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第百八十一話「道中」
翌朝。
俺たちは準備を終えて、小屋を出発した。
朝日はまだ登っていない。
森は暗く、シンと静まり返っていた。
「そんじゃ、ついてきて」
俺たちはトリスを先頭に、その森をさらに奥へと進んでいく。
太陽が出ていないため方角がわかりにくいが、
地面が傾斜している所を見ると、山の方へと移動しているらしい。
俺たちは誰一人、無駄口を叩くことなく、静かに移動した。
森は深く、どこまでも続いているかに思えた。
しかしある茂みを抜けると……、
「おぉ……」
唐突に森が開けた。
森の中に、大きな湖があった。
沼といってもいいが、やはり湖だろう。
高い崖と、背の高い森に挟まれた半月形の湖は、青く澄んでいた。
川や滝の類は無い。
湧き水だろうか。
「地図には、こんなものは書かれていなかったな」
「遠くからは見えない位置にあるからね。
うちの連中が管理してるから、地図が出回る事もないさ」
「へぇ」
ぽつりというと、トリスが説明をしてくれた。
俺たちは湖に沿って、崖に向かってあるいた。
崖の付近まで到達すると、トリスが石碑に向かって、何やら呪文を唱えた。
すると、湖に面した崖の一部が消失し、洞窟ができた。
「こっちだよ。滑りやすいから気をつけて」
トリスはそのまま崖の下、湖の縁を歩くように湖へと入っていった。
崖に面している部分は浅瀬になっているらしい。
水深は、膝ぐらいまでだろうか。
「ルーデウス! 早くいきましょう!」
エリスがそんなのを見て、目をキラッキラさせていた。
はやくあの洞窟の中に入りたくて仕方ないらしい。
彼女ももう20歳だろうに、こういう部分は昔とあんまり変わらない。
まあ、俺も狭い穴の中に入っていくのは大好きだから、人の事はいえないが。
「急ぐのはいいけど、馬を滑らせて水に落とさないように」
「わかってるわよ」
エリスはわかってない顔をしつつ、馬の松風をグイグイと引っ張って湖へと入っていった。
松風はあまり湖には入りたくなさそうだったが、
エリスに引っ張られて、水の中へと引きずり込まれた。
まるでカッパだな……。
エリスは相撲も強そうだ。
キュウリは好きなんだろうか。
あんまり好き嫌いするところ見たことないけど。
「ルディ、ボクたちも行こう」
「ああ」
シルフィに促され、俺たちはエリスを先頭に、一列になって馬を水の中へと入れた。
水は冷たい。
この時期でもこれほど冷たいのだ、冬になったらどうなるのだろうか。
馬とか凍え死ぬのではないだろうか。
いや、冬は湖が凍るから、より楽に移動できるのかもしれない。
ていうか、昨日は雨が降っていたし、もしかすると水かさが増してるのか。
普段はふくらはぎぐらいまでしか無いのかもしれない。
洞窟の入り口は上り坂となっており、すぐに水から上がることができた。
「さ、遅れないようについてきて、はぐれると厄介だからね」
薄暗い洞窟の中を、松明を持ったトリスが先導する。
一応、俺も灯火の精霊を召喚しておいた。
背後を振り返ると、ズボンを湿らせて困った顔をしているアリエルと目があった。
「アリエル様。乾かすのはあとでお願いします」
「ええ、わかっています」
アリエルは困り顔のまま、にこりと笑顔を作った。
「……」
結局、昨日トリスがアリエルの知り合いだった事については、「偶然のめぐり合わせ」という結論に落ち着いた。
偶然行き会った所を、アリエルがいつものカリスマで仲間に引き入れた。
そんな感じだ。
小屋の中は「さすがアリエル様」という空気が蔓延し、
なぜかエリスが不機嫌になっていた。
エリスの不機嫌さはさておき。
アリエルは本気で俺の支援をしてくれるようだ。
「……ルディ」
アリエルと見つめ合っていると、横合いからシルフィに声を掛けられた。
「なんだいシルフィ。我が愛しの妻よ」
「アリエル様をあんまり見つめないように、耳を引っ張るよ」
「わかったよ、シルフィだけを見つめていればいいんだね?」
耳を引っ張られた。
シルフィは、どうにもアリエルと仲良くするのはよくないらしい。
