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第百五十一話「不死魔王との決闘」
不死魔王アトーフェラトーフェ。
この魔王は、有名である。
歴史に顔を出し始めたのは、第二次人魔大戦の頃。
《五大魔王》不死のネクロスラクロスの娘として、魔族側の急先鋒となる。
知能は低いが、極めて高い戦闘力と耐久力を持つ、残虐非道な魔王として人々に恐れられる。
だが、その知能の低さゆえか、補給路を分断されて部下が全滅。
人族に捕らえられ、封印される。
復活したのはラプラス戦役の前。
魔神ラプラスの手によって復活し、ラプラス側の魔王としてその名を轟かせる事となる。そしてラプラス戦役後、北神カールマンに敗北し、その軍門に下ったと言われている。
一説によると、北神カールマンと魔王アトーフェは子を残し、それが北神カールマン二世となったと言われている。
一説によると、北神カールマンは、魔王アトーフェに、己の剣術を教えこんだとも言われている。
また、別の一説によると、北神カールマン二世に剣術を教えたのは、魔王アトーフェであると、そう言われている。
つまりアトーフェは。
百戦錬磨の経験を持ち、初代北神直伝の剣技を持ち、そして不死の肉体を持つ。
絶望的だ。
---
目の前にはアトーフェ。
周囲は黒鎧たち。
退路は塞がれ、アトーフェはやる気満々の表情で剣を構えている。
「さぁ、四人全員で掛かってくるがいい」
アトーフェは、攻め込んではこなかった。
剣を構えたまま、俺達の様子を探るように見ている。
その目は真剣そのものだ。
彼女の力なら、あるいは俺たちを蹂躙する事も可能だろうに。
「……今度は不覚はとらんぞ。オレは物覚えがいいのだ」
そう言いつつ、爛々と輝く目で俺とザノバの方を交互に見ている。
警戒されているのだ。
ザノバの怪力と、俺の電撃を。
魔王とはいえ、俺達の攻撃が全て回避されるわけではない。
だが、ダメージを負っているようには見えない。
ザノバの拳で粉々に砕け散った頭部も完全に復活しきっている。
「さぁ、使ってみろ、今度はうまく受け流してやる」
自信がありそうだ。
今度は回避される気がする。
この世界の剣術には魔術を打ち返す技がある。
北神流については詳しくないが、でも仮にも魔王だ、俺程度の魔術は受け流してしまう気がする。
一応魔眼は開いているが、1秒先が見えた所でどうにかなる相手なのか?
どうする。
……まずは隙を作るべきだ。
けれど、隙をつくって、それで、どうするんだ。
そもそも、俺の魔術は通用するのか?
最大レベルの岩砲弾だって、ノーガードのバーディガーディを殺せたわけじゃない。
ましてアトーフェは構えている。
防御されたら、どんな魔術でも……。
「ルーデウス」
ふとエリナリーゼが耳打ちをしてきた。
「クリフだけでも、転移魔法陣に逃がしましょう」
その言葉に、俺はクリフを見た。
クリフは気丈な目でアトーフェを睨みつけていた。
けれど、その足は震えている。
戦力にはなりそうもない。
「お茶と、草と、メモ。三つ持っていけば、ナナホシは確実に助かりますわ」
「そうだな」
そうだ。
うん。そういう目的で来たのだ。
ナナホシを助ける。それが目的だ。
目的があるなら、目的を果たすのが一番だ。
一番だが……。
それでも、俺は、生きて帰りたい。
ここで負けても、死ぬことはないけど10年も家族に会えないなんて、嫌だ。
「救援を要請するのも手ですわ。ペルギウスはアトーフェとの因縁もあるでしょうし、きっと助けてくれるはずですもの」
ペルギウスと12の使い魔。
なるほど、確かに彼なら、助けてくれるかもしれない。
なにせ、ラプラスを封印した英雄だ。
あんだけ偉そうにしてたんだし、アトーフェとも戦えるだろう。
「よし、じゃあ、そういう方向で……クリフを、説得できますか?」
「やってみせますわ」
エリナリーゼがクリフの元へと下がる。
俺と、ザノバと、エリナリーゼで、突破口を作る。
そこをクリフが走り抜けて、転移魔法陣へと入る。
クリフがペルギウスを説得して、その間、俺たちは耐える……。
できるのか?
耐え切れるのか?
そして、クリフにペルギウスの説得が出来るのか?
クリフが説得に手間取っている間に、敗北して契約とやらをさせられてしまうんじゃないのか?
