これまで24年と半年ほどの間を生きてきた。そのなかで常に探し求めているのが、自分の「生きる目的」だ。
なぜ私は生きているのか?
私にはこれと言って楽しいと思えることがない。強いて挙げることができる「好きなこと」ぐらいはあるのだが、「これだけをやっていれば人生薔薇色!」というほど好きなわけではない。だから、今この瞬間を思いっきり楽しむことができず、常に自分の人生について思い悩んでいる。
たまに「なぜ私は生きているのか?」と思うことがある。その答えは、今のところ「生まれたから」としか答えようがない。
生きる目的を探すことこそが「生きる」ということなのか
そもそも「生きる」とは何か。ただ心臓が鼓動を打っていれば、それだけで生きていることになるのか。多分そんなことはないのだろう。自分が「生きている」ということを実感するには、他ならぬ自分自身が「生」を実感できる何かが必要である。
もっとシンプルに考えた方が良いのかもしれない
タレントで漫画家の蛭子能収(えびす よしかず)さんの格言を集めた「日めくりカレンダー」に、こんな言葉があった。
好きなことが見つからないときは、とりあえずお金を稼ぐんですよ
オレが考える大人の条件は、「好きなことをやっていること」、それと、「ちゃんとお金を稼いでいること」。「好きなことがみつからない」という人は、あれこれ考えるより、まずお金を稼いだほうがいいです。そうすれば、あとであとで好きなことが見つかったときにそれが元手になるじゃないですか。
―「生きるのが楽になる まいにち蛭子さん」より
蛭子さんの言う「好きなことをやっている」というのは、自分の人生の意味や目的に折り合いをつけて歩いていくことなのではないかと思う。そういう意味では、まさに今のような私の状況では、まずお金を稼ぐことが大事なのかもしれない。