エリスとかロキシーはよくて、なぜかアリエルはダメ。
ナナホシはギリギリオーケーみたいな事を言ってたが……。
彼女の浮気の線引はどこにあるんだろうな。
引っ張ってもらったお返しに、後ろから耳を舐めておいた。
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洞窟の床は綺麗なタイル張りだった。
どうやら、人工のものらしい。
「こっから先は入り組んでるからね。決してはぐれないように。
魔物はあんまり出ないけど、たまに奥から出てくるから気をつけて。
あと、遠くに光が見えても、絶対に外に出ないように。
外はもう、赤竜の縄張りだからね」
と、いくつかトリスに注意を受けつつ、先へと進んだ。
洞窟内は天井が高く、幅も広かった。
しかしトリスの言うとおり曲がりくねっており、分岐も多かった。
迷宮ではない、人工のトンネル。
「なんか、凄いね」
シルフィがぽつりと言った。
「ルディ、ここって迷宮じゃないんだよね?」
「え? ああ、迷宮じゃないはずだ」
「こんな大きなトンネル、どうやって作られたんだろう……わかる?」
シルフィに聞かれ、俺は首をかしげた。
「うーん……赤竜が山に住み始めたのは400年前だそうだし、
それ以前に、炭鉱族とかが住んでた時の名残、とかかな?」
「あ、そっか……てことは、かなり古い坑道か何かなんだね」
シルフィと二人で会話をしつつ洞窟を歩く。
前方では、エリスが興味津々に変な道を覗きこんで、ギレーヌに引き戻されたりしている。
よくも悪くも、屋根のある所に一晩泊まった事で、少し気が緩んだのかもしれない。
「そういえばルディ……」
「何?」
「……ううん、なんでもない」
シルフィはそう言って、チラリと後ろを見る。
やや離れつつ、アリエル達がついてきている。
隊列が乱れてるな……。
あまり互いの距離を開けない方がいいだろう。
魔物は少ないようだが、はぐれても面白くないしな。
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洞窟を抜けた。
太陽の位置を見るに、時刻はちょうど、正午を回ったあたり。
出発した時刻から考えると、8時間ぐらいか。
出口は入り口と同様、魔術で隠蔽されていた。
違いといえば、森のど真ん中にあるぐらいか。
トリス曰く、朝方から夕方に掛けては、密入国の時間。
夕方から深夜に掛けては、密出国の時間だそうだ。
道中ですれ違わないようにしているらしい。
俺たちがあの小屋で待たされたのも、時間の関係だったというわけだ。
「はい、もうここはアスラ王国さ」
現在の位置としては、国境の南東に位置するらしい。
ここから南に移動すれば、ドナーティ領。
南東に移動すれば、フィットア領だ。
「アリエル様、入国おめでとうございます」
「えぇ……ありがとうございます」
トリスは戯けてそう言ったが、アリエルは疲労困憊だった。
ルークや他の従者とくらべても、アリエルの体力は低いようだ。
まあ、あの学校でもアリエルはカリスマ的な存在として君臨していた。
筋トレや魔トレ(魔術トレーニング)はできても、ジョギングのような事はできないか。
普段の生活でも、体力を使わなさそうだしな。
そんな彼女が筋肉痛も肉離れも起こさずに移動出来ているのは、
ひとえに治癒魔術のおかげだろう。
治癒魔術は筋肉痛、腰痛、肩こりにもよく効くのだ。
まあ、失われた体力まで回復できるわけじゃない。
何度か休憩をはさみつつ、森の外を目指すとしよう。
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そこからの旅も順調だった。
トリスは、アスラ王国の裏に張り巡らされた道を知っていた。
裏道といっても、別にやましい者が通る道ではない。
街と街をつなぐ街道以外にも、近隣の者が便利に使う小道が存在するのだ。
大抵が荷車が通るようなあぜ道で、王女の乗った馬車が通ると、物珍しそうな目を向けられた。
移動は素早く、予想していたオーベールの襲撃もなかった。
トリスの通ったルートのお陰……という見方もできるが、ヒトガミがこちらの位置を把握できていないとは言い切れない。
