JESUS FEVER Dozens of Great Views
実を言うと、本とかけっこう読んだりする。
読書家といってもいいと思う。
15のときから読み始めたから
かなり読んでるんじゃないか?
とはいえおれは、文学少年じゃあなかった。
いやほんと言うと、文学少年気取りだったことはある。
恥ずかしながら。読み始めの頃だ。若かったんだ。
しかし自分がそんなキャラじゃないってのはずっとわかってた。
無理してたんだ。お恥ずかしい。
人生を文学にしようなんてままごとに
本気で打ち込めるタイプじゃあない。
読書家らしく、引用するとすれば
シオランの書いた、
『ドストエフスキーの書簡集がさいっこーなのは、病気と金のことしか問題にされてないからだ。この二つだけが〈熱烈な〉主題であって、他はすべてぴらっぴらのお飾りであり、がらくたでしかない。』
という文章が自分の気持ちだ。
そんなんだから、当然自分の知り合いは
おれが本を読むことなんてほとんど知らない。
本を読むという行為に、いまだに羞恥心を覚える。
本が好きだなんて、決して現実では言えない。
(こういった文章を絶対見せられないように)
しかし時には、バレてしまうこともある。
おれが本を読むって。
たいていは、ふーんって感じだ。
こんなマヌケ面ももの考えようとしてんだ、ってなもん。
特別な反応はない。それでも恥ずかしいから言えないが。
一度だけ、おれが本を読むと聞いて
がっかりした、という人がいた。
チューブトップのエロエロな格好したねーちゃんだった。
女は言った、
「えー、がっかりー。あなたはそんなんじゃないと思ってたのにー」
ギクッとしたね。
だっておれはまさに、そんなんであることに羞恥を感じてたのだから。
チューブトップのエロエロのねーちゃんとは
そのときが会うのは二回目だったと思う。
とはいえほとんど言葉を交わしたことはなかった。
しかしおれには、チューブトップのエロエロのねーちゃんのがっかりが
すごくよくわかったし、とても恥ずかしくなった。
チューブトップのエロエロのねーちゃんとは
それからほどなくして、もう一度会った。
少しだけ二人で話す時間があって、そんとき彼女は
「こないだおれくんのこと考えて一晩寝れなかったよー」
と笑ってた。
そんなこと言われたことはなかったし、
そんなこと言うのは彼女が最後だろう。
それから、「本全部捨てたー?」
「…まだ」
人がきた。「あーあ」
笑いながらチューブトップのエロエロのねーちゃんは遠ざかっていった。
チューブトップのエロエロのねーちゃんと会ったのはそれが最後だった。
いや正確には最後のときはチューブトップじゃなかったし、
エロエロだったかどうかも定かではない。
でも彼女はエロエロであってほしいな。
当時、来年結婚するんだーと言ってたから
いまごろ旦那か浮気相手と、エロエロしてて欲しいよ。
べつにチューブトップのエロエロのねーちゃんが忘れられないわけでも
チューブトップを見ると彼女を思い出すわけでもない。
そもそも彼女がどんな顔してたかも思い出せない。
胸の谷間は…もしかしたら、思い出せるかも。
ただ、おれの望むものをわかってる人がいた
そんな夏があった、
忘れられないわけでも特別なわけでもない
そんなひとつの夏があった、という記憶。
JESUS FEVERはこのアルバムしか出してないはず。
今も活動してるのかは知らん。
これは初夏の匂いのするアルバムだ。
夏の日差しを思い出す。
暑苦しいんじゃなくて、ちょうどジャケットのように
穏やかで、すべての景色に降り注ぐ陽の光。
一度ライブを観たことがある。
ぜんぜん覚えてないけど。もう5年くらい前。
art source villageと出てたと思う。
おれとしちゃあ日中の野外で聞きたかったな。
風がさわやかな夏の日に。
原っぱにねっころがって。
京都ってどんなとこなんだろ?
夏になってきて、みんな薄着で
薄着の女の子をじろじろ眺めて、
チューブトップの上に聳え立つ
鎖骨をベロベロ舐めまわして
連行される季節なわけだけど、
そんな初夏の風景には、JESUS FEVERはよく似合う。
夏が見えてくるんだ、陽の光が。
この音に関しちゃあ、匂いよりも目だ、
夏の原っぱの景色が見えてくる。
見つめる、っていうのは
なにか特定のものを見ることじゃないと思う。
その場合は、注視とか、じっと見る、とかでいいと思う。
見つめるってのは、なにかではなく
漠然と、すべてを見ている。
何を思い出せるわけではないだろうけど
生涯心に残るであろう景色を、ただ、見つめる。
特定のなにかを思い出すわけではないけれど
その空気を思い出す。
チューブトップのエロエロのねーちゃんを思い出すわけじゃないけど、
チューブトップのエロエロのねーちゃんも
見えないけど、そこに佇んでいる。
音や匂いが運んでくる
そんな景色。
いつも心に迫ってくるのは、そんな景色。
たぶん、忘れられないからでも
それと同じ景色だからでもなくて、
きっと思い出すのは、
そのときと同じまなざしで
それを見つめているから。
読書家といってもいいと思う。
15のときから読み始めたから
かなり読んでるんじゃないか?
