今更ですが、ズートピア観てきました。
ズートピアは動物たちが平和に暮らす街。
肉食動物も草食動物も理性を持って、共存しています。
小さな草食動物であるウサギのジュディは、警察官になる夢を持っていました。
親も周りの動物も、
「ウサギで警察になった奴はいない」
と言って、ジュディの夢を諦めさせようとします。
そんなときジュディはこう言うのです。
「だったら私がウサギで初めての警察官になるわ」
このシーンを見て、僕は日本で初めてNBA選手になった田臥勇太さんを思い出しました。
何回も能代弁で叱られ、何回も英語でも怒鳴られ、そのうち何回かは理解できなかったけど
何回も小さいから無理だと言われ、何回も大男が落ちてきて怪我をし、何日も眠れない夜を過ごし、何回も人の言う事に耳を塞ぎ、何回も逃げ出そうと思った
けれど
何万回もパスをし、何万キロもドリブルして、何万回も相手をフェイクし、何万回も速攻を出し、何万本もシュートを打って、何十足もバッシュを履き潰し、僕はアメリカのコートに立った
バスケットボールにおいて、173センチという身長はウサギそのものです。
周りにはゴリラばかりがいる中、誰もが
「無理だ」
「無茶だ」
「馬鹿なことをするな」
「日本にいればいいのに」
と言いました。
それでも、何万回も練習して、アメリカのコートに立った田臥勇太。
その事実は、巨匠・井上雄彦を感動させ、「スラムダンク あれから10日後」でも描かれました。
「知ってる?桜木君」
「日本人初のNBA選手がうまれたって」
「なぬ?アメリカ?」
「うん」
「ほとんどの人が日本人にはムリって思ってたらしいわ。だけど・・・」
「ムリだっていうのはいつだって、チャレンジしてない奴よね」
http://blogs.yahoo.co.jp/harukakainuma/GALLERY/show_image.html?id=16009337&no=0
僕は「あれから10日後」のこのシーンを見た時、思わず涙が出てきました。
全国大会の猛者を相手に、次々と魔法のようなパスを繰り出す田臥勇太。
録画したテープが擦り切れるくらい繰り返し見ていました。
ムリだっていうのはいつだって、チャレンジしてない奴なんです。
「チャレンジするかしないかは私の問題」
ズートピアは自己啓発的な部分も多分に含まれています。
誰に無理と言われても、「やるかやらないか」は自分自身の問題であるということ。
これはアドラー心理学でも言われていることで、「自分の問題」と「他者の問題」を明確に切り分けています。
初めて配属された時、ジュディは交通切符係に任命されました。
「100枚切符を切れ」
と言われ、不本意な任務でしたが、
「だったら200枚切ってやる。午前中にね」
と決意し、実際にやり遂げました。
このシーンを見て僕は、阪急電鉄を生み出した小林一三氏の名言を思い出しました。
「草履取りなら、日本一の草履取りになれ。そうなれば誰もお前を草履取りにはしておかぬ」
ジュディは与えられた任務で最善を尽くそうとしたのです。
途中、ちょっとしょげていましたが。
そして、その中で突然巡ってきたチャンス。
それが泥棒を捕まえることでした。
チャンスは突然巡ってきます。
そのチャンスを活かしたジュディ。
僕はこのシーンを観て、デザイナー奥山清行さん講演の
「いつ来るか分からない15分のために常に準備をしているのがプロ」
という言葉を思い出しました。
15分のチャンスを掴んだおかげで、人生が変わった。
その15分のために、準備を怠らなかったという話です。
「人生を決めた15分」
非常に面白かった経験をいくつか皆さんとシェアしたいと思うんです。
僕が、何がプロで何がアマチュアかっていうのを考えさせられる転機になったいい機会がこの一枚の絵なんですけれど、1998年の秋です。それまで2年間かけて作ったエンツォ・フェラーリのデザイン、車全体ですね、それがなかなかうまくいかない。