それでも、クリフが戻れば、ナナホシは助かる。
あいつは助けたい。
それが目的できている。
でも俺も、帰りたい。
ああ、くそっ。堂々巡りだ。
落ち着け。
まず、アトーフェを、どうにかして一時的に動けなくする。
その隙に、周囲を囲む黒鎧たちを魔術で蹴散らし、クリフを逃がす。
その時に、状況次第で俺たちも逃げられるなら、転移魔法陣に逃げ込む。
よし。
これでいこう。
アトーフェは倒せないだろうが、周囲の黒鎧たちは別だろう。
今度は本気だ。
全滅させるつもりでいくんだ。
いけるな。
やれるよな。
やろう、やる。
殺る。
この場にいる全員を皆殺しにしてでも、俺は帰る、よし。
いいな、できるな。
今度は口だけじゃないな。
「ご心配めされるな、師匠。魔王アトーフェは、余が命に代えても抑えます」
ザノバは肝が座っていた。
落ち着いていた。
頼もしい。
こういう時のコイツは、どうしてこうも男らしいのだろうか。
劇場版なのだろうか。
俺が女だったら惚れていてもおかしくない。
(でも、逃げ切れるかどうか、僕は足もそんなに早くないし、荷物もあるんじゃ……)
(追撃はわたくしとルーデウスで必ず阻止しますわ。クリフは後ろを振り返らず、何も考えず、一歩二歩と数えながら走りなさい。転ばないように)
(僕も戦闘に参加した方がいいんじゃ……)
(4人で戦っても勝てませんわ。救援を呼びにいくのも、立派な戦闘ですわよ)
(そうか……うん、わかった……)
クリフたちの声が聞こえる。
ここから、転移魔法陣への入り口まで、歩数にして30歩ほどか。
近くもなく、遠くもなく。
だが全力で疾走できる距離だ。
「説得できましたわ」
少しして、エリナリーゼが戻ってきた。
クリフを見る。
彼は真面目な顔で頷いた。
使命感を帯びた男の顔だ。
自分ひとりで逃げるという顔ではない。
救援を呼びにいくのも戦闘、か……。
エリナリーゼの言葉のうまさが羨ましい。
「わたくしとザノバ、二人でアトーフェに隙を作りますわ。
それに合わせてルーデウス、あなたが周囲の黒鎧を抑えてくださいまし」
「ああ」
打ち合わせは終わった。
アトーフェへと、向き直る。
彼女は剣を構えたまま、こちらを睥睨していた。
「オレに勝てる目星はついたか?」
彼女の後ろに、敵はいない。
30歩。斜面で、足場も悪い。
クリフは転ばず、走り抜けることができるだろうか。
いや、やってもらわなければ。
「ザノバ、エリナリーゼさん、まずは俺が魔術で先制します」
「了解しましたわ」
俺はアトーフェに向けて、杖を構える。
使うのはいつも通り、岩砲弾だ。
単体への火力なら王級魔術である『雷光』の方がいいだろうが、この距離では俺たちも全員巻き添えとなる。
自分の魔術で全滅なんて、アホな結末は避けたい。
「ふぅ……」
深呼吸をして、杖に魔力を込める。
アトーフェは動かない。
俺が無詠唱で魔術を使うのを知っているだろうに、こちらの動作を止めるつもりはないらしい。
好都合だが……。
<アトーフェが剣で岩砲弾を弾いている>
魔眼には、アトーフェが俺の魔術を受け流している姿がありありと映っている。
ダメだ。俺の岩砲弾も相当なレベルだと聞いたが、アトーフェには、通用しないらしい。
なら、電撃か?
一番警戒されているであろう魔術を使うのか……?
