「良識の府」「再考の府」

 参議院を語る時、よくいわれる別称だ。ただ、無所属で当選した文化人らが「緑風会」を結成し、その名に恥じぬ審議をしていた草創期はすでに遠い。政党化が進み、「衆院のコピー」と言われて久しい。

 時に高まる「参院不要論」に抗しようと、参院の存在意義や役割については様々な議論が重ねられてきた。決算審議を充実させたり、衆院より先に審議する法案を増やしたりといった改革も進められた。だが、多くの人が「参院ならでは」と認める決定打には欠けている。

 参院選にあたり、その意義を改めて考えてみたい。

 ■強い国会が必要

 参院憲法審査会は今年2月、「参院として重視すべき役割」をテーマに2人の参考人から意見を聞いた。そのうち、一昨年末まで参院事務局に勤めていた荒井達夫・千葉経済大特任教授(行政学)の「参院は行政監視と憲法保障の機能を強化すべきだ」の提案が注目された。

 権力分立によって民主国家を成り立たせるには、強い内閣に対しては強い国会による行政統制が欠かせない。ただ、議院内閣制のもとで、衆院はどうしても政府と一体化してしまう。そこで「政府をつくる衆議院、それを監視する参議院」との役割分担がふさわしい――。それが提案の趣旨だった。

 荒井氏がその重要性を痛感したのは、昨年の安全保障関連法案の審議でのことだ。

 集団的自衛権の行使を認めるには憲法改正が必要だというのは、国会答弁を通じた政府と国民との間の了解事項だったはずだ。それを政府が解釈で変更したのは憲法尊重擁護義務への明らかな違反であり、参院では、こうした観点からの議論をすべきだったと振り返る。

 ■裁判所を補完する

 その参院憲法審査会でかつて客員調査員を務めた経験がある田中祥貴・桃山学院大教授(憲法学)も「参院は憲法の守護者であるべきだ」と主張する。

 「守護者」といっても、正式な手続きと国民合意に基づく憲法改正を妨げるものではない。守るのは、あくまでも「法の支配」の原則だ。

 いまの憲法で違憲立法審査権を持つのは裁判所だ。ただ、裁判所は具体的な事件に伴う訴訟がなければ合憲か違憲かは判断しない。また、安全保障政策など高度な政治性のある問題については、統治行為論をとって判断を避けている。こうした限界を補完できるのは、やはり政府・衆院とは一線を画す参院しかないという。

 田中氏はまた、新たな法律の規定を実施するため政府が定める膨大な政省令について、立法府がチェックしていない現状も問題視する。参院に「憲法委員会」を設けて、政府が出す法案や政省令が憲法に適合しているかどうかを専門的に審査すべきだと話す。

 以上は「良識の府」という抽象的な概念を具体化するひとつの提案である。

 まず役割を明確にして国民のコンセンサスを得たうえで、そのために必要な選挙制度といった各論に進んでいく。これが参院の内情も知る研究者が唱える改革案であり、検討に値する。

 ■現状維持の果てに

 もちろん、こうした理想的な姿と現実とは、あまりにかけ離れている。

 昨年の安保法案審議では、国会外での講演で法案成立時期の見通しを話した当時の首相補佐官に対し、参院特別委の鴻池祥肇委員長(自民)は「参院は衆院の下部組織でも、官邸の下請けでもない」と叱責(しっせき)した。

 ところが、その後は衆院の自民党からの3分の2による再可決の圧力のもと、採決の強行を余儀なくされたのである。

 衆参でねじれが生じ、政権の思うように法案審議が進まなくなると「強すぎる参院」が批判され、改革論が盛んになる。

 いまは逆に、衆院の圧倒的多数の勢力に支えられ、党内の権力も集中する「強すぎる首相」の力が際立つ。こうなると議論はとたんに下火になる。

 参院改革がかけ声倒れに終わるのは、現職議員にとっては現状維持が実は最も居心地がよいからなのではないか。

 この参院選から鳥取と島根、徳島と高知の選挙区をそれぞれ一つにする合区が実施された。こうなるとまた、「地方の声が国政に届かなくなる」と、各都道府県から少なくとも1人は選出されるよう憲法を改正すべきだとの声も出てくる。

 しかし、これで憲法改正を語るのであれば、政府と自治体との権限配分や都道府県の位置づけなどを整理したうえで、「衆院は全国民を代表し、参院は地域を代表する」といった骨太の議論が欠かせないが、そこまでの深みは見えてこない。

 いつまでも行き当たりばったりの議論にとどまっていれば、「参院不要論」は現実味を帯びかねない。