王都か王宮か、その辺りに戦力を集中させていると見るべきだろう。
その辺りはヒトガミの判断か、それともダリウスの判断か……まあ、どっちにしろ油断は禁物だ。
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道中、フィットア領の近くを通った。
復興をはじめてから数年経ち、ちらほらと麦畑ができている。
人々の顔にも活気が戻ってきているように見える。
だが、俺達の記憶にある、金色の海原のような麦畑はない。
あれを取り戻すまでには、もうあと十年は必要かもしれない。
エリスとシルフィは、二人で馬を並べ、広がる草原と麦畑を見ていた。
二人の顔は対照的だ。
懐かしそうな顔のシルフィ。
ムッとした顔のエリス。
「前に通った時より畑が増えてるね」
「そう? 覚えてないわ」
「はやく、復興するといいよね」
「……ふん、どうでもいいわ」
エリスは口をへの字に曲げつつ、ぷいっとそっぽを向いた。
「どうでもいいって事は無いでしょ。
ボクらの故郷なんだからさ。
戻ってこようとは思わないけど……エリスにだって知り合いぐらいいるでしょ?」
「いないわ。私は嫌われてたもの」
「そういえば、ボクも嫌われてたなぁ……」
シルフィはそう言って、懐かしげに目を細めた。
懐かしいな。
二人ともボッチだったが、対照的だった。
イジメられ、亀のように縮こまっていたシルフィ。
イジメられる前に相手をぶん殴って遠ざけたエリス。
当時の二人がつるめば、調度良くなったのではないだろうか。
……いや、ダメだな。
エリスがシルフィを殴って泣かせる光景しか目に浮かばない。
今のエリスは幾分か分別が付いているが、当時はそうではなかった。
そんなエリスとつるんだら、シルフィにとって地獄の日々になろう。
毎日ジャ○アンに殴られるノ○タのような日々だ。
今のシルフィなら、あるいはス○オになるしたたかさも持っているかもしれないが。
「シルフィ。言っとくけど」
「なに、エリス」
「私があそこに残っても、どうせ何も出来なかったわ」
「……?」
シルフィは小首を傾げた。
リスのようで可愛らしい。
「あ、そっか。エリスは領主様の所のお姫様だったっけ。なんか忘れてた」
「ふん、どうせお飾りよ」
「でも、風格はあるよ? 今のエリスが領主様になっても、違和感は無いんじゃないかな?」
「……そう?」
エリスの機嫌がよくなった。
単純で素晴らしい。
「でも、別に、領主になりたいわけじゃないわ。
どうせ私には務まらないもの」
「エリスは剣を振ってる方が似合ってるもんね」
「でしょ?」
シルフィのエリスヨイショが止まらない。
「でも、ちょっと違えば、エリスがアスラ王国で貴族やってた可能性もあるんだよね」
「無いわよ」
「ルディがエリスを擁立させて、影で操る感じでさ。
ルディの事だから、あっというまにエリスをボレアスの当主に据えたと思うんだ」
シルフィエットさん、そのルーデウスヨイショは買いかぶりすぎだよ。
「それで、ルディがボクをたらしこんで、アリエル様に近づいて。
ボレアスがアリエル派になって、エリスとルディを仲間にして、
それでダリウスとか、グラーヴェルと戦うんだ」
たらしこむって。
その場合、シルフィは俺にたらしこまれるつもりなのか。
ていうか、その場合、俺とシルフィは会えないんじゃなかろうか。
まあ、妄想だし、いいのか。
「別に、今と変わんないじゃない……」
「エリスはボレアスの当主で、ルディはその副官なんだよ。
きっと似合うと思うなぁ……」
「私は、毎日剣を振って、それでルーデウスと子供が作れればそれでいいわ」
エリスは臆面もなくそう言った。
聞いているこっちが恥ずかしい。
セクハラだわ。
「シルフィは、それだけじゃ満足できないの?」
「満足だよ。正直、ルディと結婚してから今まで、満足すぎる生活を送らせてもらったと思ってるよ」
「……」
「結婚してすぐの頃は、ボクもルディも猿みたいでさ。
二人きりの家でルディがすごいエッチな顔でボクを寝室に連れ込むんだよね。
