シリーズ・新川敏光を読む。
本論文は、共著を除けば*おそらく新川の最初の政治学論文である。新川が25歳の時、東北大学大学院法学研究科後期課程在学中に発表された。
* 共著論文としては、「東北大学法学部大嶽ゼミ」名義で発表された「環境行政にみる現代日本政治の研究」（『中央公論』97巻9号、1982年9月）がある。これは畠山弘文との共著である。
１ 「大嶽秀夫以後」と新川敏光
本論文は、さまざまな意味で「大嶽秀夫以後」とも言うべき文脈で書かれたものである。それは、たんに指導教官の大嶽の研究指導下で書かれたというだけでなく、大嶽の多元主義「以後」という問題関心に基づいて、新川の研究活動は開始されたものと見ることができる。
70年代後半に大嶽秀夫が多元主義を導入したことは、日本の政治学シーンに大きな影響を及ぼすこととなった。具体的には、国家論や制度論を内容とする、「多元主義以後」の理論を模索する動きである。当時、米国においてはすでに「多元主義以後」の理論潮流が盛んとなっていた（石田徹『自由民主主義体制分析』）。そして日本においても、大嶽秀夫以後、ほどなくして本格的な多元主義批判が登場した。その一翼を担ったのが、大嶽の「弟子」にあたる新川敏光である。
新川が大嶽秀夫に出会ったのは、1978年、東北大学法学部の学部生であった21歳の時である。この年の4月、『現代日本の政治権力経済権力』の出版を間近に控えた大嶽秀夫助教授が、専修大学から東北大学川内キャンパスに移ってきた。
「若々しく颯爽とした先生の姿が、瞼に焼きついている。」（新川「大嶽秀夫先生のご退職に寄せて」61頁）当時、熱心なマルクスの読者であった新川は、大嶽の講義・演習に参加し、大きな影響を受けることになる。
「学生時代マルクスを耽読し、経済学史に興味をもっていた私が、政治学専攻で大学院に進学するきっかけとなったのは、大嶽先生との出会いであった。講義では、ダーレンドルフやギデンズ、ゲーム理論から戦後産業政策といったテーマに、脈絡はわからないならも、新鮮味を感じ、演習では、先生の鋭い舌鋒に震え上がりながらも、実証研究のおもしろさを実感した。大学院進学後、労働政治という研究テーマ設定から留学にいたるまで、私の選択は全て大嶽先生の助言に基づくものであった。」（新川「大嶽秀夫先生のご退職に寄せて」62頁）こうして、1980年4月に新川は大学院に進学する。しかし実は、大嶽の「弟子」として指導を受けた期間は、それほど長くはない。というのも、3年後の1983年4月、大嶽は西ドイツに在外留学に出てしまい、また新川自身も、1984年9月にカナダのトロント大学博士課程に進んだからである。
「実は私が大嶽先生の研究指導を直接受けたのは、2年あまりにすぎない。」（新川「大嶽秀夫先生のご退職に寄せて」62頁）とはいえ、新川がのちに「私がそもそも現代政治研究に手を染めるようになったのは、大嶽秀夫先生の御指導による」（新川『日本型福祉の政治経済学』300頁）と書いているように、新川が政治学者を志す重要なきっかけは大嶽秀夫であり、そのことが、のちの新川の研究に方向付けを与えることとなった。その一つが、「多元主義以後」の理論構築である。
２ 新川敏光の多元主義批判
本論文「ロバート・ダールにみる多元主義の論理」は、大嶽が渡独した1983年に発表されたものである。のちに新川は、新制度論や福祉国家論の文脈で多元主義批判を展開することになるが（「新制度論の潮流のなかの大嶽秀夫」、「福祉国家論と大嶽秀夫」参照）、本論文においては、ダールの批判的検討を通して、「多元主義以後」に向けた予備作業を行っている。以下、簡単にその特徴をみてみたい。
この論文のエッセンスは、ダールにおける「多元主義理論の価値的偏向」を指摘するものである（新川「1975年春闘と経済危機管理」、大嶽編『日本政治の論点』所収、232頁）。そのため新川は、ダール理論の論理構成を追いながら、米国での論争も紹介しつつ、この理論がアメリカ政治を肯定する保守的側面を持つことを明らかにしていく。
新川によれば、ダールの「多元主義的民主主義論」は二つの理論、ポリアーキー論と自由放任型多元主義論からなる。前者のポリアーキーは、よく知られるように、理想的な民主主義とは区別された記述概念として、ダールが提示したものである。だが新川によれば、実はポリアーキー概念は純粋な記述概念ではなく、「現実的に達成しうる最良の政治システム」として描かれているという。そのため、ポリアーキー諸国においては（規範的な意味で）民主主義が機能していると評価してしまう、価値的契機が含まれているとする（55-56頁）。