「師匠。絶対にフォローに入りますゆえ、余を信じてくだされ」
「……ザノバ」
頼もしい言葉。
……俺も腹をくくろう。
「よし、行きます!」
最大まで溜められた岩砲弾を放つ。
砲弾はキュンと音を立て、アトーフェへと飛んだ。
「見切ったぁ!」
アトーフェが残像を残して動いた。
ほんの少し、腕を動かし、剣の位置を変えただけ。
しかしその刹那、剣と岩砲弾が接触し、すさまじい火花が飛んだ。
岩砲弾は方向をそらされ、アトーフェの遥か後方、岩の斜面へと着弾した。すさまじい土埃が上がる。
やはりダメか。
「うおおおおぉぉぉああああ!!」
次の瞬間、ザノバがアトーフェに向かって何かを投げた。
「うにゃああぁぁ!?」
その何かは叫び声を上げながらアトーフェへと向かって飛ぶ。
アトーフェは喜々とした表情でそれを迎撃しようと剣を構える。
「見切っ……あ?」
アトーフェは投擲された物体を剣で切り裂こうとして、その動きを止めた。
直後、投擲物はアトーフェの顔面に着弾した。
「あぶあっ!?」
「うごぉ!?」
アトーフェの顔にべちゃりと張り付いたのは……。
ザノバの肩に乗っていたキシリカだった。
「ええい! 臭い! 風呂ぐらいはいれ馬鹿野郎!」
「妾だって好きで……うひゃあぁぁ!?」
アトーフェはキシリカを掴み、天高く放り投げた。
キシリカは包囲の外へとすっ飛んで、べちゃりと落ちた。
「まったく、なんてものを投げてよこすんだ……ぬっ!?」
アトーフェが呆れた声を上げた時。
ザノバは拳を握り締め、アトーフェの懐へと入り込んでいた。
エリナリーゼが影のように追従している。
しまった、俺も見とれてしまった。
「オレの懐に入るか、その意気やよし!」
「うおおおおぉぉぉ!」
ザノバが拳を放つ。
身の毛もよだつほどの威力のある拳が、風を切りながらアトーフェへと迫る。
アトーフェは篭手を使ってあっさりと……。
「うぉお!?」
受け流せなかった。
ゴォンという凄まじい音と共に、アトーフェがたたらを踏む。
篭手は不気味な形にひしゃげていた。
ザノバはさらに追撃を仕掛ける。
大きく踏み込み、アトーフェの胴体に向けて拳を――。
「あまいわぁ!」
アトーフェが不自然な体勢のまま、大剣を振るった。
ゴキンというすさまじい音を立ててアトーフェの足がひん曲がり、
しかし勢いは無くならず、ザノバの胴体に剣が叩きつけられた。
「ぐっ……ううぅ」
ザノバが苦悶の表情を浮かべ、膝をついた。
あんな表情をするザノバは初めてだ。
俺の岩砲弾をくらっても、痒ささえ感じないザノバが。
一撃で……。
アトーフェはそれを睥睨し、フフンと鼻息を吹いた。
「なかなかいい体を持っているようだが……覚えておくがいい。絶対の防御など無いのだ、それを我が夫カールが……」
「ハァッ!」
「むっ!」
セリフの途中。
ザノバの背中を踏み台にするように、エリナリーゼが飛び掛った。
遠心力をもった斬撃は的確にアトーフェの首筋、素肌の部分を捉えていた。
しかし、その斬撃はキンッという音と共に弾かれる。
人の肌が立てる音ではない。
闘気による防御か。
「まだ!」
エリナリーゼは攻撃の手を緩めない。
盾を構えつつ、ステップを踏んで刺突を繰り出す。
剣から不可視の衝撃波が飛び、アトーフェに叩きつけられた。
だが、 アトーフェは微動だにしなかった。
そよ風で砂が目に入ったかのように、不愉快そうに眉を顰めただけだった。
「お前の剣は非力すぎる! いいか、それは、こうだ!」
アトーフェが腰だめに大剣を構え、薙ぎ払った。
その斬撃を、エリナリーゼはバックステップで回避しようとして――。
「っ!」
あわてて盾を構えた。
遅れて、ゴガンという音が響き、エリナリーゼが縦に一回転した。
エリナリーゼは岩だらけの地面をゴロゴロと転がり、猫のように跳ね起きる。
その眼に浮かぶのは、戦慄だ。
「だが、足運びの筋はいい。オレの所で鍛えれば一端の……」
「うおおおぉぉぁぁぁぁ!」
アトーフェが何かを言おうとした瞬間、ザノバが起き上がった。
跳ねるように、両手を広げて、アトーフェへと躍りかかる。
「あああああぁぁぁ!」
そのままアトーフェに真正面から抱きついた。
アトーフェの両腕をガッチリと拘束しつつ、ぐっと持ち上げて地面から離す。
「むっ、貴様、このオレに抱きつくとはなんと破廉恥な……ぐぶっ!」
ザノバが万力のように力をこめると、アトーフェの口から、黒い血反吐が流れ出た。
締め技は有効なのか!?