ボクはボクで、今日もルディのものにされちゃうんだろうってドキドキで……。
って、これ昼間に話す事じゃないね」
ああ、そうだね、やめてくれると助かる。
さっきから、エリスが嫉妬してるのか、目がつり上がっている。
今晩中にすごいエッチな顔で茂みとかに連れ込まれかねない。
大歓迎だが、困ってしまう。
今はそんな事をしている暇はないのだ。
「ボクは現状に満足しちゃってるから、別の可能性について妄想しちゃうのかもしれないね」
「……私も、子供ができればそうなるのかしら」
「エリスとルディの子供かぁ、きっとエッチな子になるだろうね」
「どういう意味よ……」
俺の遺伝子を受け継いでいるなら、
例外なくスケベな奴になりそうではある。
となれば、ルーシーの将来が心配だ。
シルフィはそんなにスケベじゃないとしても、彼女の祖母はエリナリーゼだ。
俺の遺伝子が混ざることで先祖返りを起こし、
純朴な少年を食いまくるような子に育ってしまうかもしれない。
よし、道徳的な教育は、なるべく早い段階から密にしていくとしよう。
「はやく欲しいわね」
「すぐできるよ。エリスは人族だもん、ボクなんかより相性はいいはずだよ」
シルフィエットさん「なんかより」とはまた自虐的な言葉を吐くね。
少なくとも、体の相性は抜群だろうに。
俺のビーストは、今だってシルフィに二人目を作ってもらおうと虎視眈々と狙っているというのに。
「でも、今は子供より、ルーデウスを守る方が大事だわ」
「そうだね」
その後も会話は続いた。
他愛のない話だ。
家に帰ったら、シルフィがエリスに料理を教えるとか、
ロキシーは今頃どうしてるだろうとか、
フィットア領はご飯が美味しいとか、
中身のない、適当な話。
シルフィはよく喋ったが、エリスはそれほどおしゃべりではなく、お世辞にも会話が弾んでいたとは言いがたいかもしれない。
けれど、その会話の応酬は俺の耳には心地よく、シルフィを後ろから抱くような体勢は安心感を誘った。
いつどこから襲撃が来るかわからないと思いつつも、居眠りをしてしまいそうだ。
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十数日ほど移動に費やし、リケットという町に泊まることとなった。
ドナーティ領の端、アスラ王領との接続点となる大きな町だ。
北のものを中央へ、中央のものを北へと運ぶ役割を担っている。
ただ、南部から北部へと物資を運ぶ行商人は、その逆に比べてさほど多くない。
そのため、ドナーティ領の各村の庄屋のような人間が多く集まっている。
自分たちの収穫物を南に流し、各地の収穫物を買い付けるのだ。
アスラ王国内における重要な交易点といった感じだ。
それにしても、さすがアスラ王国という所だろうか。
こんな乗換駅みたいな町でも、その大きさは魔法都市シャリーアよりも大きい。
本来なら、王都までは姿を隠して近づきたい所である。
各村で情報収集はしているものの、追手の動きも見えていないのだ。
これだけ大きな町ならば、隠れ場所や襲撃場所にこまる事もあるまい。
なら逆に、こちらも隠れるのに困らない。
そう思う所だが、残念ながらこっちは目立つ。
アリエルは名乗りはしないものの、ギレーヌ、エリス、シルフィと。
外見的に目立つ面々が連なっている。
アスラ王国内においては、ルークも有名人だ。
しかし、この町を避ける事は出来ない。
トリスは確かに道に詳しいが、道を作っているわけではない。
そして、道というものは、どこかとどこかを繋ぐものだ。
と、詩的な表現をしてみたが、なんの事はない。
ドナーティ領から王都に至るための道は、この町からしか出ていないという話だ。
そういう位置だからこそ、この町で襲撃を受ける可能性は高い。
関所の次のチェックポイントだ。
と、思っていたのだが。
町の入り口で衛兵に呼び止められる事は無く、
町中で道を塞ぐように鎧姿の兵士たちが立ちふさがっているという事もなく。
トリスの案内で潜伏するのにもってこいな宿に移動した。
一見すると普通の宿だが、トリスの組織の息の掛かった者だけで構成されているヤクザな宿だ。
前後左右の建物が全て組織の所有物であり、いざという時は地下通路を使って脱出もできる。
