数学は哲学と非常に深いつながりがある。
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中学や高校で習った数学は、哲学からは縁遠いものだと感じている。
しかしながら、数学というものは、どういう体系になっているのか、
そもそも定理や公式の裏側にある前提には何があるのだろうか。
深く掘り下げて考える機会を与えてくれる本書。
大学生二人と教授の掛け合いの中で、無限というものの成り立ちについて解説してくれる。
この内容を知っているからといって何か実生活で役に立つとは思えない。
だが、考え方を知る、興味深いと思うことは有益である。
考える力を取り戻すために、思考停止に陥った時におすすめ。
理解する前に、納得する前に考えているか?
「それを鵜呑みにしている読者も軽率の謗りをまぬかれません」
本に書いてあった言葉をそのまま考えもせず飲み込むことに対する警鐘。
よく知り合いが本に書いてあったからという発言をすることに対して持っていた違和感を言葉として表してくれた。
なぜ、ということを考えずに、鵜呑みにしてしまうことほど恐ろしいものはない。
考えなくなった群衆はマスメディア踊らされるだけの駒に成り下がってしまう。
形ではなく、中身のある頭を守るために。
考えの違いなのか、尺度が違うのか
「たんに別々の異なる測定法というにすぎません」
同一ではなく、ただ測定法が違うだけ。
こういうことは結構ある。
人によって見方が異なるというのと本質は一緒ではないかと思う。
自分の中のものさし、自分のなかに当たり前に存在している前提条件に気づくことがスタートである。
「AかAではないかどちらかだというのは、標準的には論理的に正しいと認められているもので、排中律と言います」
ある枠組みの中で、二択以外の答えがなくなることを示す。
だが、そもそもその前提として、メタ的視点を有しており、そもそもAすら知らないという答えも出てくるのである。
これが、前提が異なっているわけであり、実は別の世界の話をしている。
自分とは違う前提に立っている人がいるのだと気づくことが第一歩。
人間は謙虚であるべき
「人間のやることは有限にすぎない」
無限論の中で、いかに人間がちっぽけな存在であるかを気付かされる一文。
無限と有限を比べた時に、自分達人間は所詮有限の世界でしか生きていない。
無限はあくまで概念上のものであり、存在の有無について議論することはできるが、
我々がそれに触れることはできない。
自分に実感として得ることはできないが、考えることはできる。
哲学と宗教は非常に似通っており、神という存在すら、同列に思えるからふしぎだ。
「完成なき未完成」
円周率πについての発言。
3.141592・・・・と続いていくのだが、終わりは存在するのか。
終わりの見えないレースのようなもの。
完成をするために進んでいるのではなく、そもそも判断することができない。
だけれどもそれを人々は当たりまえのように利用している。
不思議ではあるが、ある意味それは割り切りの世界なのだ。
結局、がちがちに固められた世界で生きるよりも、多少はふわっとした点が残っていても、問題なく世界は回っていくのであろう。
それぐらい人間社会も柔軟にできているのだ。
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