いや、相手は不死魔王だ、一時的なダメージは無いものと見よう。
「師匠! 今です!」
「……!」
ザノバの言葉に、俺は状況を理解した。
アトーフェは抑えた。
チャンスだ。
「クリフ、今だ、走れ!」
杖にありったけの魔力をこめる。
使う魔術は、範囲攻撃。
周囲を囲む黒鎧を、一度に仕留めるつもりで撃つ。
「わかった!」
クリフが走りだすと、周囲の黒鎧たちがハッとした表情で剣を構えた。
だが、遅い。
「フロストノヴァ!」
俺の杖から冷気がほとばしった。
冷気の塊は地面をバシバシと凍らせながら、俺達を円状に囲む黒鎧たちに到達した。
「なっ!」
「むぅっ!?」
狼狽する黒鎧たちは、足元から音を立てて凍りついていく。
もらった……!
完全に不意打ちだ。
これでは、受け流すこともできまい。
と、思った瞬間。
声が響き渡った。
「――を以って、爆炎を身体に。『バーニングプレイス』!」
一人の男から、周囲を焼きつくすような熱気が爆発的に広まった。
まるで、俺のフロストノヴァに対抗するかのように。
魔術を放った男と、その両脇の黒鎧が、湯気をあげて解凍されていく。
使ったのは、ムーアだ。
あの老戦士は、俺が杖を構えた瞬間から詠唱を開始し、そして時間差でレジストしたのだ。
それにしても、なんて魔力、なんて詠唱速度だ。
俺だって、決して手加減したわけじゃないのに……。
だが、ムーアの魔術によって解凍されたのは、彼と両脇の2名のみ。
他は完全に氷の彫像と化そうとしていた。
単純な魔力の差で、俺が勝ったのだ。
そして、俺は、ついに人を殺し……。
「我らが黒鎧を凍りつかせるとは……なんという魔力よ! 全員、バーニングプレイスを唱えよ!」
「はっ! 天と地にあまねく火の精霊よ――」
ムーアが周囲に向かって叫ぶと、凍りついた鎧たちの中から詠唱が始まった。
死んでいない。
誰も死んでいない。
あの鎧か。
あの鎧は氷魔術に対する耐性を持っているのか。
くそっ。
使う魔術を間違えたか!?
「むっ」
クリフが、アトーフェの脇をすり抜けた。
「ムーア、逃すな!」
「ハッ!」
アトーフェの叫びにムーアが動いた。
やや遅れて、ムーアの魔術にて解凍されていた黒鎧も走りだす。
と、黒鎧二人の前に、エリナリーゼが滑りこむように割り込んだ。
そのまま剣を構え、牽制する。
「ルーデウス! 奴を!」
ムーアは後ろを振り返らず、クリフを追っている。
クリフは大荷物な上、鉢植えを持っている。
ムーアは鎧を着ているが、速い。
あと7歩ぐらいでクリフに追いつく。
俺はムーアに杖を向けた。
「岩砲弾!」
<ムーアはアースウォールを詠唱し、岩砲弾を止めようとする>
いける。間に合う。
俺は杖に出来る限りの魔力を込めて、魔術を放った。
「大地の……ぐっ!」
ムーアは走りながらこちらに手を向け、詠唱しようとした。
しかし、レーザーのような岩砲弾が腕に突き刺さり、ムーアの腕が鎧ごとはじけ飛んだ。
片腕となったムーアはよろけ……しかし足は止まらなかった。
「氷の精霊よ、我に力を――『氷結結界』」
ムーアの魔術で、彼の周囲が霧に包まれる。
スモークを焚いて俺からの銃撃を回避するつもりだ。
それにしても、詠唱が短い。
ロキシーみたいに、詠唱を短縮しているのか!?
「ウインドブラスト!」
俺の杖から風が発生し、霧を吹き飛ばす。
ついでにムーアも吹き飛ばそうとしたが、
奴はなんの痛痒もなく、クリフに迫っていく。
あの黒鎧は、風系統も軽減するのか。
いや、水と風だけではない、他の系統に関しても軽減されると見るべきか。
どうする。
奴はあと6歩で追いつく。
一撃でしとめなければ、回避されればクリフが――。
その時、予見眼がとらえた。
<ムーアが走りだしながら、魔術を唱えはじめる>
「死せる大地にあまねく精霊たちよ!
我が呼びかけに答え、かの者を――」
「乱魔!」
咄嗟に放ったのは、家で幾度となく練習した魔術だった。
シルフィと一緒に練習した、魔術。
それは寸ぷんの狂いなくムーアの作りかけていた魔術に当たり、散らした。
「バカなっ! 乱魔だと!?」
ムーアは愕然とした顔で、己が手を見た。
だが、足は止まらない。
あと5歩。
俺は続けて、左手で彼の行く手をさえぎるように、魔術を放つ。
やはり、使い慣れたものを使うべきだ。
いかに相手が熟練でも、俺が今まで培ってきた戦術が通用しないわけがない。
そういうシミュレーションはしてきただろうに。
「泥沼!」
ムーアとクリフの間に、巨大な泥沼が発生した。
粘着性の高い泥沼にムーアは足を踏み入れそうになり……。
「むっ……不確かなる神よ!