さながら忍者屋敷だな。
アリエルは宿へと引きこもり、トリスは情報収集へ。
残った面々は、アリエルの護衛となった。
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現在、俺とギレーヌが一階の階段を、
エリスとシルフィが、二階でアリエルの部屋を、
それぞれ担当して見張っている。
従者二人は変装して買い出し、ルークはアリエルと一緒に部屋にいる。
さすがにないとは思うが、ルークが血迷ってアリエルを刺したりしない事を祈ろう。
血迷ったとしても、押し倒すぐらいだったらいいんだが……。
それにしても。
と、ギレーヌを見る。
「……」
彼女は階段の脇に立ち、耳をピンと立てつつ入り口の方を見ていた。
ここ最近、ギレーヌとはあまり会話をしていない。
彼女は、俺以上に真剣に護衛という役割に従事している。
こうして見張りをしている時に話しかけても、
音が聞こえんだのなんだのと言って、会話を切られてしまう。
もしかすると、俺は彼女に嫌われているのだろうか。
そんな気持ちすら芽生える。
だが、エリスとすらほとんど会話をしていない所を見ると、単に真面目なだけだろう。
「ルーデウス」
しかし、今日は彼女の方から話しかけてきた。
「はい、なんでしょう」
「この間は助かった」
……この間って、いつの事だろうか。
「ウィ・ターの目潰しだ」
ああ、森の戦いの事か。
「いえ、サポートは後衛の役割ですから」
「ああした場面で機転を利かせられるのは、昔からあまり変わらんな」
昔というと、今から10年前か……。
あの頃から見て、自分では結構変わったつもりだ。
けど、ギレーヌの目からみると、そんな変わっては見えないのか。
「機転を効かせた所で、通用した事は、あまりないんですけどね」
「通用しない相手は、エリスお嬢様に頼ればいい」
おや。
ギレーヌがそんな事を言うとは。
もっと、こう、一人でなんとかするタイプかと思っていた。
「エリスお嬢様は、そのために頑張ってきたのだからな」
「……そうですね」
なんだろうな。
シルフィとかロキシーは、家でじっとしていて欲しいと思うのだが、
なぜかエリスに関してはそう思わない。
ギレーヌの言う通り、エリスがそのために頑張ってきたからだろう。
努力は成果を発揮してこそだ。
家でじっとしているエリスの姿が思い浮かばないのもあるが。
ていうかエリス、子供欲しいとか言ってるけど、妊娠期間にじっとしてられるのだろうか。
心配だなぁ……。
「……」
それきり、会話が途切れてしまった。
どうしよう。
何話せばいいんだろうか。
昔の事、ええと、ええと。
「そういえばギレーヌ、読み書きの練習とかは、まだ続けてます?」
「ああ、教わった通りにな。できる時にはやっている。
せっかく教わったものを忘れては申し訳ないからな」
素晴らしい姿勢だ。
ほとんど憶えてないエリスにも見習わせてやりたいな。
「あたしが文字を書けるというのを、剣の聖地の連中はなかなか信じなかったな」
「でも、実際書けるんだから、すぐに信じてもらえたでしょう?」
「……いや、連中のほとんどは読み書きが出来ないからな、実際書いてみても適当に書きなぐっているだけだろうと笑われた」
「ははっ」
その光景はちょっと見てみたかったな。
「お前の方はどうだ? きちんと剣を振っているか?」
「そこそこですね。余裕のあるときは体力づくりも含めて、素振りと教わった型をやっています」
「お前は魔術師だから、もうやめているかと思った」
「魔術師でも、筋肉は必要ですからね」
俺はもう剣術で上は目指していない。
目標であったパウロもいなくなってしまった。
剣術はノルンに少し教えているぐらいだ。
やはり、この世界の剣術において、闘気を纏えないというのは致命的だよ。
「そうだ、ルーデウス。昔の約束を覚えているか?」
「昔の約束?」
「忘れたか。あたしの人形を作るという話だ」
ああ、そういえばそんな話もしたな。
あれは、俺の10歳の誕生日の事か。
懐かしいな。
「誰かに聞いたが、お前は、今でも人形を作っているのだろう?
