「この一年半に、安倍政権が何をやり、何をやらなかったのか。:山崎 雅弘氏」
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>ドイツで学生に配られるのは憲法だけではない。こちらの分厚い本は日本の高1相当で配られる人権の本。これに限らず政治にまつわる様々な本を誰でも無料でもらうことができる。人権、知っていますか。
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今回の選挙の争点は、という情報が数多く提示されているが、これらとは別に、前回の総選挙から現在までの一年半の間、自分が日々のニュースに触れて「どんな感情を抱いたのか」という「感情」を記憶の中から読み出すことも重要だと思う。
選挙が無い期間、安倍政権の政策を見て、自分はどう感じたのか。
例えば、昨年6月に衆議院憲法審査会で行われた参考人質疑で、与野党の参考人全員が「安保関連法案は違憲」だと明言したのに、安倍晋三首相や中谷防衛相がこれを無視して審議を進めたのを見て、あの時自分の心に、どんな種類の感情が生じていたのか。



昨年5月26日のNHKニュースでは、元自衛隊統合幕僚長の「国家国民は戦死者にどのように向き合うか、そろそろ考えておく必要がある」との言葉を報じたが、政策変更による自衛隊員のリスク増大を直視しない安倍首相を見てどんな感情を抱いたのか。

何月何日に何があった、という具体的な形式を伴う「記憶」は思い出しやすいが、その時に自分はどう感じ、何をしなければと思っていたか、という形の無い「記憶」は思い出しにくい。
努力して記憶の糸をたどらなければ、当時自分が何を思い、次に選挙があれば何をしようと思っていたかは、思い出せない。
形の無い感情の記憶は、時間と共に風化していく。
砂が風で飛ばされるように、日々の生活に追われる中で忘れ去られていく。
この一年半、自分が何を思い、次の選挙で何をしようと思っていたかを、思い出すべき時期が巡ってきたが、そんな情報は新聞もテレビも教えてはくれない。
自分で思い出すしかない。
時代の正体 重なる戦争指導者の姿(神奈川新聞、2015年6月12日)
http://bit.ly/1GxAcS9
この一年半に、安倍政権が何をやり、何をやらなかったのか。
やったことと、やらなかったことについて、自分はどんな感情を抱いたのか。
それを具体的な形にできるのが選挙です。
>内田樹 神戸女学院本の「あとがき」に学校教育の手柄は「変わらないことである」と書きました。ふつうの人はあまり手に取ることのない本なので、あとがきだけ採録しておきます。
http://blog.tatsuru.com/
この内田樹さんの論考、教育問題を通して、今の日本社会の病理が浮き彫りになっているように思える。
「なぜ卒業生が母校に愛着を持たなくなったのか」という疑問は、様々なものに置き換えられる。
過去→現在→未来という連続性がますます軽視される。
大阪市立大学が講師の外注を計画(ゼネラルユニオン)
http://bit.ly/297TvZk
「今年(2016年)3月、大阪市住吉区にある大阪市立大学に勤務している16人の非常勤講師は、新しい契約書へのサインを求められた。その契約書にはこっそりと、それまでの契約書にはなかった新しい条項が入れられていた。その条項には『この契約は本大学との最後の雇用契約となる』と書かれていた」
「大学側はこの新しく加わった条項について口頭での説明も行わなかった。恐らく、講師達がそれに気づかないことを願っていたからであろう」
「講師の中には20年以上大阪市立大学で働いてきた者も数人おり、この人々は当然ショックを受けた。そして『長年に渡って一所懸命働き仕事に力を注いできたのに、その結果がこんなだまし討ちとは』と怒った」
「大学側によれば、この件に関する最終決定は今年9月か10月までには行うということである」
公立大学もブラック職場化している。
農園でカカオ豆を収穫する現地の低賃金労働者は、商品になった高級チョコを食べることができない。
そんな話は日本でも知られているが、日本もトヨタの下請け工場で働く非正規労働者が、完成した自動車を買えないような国になりつつある。
完成した自動車は国外で売られ、利益は会社の内部で留保される。
>「自衛隊入隊前提に奨学金、防衛省『経済的徴兵制』を検討」。今朝の赤旗1面。つまり安倍政権は景気は回復せず、貧困はなくならないと考えているわけだ。県政の会事務局T
>想田和弘誰かを陰謀論者だと決めつけて攻撃する人の話法が、彼らが批判する陰謀論者のそれと同型であることはなかなか興味深い事実である。
私も最近、ある人物から「陰謀論者」呼ばわりされたところだが、提示された多くの論拠と事実に反駁した上で「陰謀論」と結論づけるならともかく、前段を飛ばして結論だけ相手に投げつける思考は、論拠も事実も欠落した陰謀論の思考と何も変わらない。
新聞などが重要な政治問題を報じる際、特定の視点や側面をあらかじめ切り取り、残りの部分が問題の全体であるかのように体裁を整えて、受け手の印象を誘導する手法は、旧ソ連などの国で多用された常套手段。
具体的事例を挙げて、日本でも同種の現象が現れているようだと指摘するのは陰謀論とは異なる。
厳然と目の前に存在する事実や現実を直視せず「そんなものは無い」と強弁する行為を「否認(デナイアル)」と呼ぶが、日本会議の主張が戦前思想のコピペのような様相を呈する中で、「彼らの意図は戦前回帰じゃありません」と庇うのはもう無理だろう。



日本会議の人間自身、戦前の価値観を無条件で肯定することはあっても否定することはないのだから、実質的に戦前回帰であることを態度で認めている。
先の戦争を「大東亜戦争」という戦中の用語で呼び続け、戦前戦中の日本で流布された国内向けの大義名分を無批判に賛美して、思想の回帰を誇示している。
「日本会議は戦前回帰じゃありません」説の根拠を見ると、明治憲法復元、反共、反左翼、女性蔑視等が列挙されているが、それらは全て「要するに戦前の国家神道時代の価値観」という事実と向き合うことから逃げている。
そして本人も「反左翼」という日本会議と同じ現実否認の思考パターンに陥っている。

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