我が呼び声に答え、大地より天を突け!
『土槍』!」
ムーアは即座に、己の足元にむけて魔術を放った。
彼の足元から、一抱えもある土の槍が突き出る。
ムーアは斜め方向に伸びた槍を走り、一瞬にして泥沼を飛び越えた。
ムーアの足が止まらない。
あと4歩。
対処される。
レジストされる。
こんなのは想定外だ。
「ルーデウス、クリフを! 急いで!」
「わかってる!」
エリナリーゼの叫び。
チラリと見ると、彼女はムーアの両脇にいた二人を相手にしている。
二対一。
黒鎧は積極的に攻撃しようとはしていないが、しかし抑えるので精一杯か。
「ええい、はなせ、放さんかこの破廉恥漢が! 抱きつくな! せめて殴り合え!」
「死んでも離さんぞ!」
ザノバはアトーフェから頭突きをくらい、額から血を流しつつも頑張ってる。
俺がやらなければ。
他の黒鎧たちも、続々と己の鎧を解凍しはじめている。
あたりには湯気が立ち上り、うっすらと白く染まっていた。
「くっ」
どうすればいい。
どうすればムーアの足が止められる?
奴は強い。魔術戦の経験値が俺と段違いだ。
単純な魔術では対処されるだろう。
もっと強い魔術で吹き飛ばすか?
ダメだ。どれだけ威力が高くても、クリフを巻き込むような範囲では使えない、それにムーアの対応力に加え、あの鎧があるのでは……。
「……!」
その時。俺は自分の足元がぬれていることに気づいた。
先ほどのフロストノヴァの影響だ。
凍りついた周囲の奴らがバーニングプレイスを唱えて溶かした事で、周囲一体が水浸しになっていたのだ。
濡れているのは真っ先に解凍したムーアも例外ではない。
むろん、俺やエリナリーゼの足元にも、水たまりが出来ていた。
あの魔術は、アトーフェも初見だった。
ってことは、ムーアも見たことはないかもしれない。
だが、ここでアレを使えばどうなるか。
俺も、エリナリーゼも、ザノバも巻き込まれる。
巻き込まれないのは、クリフだけだ。
クリフは範囲外にいる。
巻き込まれない。
そう判断した瞬間、俺は迷わなかった。
「電撃!」
感電死しない、ギリギリの魔力で電撃を放った。
ムーアに向けて、一瞬で紫電が走る。
パァンと大きな音を鳴り響き、すさまじい放電現象が起こった。
紫電は周囲を無差別に舐め、地面に落ちた。
濡れた地面は電撃をやすやすと周囲に広げ――水に濡れた者たち全てに、通電した。
「ぎゃぁぁぁ!」
「ぐうぁぁ!」
「うおおおぉぁぁぁ!」
黒鎧たちが煙を上げて倒れる。
エリナリーゼも、ザノバも、アトーフェも。
解凍しかけていた者も。
そして、ムーアも。
俺も。
「うぐああぁぁぁ!」
俺の体にも、すさまじい衝撃が走った。
背筋がのけぞり、関節という関節が、全て逆へと折れ曲がるような感覚。
死ぬほどの魔力は込めていない。
だから死にはしないとわかっている。
だが、目の前が真っ暗になり、意識が飛んだ。
■■■■
気づけば地面に倒れていた。
気絶したのは2秒もないはず。
体はしびれて動かない。
視覚はある。
どうなった。
クリフは。
顔を上げると、片膝をついたムーアが見えた。
黒鎧の隙間から煙を上げつつ、クリフに向けて残った手のひらを向けている。
ブツブツと聞こえるのは……詠唱か。
乱魔を。
いや、間に合わない。
俺は左腕に魔力を送った。
たとえ生身がしびれていようとも、義手は動く。
左手の義手を開き、手のひらをムーアに向けた。
「『ウインドバインド』!」
「『腕よ、吸い尽くせ』!!」
ムーアの出した、しなる風の鞭が、一瞬にして掻き消えた。
「なっ!」
ムーアはバッとこちらを見る。
表情は兜の下で見えないが、恐らく愕然としているのだろう。
ざまあみろ。
クリフは背後を振り返らない。
あと3歩で転移魔法陣の入り口だ。
もう、誰も追えない。
誰も追いつけない。
アトーフェですらも、痺れている。
だが、その瞳は見開かれ、虎のような目で俺を見ていた。
「おのれ、やってくれたな。不思議な魔術を使いおって」
「……」
