では、ともに基礎などの地下部分を少なくする改善提案が行われました。ザハ案よりも工費が大幅にカットされた要因の一つが、ここにあったともいえます。B案は免震構造ながら、免震装置の位置を地下ではなく1階スタンドと2階スタンドの間に設けることで、点検しやすく地下部分を減らす工夫が凝らされていました。これに対し、A案は制震構造を提案しました。

 制震構造とは、地「震」を抑「制」する構造を指します。耐震構造のようにガッチリとした構造でもなければ、免震構造のように基礎から切り離す構造でもなく、建物自体が柔らかく変形することで地震に対応する構造です。

 国内では超高層ビルなどに採用されています。A案はこの「柔らかさ」を各階で変え、地面に近づくほど柔らかい構造としています。全体を柔らかくするより揺れ幅を抑制でき、建物全体で揺れを軽減するため、局所的なズレが生じにくい構造となっています。

 A、B両案ともに地震への配慮が成された甲乙つけがたい提案でしたが、B案については切り離されているはずの上部構造から屋根を支えるためのロッドが免震構造をまたいで地面に接続してしまっているなど多少不安の残る提案でした。結果、総合審査ではA案に軍配があがりました。実際の設計を進めていく中で、提案が変更される可能性もありますが、より良い提案になることを期待したいと思います。

 スタジアムの設計においては、地震などの災害によって崩壊しない構造設計だけでなく、あらゆる側面から防災設計が行われます。特に多くの観客が利用する観客席の設計にはいくつかの基準や計算に基づいた検討が行われます。重要な検討内容として計算によって導く「避難時間」と、「避難上安全な広場」の確認が行われます。

 「避難時間」は屋外に安全に避難できるよう、歩行速度と避難経路の距離、出入口の幅、階段の有無などを検討して計算します。一方で、火災が起こった際に発生する煙が天井にたまり鼻や口の高さまで充満するまでの「煙降下時間」を計算します。このとき「避難時間」よりも「煙降下時間」が長ければ、煙に巻かれる前に避難できることになります。条件にあうように避難経路の近道を追加、出入口の幅を大きく変更することもあります。

 つまり、地震時に対応した避難時間は設定されておらず、むしろ落ち着いて避難できることが重要となります。近年ではIT技術を利用した避難経路の誘導など、より進んだ方法も提案されてきています。

 スタジアムを利用する観客は最大で数万人に及びます。いっせいに避難を始めたとき避難した先で十分な広場がないとすみやかに屋外へ逃げることができません。そこで設計では一人当たりの面積から観客席定員全員が屋外に出ても十分な広場を敷地内に設けるよう計画します。

 ザハ案やA案では外苑西通り側に大きな人工地盤が提案されました。これは「避難上安全な広場」を確保するためで、オリンピック・パラリンピック期間中は建物周辺が大会関係者や報道などの関係施設で占められてしまうため、それらとバッティングしない提案が行われています。

 東日本大震災では、いわき競輪場が救援物資を仕分けするためのハブ施設として、物流の中継地点を担いました。地震発生時には、雨風を避けて仕分けできるスペースだけでも十分に意味を持ちます。スタジアムは備蓄倉庫や防災無線、非常用電源、オイルタンクなどが設けられます。近年では、ボランティアの活動拠点としての活用など、防災センター機能をあらかじめ想定し設計します。

 新国立競技場は、東京のど真ん中に位置するスタジアムです。こうした立地は世界的にも珍しく、もし東京で地震が起こってしまった際には、最重要防災拠点となることは間違いないでしょう。都市防災の観点からも、より良い施設となることが望まれます。

 私自身、16歳のときに阪神淡路大震災を経験しています。阪神高速道路が横倒しになるなど当時の様子がつい最近のように記憶に刻まれています。そんな中、プロ野球の地元球団・オリックスが1995、96年にリーグ連覇を果たしたときには心の底から励まされました。選手たちの頑張る姿に生きる活力をもらったのです。2013年には東北で楽天がパ・リーグ初優勝。東日本大震災被災者にどれだけの活力を分けてくれたかは記憶に新しいところです。スタジアムという存在は、大地震でも壊れない頑丈さもさることながら、地震のあと、スポーツを通じて人に希望を与えてくれるところにも大きな価値が見いだせるのかもしれません。

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