もし暇ができたら、また作ってくれ」
「ええ、もちろん」
「あたしは芸術はよくわからんが、お前の作る人形は好きだ」
それはありがたい話だが……。
どうしてこの世界の人間は、戦いの前にそういう話をするのだろうか。
なんだか不安になってくるんだが。
死亡フラグじゃあるまいな。
いや、わかるよ。
逆なんだ。
俺は前世の知識を持っているから、決戦前に決戦後の事を話すのは死亡フラグとか考えてしまう。
でも逆だ。
生き残るための理由をいちいち確認していかないと、いざという時に生死を分けてしまうのだ。
「ん」
と、ギレーヌが鼻と耳をピクリと動かした。
俺は即座に杖を構え、警戒態勢を取るが、ギレーヌに手で制された。
「いや、大丈夫だ」
扉を開けて宿に入って来たのは、トリスだった。
彼女は両手に袋を持ち、足で扉を閉めた。
俺たちの方につかつかと歩いてくると、袋の一つを差し出した。
「お疲れさん。はい、差し入れだよ」
「ありがとうございます」
「トリス姉さんに感謝しながらいただくように」
受け取って中を見ると、梨に似た果物が入っていた。
一つ取り出して、ギレーヌに放ると、彼女は皮も剥かずにバリバリと食べ始めた。
「んじゃ、頑張ってな」
トリスは手をひらひらと振りつつ、宿の二階へと上がっていった。
彼女も、ここ十数日で、かなり一行に慣れてきたと思う。
タイプとしては、従者二人と一緒。
アリエル信者だな。
ちょっと口が悪いけど、悪い人ではない。
露出度の高い服装をしてるから、目のやり場にこまるぐらいだ。
露出度という点では、ギレーヌもそう大差ないが、こっちは戦士の美術だ。
筋肉は芸術なのだ。
「今日のトリスは機嫌がよかったな」
「そうですね、何かあったんでしょうか」
なんて話しつつ、俺も梨を手に取った。
ナイフを使って皮を剥いて、一口。
シャリシャリとした口当たりだが、味には甘みが少ない、酸っぱい。
この世界の果物は、あんまりそのまま食べるのに適してないな。
まあ、まずくはないけど。
「いい情報が手に入ったんだろう。ギースもそうだったが、そういう時、あの手の連中はやたらと機嫌がよくなる」
「なるほど」
アリエルは、トリスにあれこれと情報収集をさせている。
オーベールやダリウスの私兵の居場所から、何からなにまで。
気になるものは全て自分に報告させている。
その膨大な情報を整理、取捨選択した後、俺へと相談を持ち掛けてくる。
俺としては重要な情報を聞き漏らす可能性もあるわけだが……。
それに関しては仕方がないと諦める他ないだろう。
全てをコントロールできるほど、俺は有能ではないのだから。
「そういえば、ギースはアスラ王国に行くとか言ってました。
もしかすると、どこかで会えるかもしれませんね」
「いるなら、向こうから見つけてくるだろう」
そうだろうな。
ギースはそういうタイプだ。
向こうから見つけてきて、でもその場では接触は図らず、
感動の再会を演出しようとするのだ。
「だが、奴の事だ。どうせすぐにギャンブルで金をすって、別の国に移動したはずだ」
「ギースって、ギャンブルうまいんじゃ?」
「金のない時はな」
これはロキシーから聞いた話になるが。
アスラ王国というのは、あまり冒険者が暮らしやすくない国らしい。
もともと魔物自体が少ないのに加えて、
小さな村にも騎士が派遣されている上、
騎士団や魔術師団が、演習や研修を兼ねて定期的に魔物狩りをする。
ゆえに討伐系の依頼は無きに等しい。
大手の商会は採取団のようなものを持っているため、採取や収集の依頼も無い。
危険地帯も少なく、比較的安全な場所が多いため護衛の依頼も無い。
あるものといえば、人探しや配達といった地味で時間の掛かる仕事だ。
時期によっては農作業の手伝いなんかもあるらしいが、
とにかく、他国に比べて「冒険者の仕事」は無きに等しい。
その傾向は首都である王都アルスに近づけば近づくほど顕著で、
若者の中には一定数、冒険者になりたがるのもいるそうだが、
ランクが上がるにつれてフィットア領やドナーティ領といった地方に移動し、
さらにランクが上がれば、南部や北部へと移動してしまう。
人並み以上の腕を持っているか、きちんとした教育を受けているなら、
家庭教師や用心棒といった仕事にもありつけるそうだが、そんなのは一握りだし、
そもそも冒険者である必要もない。
要するに、アスラ王国という国は、冒険者がやるべき事に関して、すでに専門の業者が出来てしまっている事が多いため、身元不明の荒くれ者を必要としていないのだ。
ミリス神聖国に冒険者ギルドの本部があるのも、わかる話である。
「……ん?」
などと話していると、ギレーヌがまた耳を動かした。
表情が少し険しい
今度こそ敵襲かもしれない。
俺は梨のヘタを放り捨てて杖を握って、入り口を睨む。
しかし、ギレーヌが見ているのは入り口の扉ではなかった。
階段の上だ。
耳を済ますと、階段の上から、誰かの言い争うような声が聞こえてくる。
なんだ?
