幼少期に観たら悪夢にうなされることは必至のトラウマ切り絵アニメーション。大人になったらそうでもない?いやいや。今度はイメージの洪水に溺れ、現実世界に帰還できなくなるのは必至なの。
目次
『ファンタスティック・プラネット』感想とイラスト ネイチャー特番「惑星イガム」スポンサーリンク
簡単な作品データ
『ファンタスティック・プラネット』La Planète sauvage/Fantastic Planet
1973年/フランス・チェコスロヴァキア/72分
監督:ルネ・ラルー
原作:ステファン・ウル
脚本:ローラン・トポール/ルネ・ラルー
音楽:アラン・ゴラゲール
声の出演:ジェニファー・ドレイク/エリック・ボージャン/ジャン・ヴァルモン/ジャン・トパール
予告編動画
▶目次へ戻る
適当な解説
オム族は不潔でバカで繁殖力だけ旺盛だから駆除しなきゃね。害虫だからね。という害虫駆除の大切さを謳ったSFファンタジーアニメーションです。原作はステファン・ウルのSF小説『オム族がいっぱい』。監督は『時の支配者』『ガンダーラ』のルネ・ラルー。共同脚本と作画は『テナント/恐怖を借りた男』の原作者として知られるローラン・トポール。音楽を担当したのはジャズ・ピアニストとしても評価の高いアラン・ゴラゲール。
あらすじ
巨大なドラーグ族が支配する惑星イガム。そこで暮らす小さな人間たち(オム族)は彼らにとって害虫であり、退屈しのぎのオモチャであり、虫けら以外の何ものでもなかった。ある日、ドラーグ族の悪ガキによって母親を殺されたオム族の赤ん坊が、知事の娘ティヴァに拾われる。赤ん坊はテールと名付けられ、ティヴァのペットとして育てられることに。これによってテールはドラーグ族の知識を吸収する機会を得る。
ドラーグ族の高度な知識を学習しながら成長したテールは、自らの待遇、人間たちの境遇に疑問を覚え、知識の源であるドラーグ族のヘッドセットとともにティヴァのもとから脱走。人間たちを先導して“野生の惑星”への移住を試みるのだったが……。
▶目次へ戻る
勝手な感想と評価/ネタバレ有
「名よりも実!マイナーでも面白いおすすめSF映画ランキング」で紹介させていただいた、トラウマ切り絵アニメーション『ファンタスティック・プラネット』。このたび安価なDVD版が発売されたことを受け、かなり久々に再見してみました。アニメーション作品として初めてとなるカンヌ国際映画祭受賞作(特別賞)。自分で書いておきながらそんな権威づけはどうでもよく、ほかでは絶対に味わえない独特すぎる世界観の洪水。その洪水に呑み込まれたら最後、もはや帰還はかないません。
逆転世界の系譜
「元祖『進撃の巨人』」などと喧伝されておりますが、むしろ近いのは『猿の惑星』。そして藤子・F・不二雄の傑作短編『ミノタウロスの皿』。つまりは立場の逆転世界。我々人間が家畜として、虫けらとして扱われる価値観の逆転。自分たちより肉体的にも精神的にも高度な生物から人間が支配、管理、虐待される世界。これによって我々自身の倫理観を揺さぶりにかかっておるのです。お前たちはドラーグ族であり、猿であり、牛であると。自分はいいけどされるのは嫌か?と。
面白いのはこの3作品の結末がすべて違うということ。闘争の果ての破滅。破滅を回避するための共存。運命の受容。どれがいちばん恐ろしいかといったらやはり『ミノタウロスの皿』か?人の価値観というものがいかに限定的なものか思い知らされます。
ボス的切り絵アニメーション
物語の恐ろしさでは『ミノタウロスの皿』の後塵を拝する『ファンタスティック・プラネット』。しかしこの作品のトラウマ的魅力はある意味わかりやすい物語にあるのではなく、あまりに独創的な、狂いに狂った圧巻のビジュアルにこそあるのです!上記のヒエロニムス・ボスによる『快楽の園』。イメージとしてはこの世界観に近いものがあります。この奇怪で美しい世界観が切り絵アニメーションによってさらに不気味に動き回る。この切り絵アニメーションというのがミソ。
作画を担当したローラン・トポールの悲哀と愛嬌がにじんだタッチ。それを4年もの歳月をかけて完成させた強制労働の賜物は、けっして滑らかとはいえない微妙にカクカクした動き。これがいいの。これがこの世界観の再現に絶妙にマッチしてるの。
惑星イガムのネイチャー特集
不気味なカクカクさで映像化されたボス的切り絵アニメーション。そこで映し出される惑星イガムの奇妙な生態系。これに尽きます。見たこともない生物が、奇怪な環境のなかで、なんだかよくわからない弱肉強食を繰り広げるネイチャー特集。そのヒエラルキーの頂点に君臨するドラーグ族。彼らの容姿、文化、風習。とりわけ興味深いのが瞑想。特に市長たちのグニャグニャした共同瞑想は奇抜な色彩感覚もあわせてめちゃサイケ。シャボン玉に包まれてプワポヨすんのもなんか楽しげ。
そんな絶対王者ドラーグ族の下層で跋扈する、基本ウネウネかシャキーンかしかない植物群。空飛ぶエリマキガエル。それをつかみ落として遊ぶ籠の中のブサイク。人間の決闘に使用されるカミツキトカゲ。人間を主食とするトリモチ怪鳥。etc.
そんな奇奇怪怪が暴れ狂うこのおぞましい世界の中で、最下層に位置するのが我々人間、オム族なのであります。しかしその人間の中でも階層はまた存在する。下等と高等。長いものに巻かれた人間による人間狩りへの加担。
もしかしたら最もおぞましいのはこのシーンかもしれない。ドラーグ族による人間一掃作戦。害虫を駆除する毒ガスポンポンマシン。それに協力するドラーグ族に飼われた人間。ガスマスクを着用してひた走る彼らのおぞましさよ。
やはり最も信用ならないのは我らが同胞。人間の敵は人間というわけですか……。
現実世界にさようなら
このグロテスクな世界観をさらに彩る、アラン・ゴラゲールによるプログレ的なスコア。硬質な音響効果。そしてフランス語。この世界観でフランス語が喋られているのがまたなんともいえない味わいなの。特にシン市長と娘のティヴァの声が凄くいい。物語の結末としては互いを認め合い、共存共栄の道が開かれていくというやや甘いものではありますが、そのきっかけとなるドラーグ族の秘密を、野生の惑星へとシャトルで降り立った人間たちが目撃するシーンのシュールさは必見です。
頭部にプワポヨシャボン玉をいただいた首なし彫刻が、愛のダンスを舞い踊る。その必然性などというものはもはやどうでもよく、このシュールな幸福に酔いしれ、イメージの洪水に流され、帰還不能に陥ることこそが最上の喜び。皆さんさようなら。
個人的評価:8/10点
▶目次へ戻る
スポンサーリンク
関連記事