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第3部「福祉に届かない声」 |
(1)薄氷の老老介護 結末は殺害 〜母も倒れ 長男に負担 |
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夕方、お年寄りがデイサービスセンターを後にする。入浴や食事の介護を受け、一日を過ごした(京都市中京区) |
五十九歳になる息子を、老いた母(八五)は精いっぱいかばった。しわを深く刻み、背の曲がった小さな体をうつむける。
夫が脳梗塞(こうそく)で倒れ、四年四カ月。「ずっと私が介護してたんですけど…」。その九十一歳の夫を長男が殺(あや)めてしまった。今年一月七日。京都市下京区の自宅。
「私が入院したのが悪かったんです、私が」。遺族であり、加害者の親でもある悲しみがやせた肩に重くのしかかる。
リウマチを悪化させ、母は年末に救急車で運ばれた。父の介護計画を立案するケアマネジャーがそれを聞いたのは、年末年始休が明けてから。あわてて駆けつけた。支えていた母親が要介護度3と重い状態に陥ったことを知った。
傍らの長男は父の介護が「しんどい」と言い、ケアマネに介護施設への入所を頼んだ。両親との三人暮らし。疲労がにじんでいた。ケアマネは翌日に手配したが「どこも空きはない」。年末年始は短期入所も満床で、予約待ちとなった。
同じ日。父は近くのデイサービスセンターに顔を出していた。職員にちゃかされる。「山男みたいやな」。新年最初の開所日。いつもセンターでそってもらうひげが一週間分伸びていた。
右手足にまひが残っている。リハビリで始めた塗り絵を、左手で丁寧に描いた。顔は赤く、目をとろんとさせたひな人形の絵。風邪で熱のあった自身を重ねたのか。
世間体からヘルパーは入れず
正月に九十一歳を迎えた父に、職員はハッピーバースデーの歌と拍手を送った。元気にあいさつする父。「百二十歳まで頑張ります」
母が父をみる「老老介護」の家族だったが、ケアマネからみれば「それほど介護疲れしている家庭ではなかった」。その生活が母の入院で一変する。
三度の食事を長男がつくる。薬とともに食卓に並べ、そのつど後片付けに立つ。掃除、洗濯、買い物…。風呂や着替えの介助、父の寝床も整えた。風邪をひいた父が尿を漏らすたび下着を替え、床を拭き、汚れ物を洗う。夜遅く、やっと自分の時間ができたが、疲れ切ってすぐに寝てしまう。母の見舞いもある。建築設計士の仕事も放っておけない。
「将来の生活に不安とプレッシャーを感じた。ヘルパーは世間体から自宅に入れたくなかった」。長男は取り調べにそう供述する。
一月七日午前九時。デイサービスセンターの職員が電話をかけた。お父さんはインフルエンザでしたか? 「昨日病院へ連れて行った」と答えた長男に変わったところはなかった。それから二時間後、事件は起こった。
寝たきりや重い認知症といった要介護度の高いお年寄りと穏やかに暮らす家族もいる。介護する側の心の負担は見た目で推し量れない。
長男は自ら一一〇番し、そして駆けつけた捜査員にもらした。
「介護に疲れました」
◇
医療制度や介護保険、生活保護といった弱者を支える制度に改革の風が吹き寄せる。「制度」にあおられても、必ずしも人はSOSをうまく発せられない。その思いを社会がくみ取れないとき、悲劇は生まれる。介護殺人、餓死、虐待…。支える力は十分だったのか。社会の片隅で起こった事件を見つめ直し、背景を追った。
高齢者虐待 相次ぐ事件
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高齢者と養護者(家族)の思い/高齢者の虐待についての認識 |
お年寄りが家族に殺される事件が京都で相次いでいる。今年二月、伏見区で無職男性が認知症の母を殺害し、無理心中を図った。介護に専念し、生活保護を申請したが断られていた。二週間後。東山区で七十二歳の夫が七十一歳の妻の命を絶った。昨年も十一月に京都市で妻を夫が殺害する事件が三件発生。七十八歳の母を息子が殺害するなど痛ましい事件が起こっている。
昨年京都で起きた殺人事件は三十三件と過去五年で最も多かった。京都府警によると、検挙した三十件のうち、配偶者や親子ら親族による犯行が九件を占める。滋賀県でも二〇〇四年、寝たきりの難病の妻(六〇)を夫が絞殺した嘱託殺人事件があった。
無理心中も含め、高齢者や難病患者の命が奪われる事件の背景には、介護負担だけでなく、経済的負担や失業、家族関係の問題などが重なり合っている。介護ヘルパーが訪問していたり、生活保護の窓口を介護者が訪れたりするなど、福祉行政と接点があったにもかかわらず、最悪の事態に発展した例も少なくない。
家族の問題 「介入」「見守り」悩ましく
追い込まれた家族にどうやって気付き、地域や福祉が支えられるのか。「ネットワークで支える」といわれて久しいが、京都、滋賀の対応は遅れている。
京都府が〇四年、府内の在宅介護支援センター約百八十カ所にアンケート調査(有効回答78%)したところ、七割の施設が利用者や相談者に虐待例があったと回答した。虐待を受けている人は三百四十六人にも上った。虐待継続のまま死亡した人も一割。深刻度が生命にかかわる危険な状態も一割あり、暗然とせざるをえない。滋賀県も本年度、アンケート調査を実施し、とりまとめている段階だ。
四月から高齢者虐待防止法が施行される。虐待発見者に市町村への通報義務を課し、市町村は届け出窓口を設置、高齢者や家族を保護するための緊急ショートステイの機会を確保するとしている。現行法でも市町村長による「措置」介入で、虐待を受けたお年寄りを施設保護できるが、その数は介護保険の実施後、京都市で十一件にとどまっている。
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京都市は昨夏、虐待事例研究会をつくり、高齢者虐待の事例約百八十件を分析した。虐待を受けている高齢者の二割が「このままでいい」と回答。家族をかばって虐待を受け入れているか、認知症などで自覚がないため、と研究会はみる。
虐待の定義があいまいななかで、どうサポートすればいいのか。例え危険な徴候に気付いても、生命の危険にまで及ばない場合、個人情報保護の壁があり、地域と福祉事業者、行政、医療などの関係者の情報共有は進まない。どの段階で介入に踏み切ればいいのか、マニュアルで判断できない。本人や家族の同意が得られない状況で、お年寄りを施設に入れ、家族を分離すればいいのかどうか。「それで解決にならないところが難しい」と関係者はうめく。
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介護殺人事件の背景を追うと、福祉制度の問題点がいくつか浮かび上がってくる。
施設入所を家族は希望したが、順番待ち状態で空きがなかった。典型的な「老老介護」だったが、母が入院し、息子が介護者になるという事態に、ケアは不十分だった。家族には介護ヘルパーを家に入れることへの心理的抵抗もあった。
研究会の事例研究によれば、京都市下京区の介護殺人事件は、虐待の「リスク因子が高い」ケースにあてはまる。介護サービスの利用に消極的▽高齢者の身体状況が著しく低下▽男性介護者の場合、慣れない家事と介護、仕事との両立で負担能力を超えやすい−。介護する側をどう支えるか、見守り態勢の構築は容易ではない。
京都弁護士会の「高齢者・障害者支援センター」の弁護士は「福祉や医療のエアポケットでトラブルが起きている。しんどくても声を出せない人が孤立を深め、爆発してしまう」と指摘する。医療や福祉サービスを利用することに抵抗感があったり、世間体を気にしたりして、SOSを発信できない人にどうかかわるか。課題は重い。
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