10年に一度だからこそ、本当は限定生産で大胆なことをやらなきゃいけないのに、それだからこそ人間はすごく臆病になってつまらないものを作っちゃう、もうその典型だったんです。
で、2年間開発をした後、今日この日にモンテゼモロの会長がヘリコプターでやってくる、と。
この日に決まらなかったらば、このプロジェクトはキャンセルになるってことで、来ました。でも僕自身、やっぱり何か納得がいかない、それで万が一のために僕は絵を描いていたんです。
仕上げまでの時間がなかった。
案の定、モンテゼモロさんはヘリコプターが来て、エンジンも止めないでこうやって降りてきて、車を見た途端、ああもうだめだと言ってそのままヘリコプターに乗って帰ろうとしちゃった。
これで帰してしまったら、僕らもう二度とフェラーリの仕事ができないですから、さてそれで僕の上司は僕に対して「奥山、15分やるからスタジオ戻って絵を描いてこい、あるだろ例の絵が」ってニタッと笑いまして。
僕は走ってスタジオに戻りまして、描きかけてたこの右上の絵を最後に色を塗って紙に貼って仕上げて、それで廊下を走って。
スタジオ遠いんです、プレゼンテーションルームから。走って戻って、もうあの、サンドイッチ食べさせろって言ってそれでモンテゼモロの会長を中に収めてたんですけれども、もうサンドイッチ食べ飽きて、外に出てきているところを廊下でこの絵を見せて、そうしたら「なんだおまえらできてんじゃねえか」って。
「やりなさいよこれ、来週の水曜ね、見に来るから、車モデル作って仕上げといてね」って、ヘリコプターでバーバーバーって帰って行って、「はあっ」てなった反面、金曜日の夕方ですから水曜日までにこれどうやって作ったらいいのかなってことで必死になって、週末も完徹でみんなで仕事したんですけれども。
僕が言いたいのはふたつ。
ひとつには、その時この絵を準備してなかったら、僕らはおそらく一生この車の日の目を見ることはなかっただろうし、そのチャンスを生かすこともできなかった。
いつ来るか分からない15分のために、常に準備をしているのがプロで、来ないかもしれないからと言って準備をしないのがアマチュア。それだけの違いだと思います。
プロとアマチュアというのはそんな小さい違いだと思ってます。そしてもうひとつ、僕の上司は僕がこの絵を描いてたことを知ってたんですね。そういう信頼関係というか、よく周りの人間のことを見ていて、万が一のために誰を使うか、どういう風にその15分を生かせるかということを見ていた僕の上司もすばらしいという風に思います。今でも友達です。
http://gigazine.net/news/20110908_moonshot_design_cedec2011/
エレベーター・ピッチといって、エレベーターに乗り合わせた間にプレゼンして相手の心をつかむ、という逸話もありますが、
そういうことができるのは、普段からチャンスに備えて準備をしていたからでしょう。
ウンチクついでに語ると、ギリシア神話にも似たような話があります。
全能の神ゼウスの末子カイロスはチャンスの神様。
この神様は
「前髪はあるけれど後ろ髪がなく、誰の前にも平等に姿を現すけれど、両肩両脚には翼がついていて、疾風のごとく一瞬で駆け抜けていく」
という変な神です。
彼を捕まえることができるのは、彼が自分の手に届くところまで最接近しているその一瞬、彼の前髪を掴んだときだけ。
彼が過ぎ去った時、光る後頭部がよく目立つので、ここでほとんどの人が目の前に幸運が訪れていたことに気づく、という話です。
まぁ、これはビジネスに限った話ではなく、恋愛とかにも言えそうですね。
いつでも準備して、運命と思ったらすかさず声をかけてみる、とかですね。
この映画を観て何を感じるかは人によるかもしれません。
「無意識に抱いてしまう偏見」という面で映画を観る人もいるし、種族を越えた友情の話として観ることもできます。
僕はスポ根気質なので、努力が実る姿に心を打たれました。