それはどんなキッカケですか?

特別な人間、の定義は皆さんの解釈で結構です。

A 回答 (7件)

物心が付いた頃から特別じゃ無かったなぁ


自転車に乗れた時は嬉しくて今でも良い思い出、今は普通以下かな?でも楽しみも悩みも普通に有るし、欲も普通に有るし、これくらいの人間で良かった。
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ものごころついた時かなぁ。

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良きにつけ、悪しきにつけ、特別な人間と出会った時。



特別優秀な人とか、特別アホなやつとか!!
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自分が特別な人間だと思ったことがないですね…。

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団塊世代の爺です。

自分が特別な人間でないと気づいたキッカケは、いつかと問われれば、何時でもと言えますが、常に関係する人間が大きく変わった時ですね。
特別な人間の定義は自由ということですので先ずは学校の成績から書きます。もっとも「特別」の意味が学校の成績指標から個性の豊かさにかわりましたことを先ず明らかにしておきます。
小学生の時期は「地頭の良し悪し」とか「努力の効果」など全く分らず自覚もない時期ですので、学校の成績だけで自分を評価していました。小学校のときはまあ成績が良く、教師や大人に褒められることも多く、自分は頭が良いのだろうとオボロゲナガラ思い上がりも含めて感じていました。
中学校に行くと3つの小学校から生徒が集まるなかで成績もクラス順位と学年順位が発表されますから自分の試験の成績位置がはっきりわかります。ここでは中くらいの上位にいましたから、自分はそんなに優秀な頭、特別な頭を持っていないらしいと自覚しました。同時に学校の成績以外に、歌が非常に上手かったり運動能力抜群の目立つ生徒がいましたから「特別」の意味にはいろんな視点があるのだなと考えが少し深まりました。
高校に行きますと更に多くの中学校出身者が来ます。小生は得意科目と不得意科目の成績差が大きく、国語や古文、漢文、世界史、生物などは学年で上位にいましたが、数学などは常に赤点。職員室への呼び出しもたびたびでした。英語や化学も中の下くらいでした。
クラス分けも進学コース別でしたから自分が私立大学文化系に振り分けられたとき「なるほどそうだろうな。」と妙に納得したものです。数Ⅲがサラリと終わり嬉しかったですね。この時代は抜群に数学の得意な仲間と出会い、(東工大希望でしたが数学配点が確か400点でしたから)優秀さに呆れてしまいました。
特別というのは個性なのかなと強く思いましたね。だから自分は**の部分が特別に有能との個性が有る。そんな有能さがあるらしい。しかし全くダメな部分がある。つまり触れ合う仲間全員が個性に従った特別な生徒なのだと受け止められました。(したがって優越感も劣等感も無い生徒でした。)
大学は学生運動や紛争の時代でした。私立大学に進学しましたが、今となってはあたりまえですが教授のスゴサを知らされたり、対話を通じてモノスゴイ思考力の優秀さで地頭が良いと思える仲間がいて、ああ自分は個性はそれなりに強いが成績優秀とは到底言えない。地頭も普通レベル。成績に限れば全く特別ではないとの結論になりました。

人生も65年過ぎますと経験は多く、「特別」の意味内容も細分化し、レベル評価も幅広くなります。一般職員(いわゆるヒラ)の場合には、接遇力や事務の早さ、計算を間違えない事などで仲間どおし競争の立場です。もちろん先輩から教わるのが上手い仲間や後輩から慕われる能力など、到底自分は「特別」ではないなと思っていました。ここでも特別とは「個性」の違いが明らかでした。
職場で管理職になりますといやでも業務管理に加え人事評価をしなければなりません。評価が不適切ですと自分の評価が悪くなってしまいますし、何より部下に失礼です。最初の人事評価では人事管理の参考書をひもときながら公平・公正な評価となるよう相当気を使いました。
もっとも職場での評価は「求められる能力を発揮して会社に貢献したか、お客様に役立つ勤務振りか」が対象です。若い一般職であれば課題解決の適切さや速度などが内勤での評価ですし、接遇など対話力が内勤・外勤に必要な評価項目です。言い換えれば、改善に向けた学習意欲や執務態度などで済みます。この時代から出身大学など全く関係ないと思いました。
主任や係長の評価では、課題発見や解決の道筋構築能力と意欲、加えて指導能力や他部署との交渉力が問われます。もちろんこれらを基礎とする成果があがるか評価されます。
課長クラスでは、会社のビジョンが分かっているか、管理職として新たな方向性が打ち出されるか、組織管理、人事管理能力はどうか、社会経済情勢の分析、コンプライアンスへの取り組みなど評価範囲が異なってきます。経営能力や交渉力は勤務の中で学習し磨かれると言えます。出身大学や専攻などは関係ありませんね。(もっとも専門によって思考の特色は感じました。これも個性ですが。)
小生は部長職で定年となりました。専門職については記述を省略しますが、現在は自分の経験をいかして士業に励み、社会貢献に努めております。
老人はクドイです。繰り返します。人間における「特別」とは「個性なり」との評価用語・定義で良いというのが結論です。暇なおりに、男女について、一流アスリートや病気で苦しんでおられる方・障碍をお持ちの方とご自分について考えてみてください。きっと小生の定義に賛同いただけるのではないでしょうか。
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「天狗の鼻をへし折られた時」


「井の中の蛙」状態で、自分が一番だと思っていたが、大海へ出てみたら、自分と同じレベルはうじゃうじゃいて、自分の手の届かない上のレベルの人もいた。
自分はただの凡人で、特別な人間ではないと悟った。
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幼稚園時代、思いを寄せていた女の子に冷たくあしらわれたとき。

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