「ちょっと、見てきます」
「ああ」
階段をあがると、シルフィとエリスが心配そうな顔で扉を見ていた。
何か問題が起きたのだろうか。
「シルフィ」
「あ、ルディ。さっき、トリスさんが帰ってきたんだけど、
なんか、アリエル様とルークが喧嘩を始めちゃって」
「……」
アリエルとルークが喧嘩?
おいおい、ルークの事は任せろって言ったのに……。
いや、喧嘩も時には重要か?
「失礼、ルーデウスです。入りますよ」
一応、ノックをしてから、返事を待たずに部屋へと入り込んだ。
そこには、立ち上がって顔面を蒼白にしたルーク、
椅子に座り、すました顔のアリエル。
そして、困った顔のトリスがいた。
「ルーデウス様、いい所にまいられました」
アリエルは俺の顔を見ると、すまし顔のまま、言った。
「何かありましたか?」
「はい。トリスが情報を持ってきてくれました」
その情報を持ってきたトリスは、困り顔だ。
「どんな情報でしょうか」
「……サウロス・ボレアス・グレイラットに関する情報です」
サウロスの。
てことは、ギレーヌとの約束に関する事か。
トリスに調べさせていたのか。
「アスラ王宮での出来事は、
王都よりも、むしろこうした地方都市の方が知っている者がいるのです。
知ってはいけない事を知ってしまった者が王都に住んでいれば、
不安に思った貴族に殺されてしまいますからね」
そういうものなのだろうか。
「それで、サウロス様を陥れた者の、主犯が誰か、わかりました」
「主犯……ですか?」
「……」
ルークが怖い顔をしている。
アリエルは能面だ。
感情のない顔だ。
「やはり、私たちの陣営の者が動いていたようです。
その上、サウロス様に個人的な恨みがあった人物……」
アリエルは間髪入れずに言った。
「ピレモン・ノトス・グレイラットです」
ピレモンがサウロスを殺した。
まあ、ありそうな事だろう。
ノトスはアリエル派の筆頭貴族だった。
逆にボレアスは、グラーヴェル派。
敵同士だ。
その上で、ピレモンがサウロスの事を個人的に嫌っていたら。
チャンスに動かない理由が無い。
とはいえ、予想できた事だろう。
サウロスはなんだかんだ言って、当時まだ領主だった。
領地を失っても、第一王子派の庇護にあったのであれば、
同じぐらいの力を持つ貴族でなければ、失脚させられなかったかもしれない。
「……それで、アリエル様はどうするつもりなんですか?」
「約束通り、ギレーヌに斬らせます」
ルークがぐっと唇を噛んだ。
なるほど、それで怒ってるのか。
アリエルも、ルークが家を大事にしていると知っていて、よく言えるものだ。
これでは、ルークよりギレーヌを取ると言っているようなものではなかろうか。
「しかし、それはあくまで、ピレモン様が……ノトス家が本当に裏切っていた場合に限ります。
まだ、情報の段階で確定ではありませんからね」
「…………」
「もし裏切っていた場合は、その時はピレモンを処刑し、ルークを当主へと任命するつもりです」
「もし裏切っていなかった場合は?」
「ギレーヌを説得し、別の者だけで我慢していただきます」
「別の者って……」
ああ、そうか、ピレモンは主犯というだけで他にもいるのか。
身内は生かして、他は殺す。
利己的だが仕方あるまい。
俺だって、目に見えない範囲の人間まで気にかける余裕はないし、聖人でもない。
「ルーク、いいですね?」
「……裏切りも、主犯も、確証のある話では、ありません」
ルークは苦い顔をしていた。
頭では理解しているが、心では理解していないって顔だ。
親を殺されると聞いても喚かない。
「何者かが、我々を陥れようとしているのかも……」
そう言いつつ、ちらりと俺を見る。
「ルーク、安心なさい。
前にも言った通り、ルーデウス様が、ノトス家を乗っ取る事はありません」
「アリエル様、その話をルーデウスの前でするのは……!」
「いいえ、前だからこそ、はっきりと言って置かなければなりません」
アリエルは息を大きく吸い込み、宣言するように言った。
「例え、この度の戦いでどれだけ功績を残そうとも、
私はルーデウス様に貴族の位を与えるつもりは、一切ありませんので」
俺ももらうつもりはない。
そんな話は考えたこともない。
「……」
