「きみの作品、○○(ほかの作家の名前や作品)っぽいね」
このセリフに、イラッとさせられたことのある作家、志望者は多いのではないだろうか。(漫画、小説、イラストレーター、など職種を問わず)
まず模倣から、というのはどんな技術に関してもいわれることだが、自分がやるからには、生みだしたものはオリジナルであると思いたい。でなければ、自分がやる意味がない。
オリジナリティの否定、これがもっともへこむ。嫌いな作家との類似を指摘された日には、怒りすらおぼえるだろう。
画家の奈良美智さんが以前、ラッセンとファン層がかぶっている、との指摘をした者に対し、かなりご立腹だった。拒否感のある作家との類似性が世の公認となったら、創作者としては絶望的な気分になるだろう。
(ラッセンは作風以前に、売り方がイメージの悪化に拍車をかけている)
上記の考えから、オファーの仕方で作家をもっともイラつかせるのは、「○○(ほかの作家の名前や作品)っぽい感じで」というものだと思う。
それが一番伝わりやすい、合理的な提案の仕方なのは間違いないのだが、だったらそいつに頼め、とか、おれはそいつじゃない、といった自意識が作家の感情を濁らせる。
しかし、自分のオリジナリティに価値を感じてもらえるようになるまでは、そんな気持ちを飲み込んで、こつこつがんばっていくしかない。
スポーツ界の若手でも、第二の○○、とか、和製○○、といったふうな二つ名をつけられるのは、いやだろうなあ。
大先輩との類似は別
私の過去の漫画作品は、『ジョジョ』っぽい、といわれることがたびたびあった。
これはまったくイラつかない。はっきりと自覚のある、事実なのだから。畏れ多くすらある。
年代の離れている作家、作品との類似は、類似というよりも、ルーツ、という呼称のほうがふさわしい気がする。
小説家としての活動をするなかでも、何人かの作家との類似性を指摘されたことがある。読んだことがない作家の名もあった。その作家とは、これまで好んで読んできたものが重なっているのかもしれない。
あるときは、正岡子規との類似を指摘されたことがある。
えっ? あの、国語の教科書に載ってるレベルの大作家と!?
……外見のことだった!
あと病弱なところ。
各界に輝くおハゲ様
おハゲネタつながり。
小説界では、私は花村萬月先生が大好きである。編集者から、ならば会わせてあげようか、といわれたことがあるが、丁重にお断りした。
尊敬しすぎている人に会うのは、怖い。こいつアホだな、と思われたら絶望してしまう。
かつてジョジョの荒木飛呂彦先生にごあいさつさせていただいたときは、私は完全に舞いあがってしまい、自己紹介すらうまくできなかった。荒木先生の記憶には、あいつはだれだったんだ、という疑問しか残らなかったはず。
尊敬すべきおハゲ様。アニメ界では、なんといってもガンダムを生んだ富野由悠季監督。スポーツ界では、うーん……、マイケル・ジョーダンしか浮かばなかった。
役者でいうなら、外国人を入れてもいいなら、やはりこの人しかいない。
ブルース・ウィリス。キング・オブ・スキンヘッド。
作品はほとんど見ている。あきらかにやる気がないのもある。
『LOOPER/ルーパー』という作品をご存じだろうか。
出演歴のなかでは、たいした位置づけではないようだが、私はけっこう気に入っている。
・Amazon
気に入ってはいるが、鑑賞中、ある発見をしてしまい、没入感を失ったのを覚えている。
こんなカットがあったのだ。
悪い意味で似すぎている娘について考えていたかはわからないが、顔の中央あたりをよく見てほしい。
頭の毛がないのに……、頭の毛がないのに……!
鼻毛はボーボーか!
いや、はみでていたのは一本だけだったのだが、それだけにとても目立ってしまい、私の視線をつかんで離さなくなかった。私は集中力を失った。
監督さん、さすがに大役者に、「鼻毛でてるから抜いてきて」とはいいにくいだろうが、せめてCG加工で見えなくするといったことはできなかったのか。
(鼻毛にゅーん、に羞恥をおぼえるかどうかは、国によって違うのかもしれない。日本人はなぜ下の毛の手入れをしないのか、というのは外国人の疑問であるらしいし)
ゾロ目です
当ブログ看板漫画、ゆる四コマ『ペットボトルくん』
その22
夏近し、となりはなにを、する人ぞ。