とはいえおれは、文学少年じゃあなかった。
いやほんと言うと、文学少年気取りだったことはある。
恥ずかしながら。読み始めの頃だ。若かったんだ。
しかし自分がそんなキャラじゃないってのはずっとわかってた。
無理してたんだ。お恥ずかしい。
人生を文学にしようなんてままごとに
本気で打ち込めるタイプじゃあない。
読書家らしく、引用するとすれば
シオランの書いた、
『ドストエフスキーの書簡集がさいっこーなのは、病気と金のことしか問題にされてないからだ。この二つだけが〈熱烈な〉主題であって、他はすべてぴらっぴらのお飾りであり、がらくたでしかない。』
という文章が自分の気持ちだ。
そんなんだから、当然自分の知り合いは
おれが本を読むことなんてほとんど知らない。
本を読むという行為に、いまだに羞恥心を覚える。
本が好きだなんて、決して現実では言えない。
(こういった文章を絶対見せられないように)
しかし時には、バレてしまうこともある。
おれが本を読むって。
たいていは、ふーんって感じだ。
こんなマヌケ面ももの考えようとしてんだ、ってなもん。
特別な反応はない。それでも恥ずかしいから言えないが。
一度だけ、おれが本を読むと聞いて
がっかりした、という人がいた。
チューブトップのエロエロな格好したねーちゃんだった。
女は言った、
「えー、がっかりー。あなたはそんなんじゃないと思ってたのにー」
ギクッとしたね。
だっておれはまさに、そんなんであることに羞恥を感じてたのだから。
チューブトップのエロエロのねーちゃんとは
そのときが会うのは二回目だったと思う。
とはいえほとんど言葉を交わしたことはなかった。
しかしおれには、チューブトップのエロエロのねーちゃんのがっかりが
すごくよくわかったし、とても恥ずかしくなった。
チューブトップのエロエロのねーちゃんとは
それからほどなくして、もう一度会った。
少しだけ二人で話す時間があって、そんとき彼女は
「こないだおれくんのこと考えて一晩寝れなかったよー」
と笑ってた。
そんなこと言われたことはなかったし、
そんなこと言うのは彼女が最後だろう。
それから、「本全部捨てたー?」
「…まだ」
人がきた。「あーあ」
笑いながらチューブトップのエロエロのねーちゃんは遠ざかっていった。
チューブトップのエロエロのねーちゃんと会ったのはそれが最後だった。
いや正確には最後のときはチューブトップじゃなかったし、
エロエロだったかどうかも定かではない。
でも彼女はエロエロであってほしいな。
当時、来年結婚するんだーと言ってたから
いまごろ旦那か浮気相手と、エロエロしてて欲しいよ。
べつにチューブトップのエロエロのねーちゃんが忘れられないわけでも
チューブトップを見ると彼女を思い出すわけでもない。
そもそも彼女がどんな顔してたかも思い出せない。
胸の谷間は…もしかしたら、思い出せるかも。
ただ、おれの望むものをわかってる人がいた
そんな夏があった、
忘れられないわけでも特別なわけでもない
そんなひとつの夏があった、という記憶。
JESUS FEVERはこのアルバムしか出してないはず。
今も活動してるのかは知らん。
これは初夏の匂いのするアルバムだ。
夏の日差しを思い出す。
暑苦しいんじゃなくて、ちょうどジャケットのように
穏やかで、すべての景色に降り注ぐ陽の光。
一度ライブを観たことがある。
ぜんぜん覚えてないけど。もう5年くらい前。
art source villageと出てたと思う。
おれとしちゃあ日中の野外で聞きたかったな。
風がさわやかな夏の日に。
原っぱにねっころがって。
京都ってどんなとこなんだろ?
夏になってきて、みんな薄着で
薄着の女の子をじろじろ眺めて、
チューブトップの上に聳え立つ
鎖骨をベロベロ舐めまわして
連行される季節なわけだけど、
そんな初夏の風景には、JESUS FEVERはよく似合う。
夏が見えてくるんだ、陽の光が。
この音に関しちゃあ、匂いよりも目だ、
夏の原っぱの景色が見えてくる。
見つめる、っていうのは
なにか特定のものを見ることじゃないと思う。
その場合は、注視とか、じっと見る、とかでいいと思う。
見つめるってのは、なにかではなく
漠然と、すべてを見ている。
何を思い出せるわけではないだろうけど
生涯心に残るであろう景色を、ただ、見つめる。
特定のなにかを思い出すわけではないけれど
その空気を思い出す。
チューブトップのエロエロのねーちゃんを思い出すわけじゃないけど、
チューブトップのエロエロのねーちゃんも
見えないけど、そこに佇んでいる。
音や匂いが運んでくる
そんな景色。
いつも心に迫ってくるのは、そんな景色。
たぶん、忘れられないからでも
それと同じ景色だからでもなくて、
きっと思い出すのは、
そのときと同じまなざしで
それを見つめているから。
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