だが、これを聞いた時のルークの顔。
まるで、俺が本格的に敵に回ったかのような顔をしていた。
---
翌日、アリエルから報告があった。
昨日の喧嘩のおかげで、ようやくルークが口を割ったらしい。
結論からいうと、ルークはやはりヒトガミの助言を受けていた。
ルークが受けた助言は一つ。
時期は、旅の準備をしている間。
概要としては『ルーデウスの裏切りに注意しろ』といったものだそうだ。
ヒトガミ曰く。
ルーデウスはノトス家の領主になるべく、ダリウス側についたそうだ。
目的は地位と金とアリエルの体。
それをシルフィに悟られる事なく、暗躍しているらしい。
昼間はアリエルの味方をしつつ罠へと誘い、
夜中にはダリウス側の間者と手引きして情報を伝える。
何から何まで、数年前から俺が秘密裏に計画していたものだったそうだ。
シルフィと結婚したのも、これを見越しての事だそうで。
実に根回し上手で有能なルーデウスだ。
俺と交換して欲しいぐらいだな。
それぐらい冷酷に立ち回れるなら、人生もっと楽に生きられるだろう。
ルークも最初は「ルーデウスが地位に興味があるとは思えない」と、信じなかったようだ。
彼にそれほど信用されているとは思っていなかったが、これも日頃の行いか。
だが、最近になって転移魔法陣が破壊やら、ノトス家の裏切りやら、ヒトガミの予言が的中しはじめた。
こうなって来ると、ルークの俺への信頼は脆くも崩れ去る。
彼はあっさりとヒトガミを信じて、俺に疑いの目を向けるようになったというわけだ。
ちなみに、今もまだ疑っているらしい。
アリエルからは行動で示せとのお達しだ。
ルークが今後、何かしようとしても抑える、とアリエルは自信を持って言っていた。
まあ、ルークが受けた助言がその程度なら、ひとまずは安心していいだろう。
実際には、俺はダリウスなんて顔も見たこと無いわけだし、
パウロの実家にも興味ないわけだし、
アリエルの体も別にいらないわけだしな。
ルークがどれだけ疑っても、決してその通りにはならない嘘だ。
ヒトガミにしてはお粗末な助言だ。
奴がルークに期待していないってのも、よく分かる。
ともあれ、そんなお粗末な話でも、疑われている俺では聞き出せなかっただろう。
やはり適材適所というものは大事だな。
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翌日には町を出立した。
ルークは俺を敵視し、極力俺とアリエルを二人きりにしないようにと立ちまわっていた。
アリエルが俺を貴族にしないと宣言した事で、
俺がアリエルを殺して、その首をグラーヴェルの所に届けるとでも思っているのだろう。
しかし、そう思われるのは別に悪くはなかった。
ルークの考えがわかることで、
ルークの行動が制限されることで、
旅の最中に心配すべき事はひとつ減った。
そこまで見越していたのかはわからないが、
アリエルの手腕は流石だと褒めるべきだろう。
そうそう、それとサウロスの仇について、アリエルの口からギレーヌとエリスに伝えられた。
「――と、いうわけで、私の陣営の者がサウロス様を陥れた可能性が濃厚なようです」
「そうか」
「ふぅん」
ギレーヌは殺意のこもった目を、エリスは興味なさそうな目をしていた。
でも、エリスがその会話にまったく興味が無いわけではないのは、彼女の腰の剣に添えられた手を見ればわかる。
柄頭を掴んだその指には、真っ白になるほど、力が込められていた。
「ギレーヌ、私を斬りますか?」
「……いや、あたしは、あんたが用意してくれた敵を斬ろう」
ギレーヌは、ピレモンを斬る事にこだわりは無いようだった。
説得の必要もあるかと思っていたが、ギレーヌなりに考えた結果だろう。
エリスは無言だった。
けれど、ギレーヌの言葉に追従するように頷いた。
「そうね、私もルーデウスの邪魔になる相手なら、斬るわ」
エリスはいつもどおりだ。
あとは、王都で決着をつけるだけだ。
そう考えながら、約20日。
幾つもの迂回ルートを取りつつ、俺達はアスラ王国首都。
王都アルスへと到着することとなる。
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