「だが楽しみだ。お前が我が配下に入るのが実になぁ……ククク、貴様のような魔術師を欲しいと思っていたのだ、可愛がってやるぞ、ククク……」
アトーフェの獰猛な笑みを、俺は目線をそらさず、ただ受け止めた。
これで、終わりか。
不死の種族の回復は、俺よりも早かろう。
もう、逃げられない。
抵抗すらできない。
ザノバは気絶してしまった。
アトーフェに抱きついたままだが、今にもズリ落ちそうだ。
あいつは、痛みに対する耐性が薄そうだ。
電撃で、あっさり意識が落ちたのだろう。
エリナリーゼは、体をガクガクと震わせながら立ち上がろうとしている。
ダメージは俺とそれほど変わらないはずなのに、まだやるつもりだ。
エリナリーゼは諦めていない。
諦めたらダメだ。
白髪のコーチもそう言っている。
俺だってできる。
やればできる。
がんばろう。
帰ろう。
帰るんだ。
帰って、帰ったら……そうだな、シルフィとエッチなことをしよう。
ロキシーともしよう。
ルーシーもだっこしてやるんだ。
ノルンには剣術だけじゃなくて、魔術を教えてやって。
アイシャの作った米を食べるのも、楽しみにしているんだ。
リーリャ、彼女には苦労掛けてるな……。
母さんの記憶もきっと戻るし、そうしたら、みんなで父さんの墓参りにいって。
それで、今までどおり、笑ってくらす。
楽しい楽しい異世界毎日。
そうだ、そうしよう。
それでいこう。
……よし、いける。
動く。
腕だけでも動けば、魔術は使える。
杖は、杖はどこにいった。
俺はあいつがないとダメだ。
よし、あった。
体の下敷きにしていた。
ごめんよ、アクアハーティア、重かったろう。
よし、いける、助けが来るまで粘る。
それだけだ。
勝つ必要はない。
クリフ先輩、頼みます。
ペルギウスの事、嫌いだろうけど、お願いします。
うまいこと説得してください。
たとえ今すぐは無理でも、一年以内には助けにきてもらえるように、お願い。
「えっ?」
エリナリーゼの声なき声に、顔を上げる。
彼女の視線の先を見る。
クリフがいた。
ちょうど、地下牢への入り口に到達していて。
そこから出てきた黒鎧と、鉢合わせしていて……。
黒鎧が、入り口から、出てきている。
「嘘だろ」
……中にも、いたのかよ。
「あぁ……」
なんで思いつくことが出来なかったのか。
目の前に穴があれば、いくらアトーフェだって、そこを調べさせようと思うだろうに。
「くっ……」
胸の内に、黒いものが芽生えてくる。
叫びだしたくなるような、脱力するような、勝手知ったる感覚。
絶望だ。
もう、シルフィに会うことも、ロキシーに会うこともない。
俺はあのアホみたいな魔王の配下として一生涯、体を鍛えるのだ。
俺は体から力を抜こうとした。
諦念が、体をも支配していた。
その時である。
驚愕の声が聞こえた。
「なん……だと?」
その声は、俺が発したものではなかった。
エリナリーゼでもない。
ザノバでもない。
ムーアでも、もちろん無い。
アトーフェだ。
彼女が、クリフのほうを見て、言ったのだ。
「あ、アトーフェ様……」
黒鎧がクリフを押しのけて、よろめきながら、斜面に出てきた。
何か、様子がおかしい。
「あの、魔法陣の先は、ペル……」
次の瞬間。
黒鎧が縦に割れた。
中身ごと、真っ二つに。
そして、割れた体の向こう側。
その人物が姿を現した。
輝く銀髪。
金色の三白眼。
白い服は、返り血で斑に染まっていた。
「不死魔王アトーフェラトーフェか」
彼は流暢な魔神語を喋りながら、入り口から現れた。
「まさかお前がいるとはな……だがリカリスに転移魔法陣をつなげれば、こうなる可能性も、少し考慮しておくべきだったか」
彼の後ろから、続々と他のメンツが出てくる。
光輝のアルマンフィ、空虚のシルヴァリル。
他の奴らはどれがどれかわからないが。
総勢、六名。
「貴様の薄汚い兵の血で、我が城が汚れたぞ」
そうか。
アトーフェは俺たちより、先にここについていた。
転移魔法陣への入り口をすでに見つけていた。
兵士たちにその奥の探索を命じていた。
そして兵士たちは、転移魔法陣を見つければ、当然、そこに足を踏み入れるだろう。