では、ダールはなぜ、それらの国では民主主義が働いていると判断できるのか。それは、ダールが自由放任型多元主義論を別途展開しているからだと新川は言う。この理論は、具体的には『統治するのはだれか』やCPS論争のなかで提起された実証研究のことを指す。ここで重要なのは、有名な「間接的影響力」概念である。つまり、一見して政治的無関心の増大する先進諸国においては、決定作成に関わるのは少数の政治エリートに限定されるため、民主主義が機能していないように見える。だが実は、そこで市民は政治に参加せずとも「間接的影響力」をエリートに行使し、そのためエリートの行動は民主的コントロールに服している、とダールは主張する。（60-64頁）
しかし新川は、こうした「間接的影響力」論には実証的根拠がないと批判する。そのかわりに、ダールは次のような「歴史分析」を行うことでその論拠に替えているという。
「実はこの多元主義が民主的機能を担いうるという主張の論拠は、産業社会では政治的リソースが累積的不平等から分散的不平等へと移行してきたというダールの歴史分析の中にある。」（63頁）結局のところ、アメリカ政治が民主的――ここでは市民の選好が政策決定に反映されていることを指す――であるかどうか、実証的な分析が不十分であるというのが新川の批判であった。
３ エスノメソドロジーによる権力論の模索
ところで、以上のようなダール批判は、（少なくとも現在では）必ずしも珍しくない。例えば、大嶽秀夫『政策過程』（130頁）にも同様の指摘があり、また岡田憲治『権利としてのデモクラシー』（32、86-91頁）はより体系的な見地から「間接的影響力」論の「陥穽」を指摘している。
現在からみて興味深いのは、むしろ、新川がこの多元主義批判から権力論の再検討へと進んだことであり、その進み方である。彼は次のように書いている。
「結局、ダールの提起した自由放任型多元主義論は、イシュー分析による実証的発見に基づいて構成されたのではなく、イシュー・アプローチこそ自由放任型多元主義モデルを前提としたものなのである。……従って、その前提から切り離してイシュー・アプローチを考えた場合、その方法が、権力を包括的に語る視座を持たないことは、比較的容易に発見されるように思われる。」（74頁）新川にとって、ダールの多元主義は「権力を包括的に語る視座を持たない」ことが問題だと考えていた。そこで新川は、バクラック＆バラーツによる多元主義批判を参照しながら、ダールが視野に入れていない領域における権力分析の可能性を論じる。
そこで新川は、権力を次の三つのレベルに区別する。つまり、「（�顱縫ぅ妊�ロギー、イメージとしての権力、（�髻亡崟榲�影響力、（�鵝膨樟榲�影響力」である（77頁）。ダールらの多元主義論者は（�鵝砲吠�析を限定する傾向があった。
ここで注目されるべきは、「（�顱縫ぅ妊�ロギー、イメージとしての権力」の分析方法についての新川の議論である。ここで彼は、エリーティストらの議論からさらに一歩進み、「相互主観的に共有された意味の世界」に着目する。それは社会学の成果を取り入れることである。
「この場合、イデオロギー、体制のバイアスといったものを、プリュラリスト、さらにバカラック、バラッツのように、特定の人間が創り、操作する『手段』としてではなく、我々の日常生活の構成――相互主観的に共有された意味の世界――そのものを可能にする深層構造、支配秩序であると考えたい。権力をこのような支配秩序が一定の媒介ルールを通じて発言するものと考えることによって、政治学は、エスノメソドロジー、日常言語学等の諸成果をとり入れ、新たな世界認識の方法を確立しうると思われる」（78頁）政治学におけるエスノメソドロジーの導入については、大嶽秀夫がこれを試みたとして、以前紹介したことがある。だが、新川はそれより8年前にこれを論じていたことになる。おそらく、当時の東北大学大学院に畠山弘文が在籍していたことと無関係ではないと思われるが、ここではそれ以上の推測は控えたい。
いずれにせよ、当時の新川は「多元主義以後」の政治分析の手法として、権力論、それもエスノメソドロジーや日常言語学にとり入れることを模索していたのである。
４ おわりに
以上のように、エリーティストの権力論を参照しながら多元主義の弱点を克服しようとした点では、新川は大嶽秀夫と同じ方向性をとっていたと言える。ここで新川の独創性は、イデオロギー分析の手法として、エスノメソドロジー、日常言語学にいち早く着目している点にあると思われる。
こうした新川の議論は、2年後の「権力論の再構成にむけて」（1985）でさらに発展させられることになるが、まだ試行錯誤といった形であった。のちに新川は、次のように振り返る。
「私が『多元主義以後』という問題意識から日本政治の研究に取り組んでしばらくは単独の試行錯誤が続いた」（新川『日本型福祉の政治経済学』301頁）転機となったのは、1984年9月からのトロント大学留学である。この留学を契機として、新川は、福祉国家研究に着手するようになる（新川『福祉国家変革の理路』344頁）。そして以後、「多元主義以後」の理論構築という課題は、この福祉国家研究という線でなされていくことになるのである。