だから、出てきたのだ。
空中城塞を、魔族に荒らされて。
「ペェェルギィウゥスゥゥ!」
アトーフェが叫んだ。
ペルギウス・ドーラ。
『甲龍王』が、そこにいた。
---
アトーフェはペルギウスの姿を見た瞬間、気配を変えていた。
今までのように、戦いを楽しむものではない。
先ほどとは比べ物にならないぐらいの殺気を放ち、
親の仇を見つけたように、牙をむき出しにしてペルギウスを睨みつけていた。
「ペルギウス、お前ェェェ!」
アトーフェは、しびれて動けない身体をよじらせ、ザノバを押しのけた。
ザノバは力を失い、ズルリとずり落ちた。
アトーフェはペルギウスへと向き直り、ブルブルと背中の羽を動かし。
大きく溜めて跳躍しようとして、その膝をガクンと落とした。
「ハッハァー!」
ペルギウスがそれを見て、愉快そうに笑った。
「なんだ、随分と愉快な事になっているな、アトーフェラトーフェ。また油断をしたか? 油断をするのは貴様ら不死魔王の血族のお家芸だったな?」
「こいつらはお前の差し金かぁ! オレを殺すために、こんな小細工を……カールとの盟約はどうしたぁ!」
ペルギウスは笑いながらアトーフェを見下ろしている。
アトーフェは怒気だけで構成された声で、叫んでいる。
ムーアがよろよろとアトーフェに近づこうとするが、それも叶わない。
この場で満足に動けるのは、ペルギウスたちと、クリフだけだった。
ペルギウスは絶好の獲物を見つけた虎のように、アトーフェを見ている。
「勘違いするな。そやつらはただ、友を救わんと我に助力を願い出たというだけのことよ」
「嘘をつけぇぇ! うがぁぁぁぁ!」
「カールとの約束は守るさ。奴とは親友だからな」
「お前がカールの親友でも、オレはお前が嫌いだぁ!」
「…………我も貴様のような話の通じない愚か者は嫌いだ」
ペルギウスはそう言うと、手のひらを上にしつつ、両手を持ち上げた。
アトーフェが顔色を変えた。
「お、お前、まさか……」
アトーフェの問いに応えず、ペルギウスは口を開いた。
「その龍はただ忠義にのみ生きる。
両の爪は長く、鋭く、決して拳を握れない」
その出だしは、どこかで聞いた気がした。
「かの龍が怒りしとき、拳は握られん。
爪は折れ、牙は抜け、しかし思い知るだろう。
忠義を握りし龍が、いかなる思いで忠義を捨てたかを!」
一つ一つの言葉をかみ締めるように。
そして、一つの言葉が出るごとに、周囲の魔力がペルギウスに集まっていくのを感じた。
「三番目に死んだ龍。
最も鋭き瞳を持つ、白銀鱗の龍将。
甲龍王ペルギウスの名を以って召喚する――」
気づけば、アトーフェの左右、俺たち全員を挟み込むように、二つの門が現れていた。
その門には、どちらも精緻な龍の姿が彫り込まれていた。
装飾華美な白銀色の扉。
装飾華美な黄金色の扉。
ずるずると、地面から生えるように、門は生まれ出でた。
「開け『後龍門』」
「招け『前龍門』」
ペルギウスのつぶやきと同時に、扉が開いた。
風が吹いた。
右の門から左の門へと。
しかし、風ではなかった。
何か流れのようなものが、できていると。
だが、俺は知っている。
この召喚魔術は、魔力を吸い込むものだ。
俺の体の表面から、ズルズルと魔力が剥がされていくのを感じる。
オルステッドの時とは違う。
あの時よりもずっと早く体の魔力が、体力が、吸い取られていくのを感じる。
「あ、アトーフェ様、お逃げください……」
こちらに近づこうと這いずっていたムーアがつっぷした。
アトーフェは足をガクガクと震わせ、ペルギウスをにらみつけた。
「ペルギウスゥゥ!」
その体は、先ほどより、少し小さくなったように見えた。
もしかすると、あの門で闘気が拭い去られたのか。
「盟約を破る気かぁ!」
「破らんさ。ただ、このような千載一遇、滅多にないゆえな」
ペルギウスが右手を上げた。
手が白く染まっていく。
やがて右手は発光しだし、眩しいぐらいの白が周囲を埋め尽くした。
「甲龍手刀『一断』」
ペルギウスの手が、振り下ろされた。
光はまっすぐにアトーフェへと飛び。抜けた。
「憶えていろ、ペルギウスゥゥ!」
アトーフェはビクンと硬直した。
そして、一瞬のタイムラグの後、後ろへと吹っ飛んだ。
縦に体を真っ二つにされながらぶっ飛び、あっという間に俺の視界から消えた。
「ふん、どうせ死なんのだろう」
ペルギウスはそう呟くと、興味を失ったかのように踵を返した。
「シルヴァリル。四人を回収し、手当てをしろ」
「他の兵は?」
「捨て置け」
「魔界大帝キシリカの姿も見えますが」
シルヴァリルがそう言うと、俺の視界の端でうつぶせに倒れているキシリカがピクリと動いた。
知らない間に電撃に巻き込まれていたらしい。
ごめんよ。
「捨て置け」
「はっ」
どうやら、キシリカも見逃してもらえるらしい。
よかった。
「ふぅ」
俺はシルヴァリルたちが近づいてくるのを見て、ほっと息を吐いた。
……助かった。
---
それから。
俺たちはペルギウスの配下によって城内に運び込まれた。
クリフ以外は全員、肩に担がれての移動である。
その間、クリフはキシリカと話をしていたようだ。
俺が見た時、キシリカはいつものように笑い声を上げて、どこかへと消える所だった。
次はもう少しわかりやすい所にいて欲しい所だが……まあいいか。
全員が転移し終わった後、シルヴァリルが転移魔法陣を停止させた。
もう、魔大陸への道は無い。
ロキシーの両親に挨拶にいくのは、また今度になりそうだ。
感電によって傷を負った俺たちは、医務室へと運ばれた。
治療を担当したのはクリフである。
彼は、自らすすんで治療を申し出てくれた。
クリフは「こんな火傷、見たことないな……」と言いつつ、俺達の電撃傷を治癒魔術で綺麗に消してくれた。
死ぬほどではないが、火傷が肉の奥まで浸透しており、かなり重症だと教えてくれた。
放っておけば後遺症が残る、とまで言っていた。
でもそれぐらいでなければ、不死魔王を行動不能には出来なかったかもしれない。
クリフは、特にエリナリーゼの傷を丁寧に治していた。
傷でも残ったら大変だと思ったのだろう。
エリナリーゼはそんなクリフにキュンと来たらしく、治療が終わり次第、クリフを担いで何処かへと消えた。
ザノバは気を失ったままだった。
今回はこいつに助けられた。
感謝してもしきれない。
友情はプライスレスだが、礼を欠けば目減りする。
起きたら、きちんとお礼を言っておこう。
俺は治療が終わって動けるようになった後、シルフィの元へと向かった。
シルフィはベッドに横たわったまま本を読んでいたが、部屋に入ってきた俺を見て、顔をあげて首をかしげた。
どうしたの、と聞く彼女の問いに答えず、俺は無言でベッドに潜り込んで抱きついた。
シルフィは小さな悲鳴を上げた。
やや拒絶するような悲鳴に、悲しい気持ちになりながら、俺はシルフィの身体を強く抱きしめた。
そこに彼女の身体がある事が、何よりも大事に思えた。
アトーフェの笑い声が耳に残っていた。
しびれて動けなくなった時の絶望が心に残っていた。
あの戦いで死ぬことは無かっただろう。
アトーフェは手加減していたし、黒鎧たちだって果敢に攻撃してくることは無かった。
ムーアが使おうとしていた魔術も、殺傷力の高いものではない。
けれど、怖かった。
もし、ペルギウスが来てくれなければ。
アトーフェに捕まり、契約とやらをさせられていれば。
こうしてシルフィに抱きつくこともできなかった。
ルーシーが大きくなっても、その姿を見れなかったかもしれない。
ロキシーとも、ノルンとも、アイシャとも、誰とも、もう……。
ただその事が怖かった。
震えが止まらなくなるぐらい怖かった。
ふと、頭をなでられた。
シルフィの手が俺の髪を梳くように撫でていた。
彼女の指は細くて、暖かくて、柔らかかった。
シルフィは嬉しそうな顔で抱きしめ返してくれた。
なんの説明もいらなかった。
彼女は、ただ抱きしめてくれた。
それだけで十分だった。
俺はシルフィの腕の中で、安心して眠りに落ちた。
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