2016-07-02
■コミュ障脱出大作戦 
吉田尚記さんはラジオアナウンサーです。
イケメンで、面白い人です。
僕はたまに彼がTwitterで「ゴボウ」というアダ名で呼ばれているのを見て、「なんでゴボウ?」と思っていたのです。
吉田尚記さんの新刊「コミュ障は治らなくても大丈夫」が届いたのは、たぶん先月なのですが、まあ何しろここんとこ地獄の出張ラッシュ(今日も土日だというのに浜松に行きます)が続いてたので、Kindle本以外は基本的に読んでなかったんですけど、今日は日中は東京のオフィスで仕事があったので、さくらの高火力コンピューティングクラウドを使ってオートエンコーダを学習させている間、とりあえずの時間つぶしに読んでみたら、これが無茶苦茶面白い。
マンガなので気軽に読めるのもいいんだけど、まず吉田尚記さんのスベりまくる新人時代の話が無茶苦茶面白い。
新入社員歓迎会で、営業や進行といった裏方の新人が面白い自己紹介をするなか、新人アナウンサーとして超面白いことを言おうとして、「1,2,3、ダーッ!」と勢い良く言ったものの、一同ドッチラケ。まあ僕は同じ状況になったら走って家に帰ってそのまま退社するね。
今でこそ、僕も人前で話すのってまあそこそこ上手いじゃないですか。
わりと大道芸人の如く、毎週どこかでなんかのトークをしてるわけですけど。
でも僕も昔はコミュ障というか、まあとにかく人とコミュニケーションをとるのが下手だった。
僕の場合は一番コミュニケーションが下手だったのは中学時代かな。
先日、東京ビッグサイトで開催されたAI・人工知能ワールドで、僕の講演を聞きに来てくれた中学の同級生と、そのままランチに出かけたら、ふと中学時代のことを思い出した。
「亮ちゃんってあんなにすらすら人前で話せるようになったのねえ」
そうだった。
僕の黒歴史中の黒歴史は、忘れもしない中学の文化祭。
全校生徒の前でなぜか好きでもない落語を披露することになった。
わけわかんない文化祭なんだけど、体育館のステージでみんながそれぞれネタをやるという意味不明な企画が立ち上がっていて、実行委員だった落語マニアの友達に頼まれて桂三枝の現代落語を暗記させられ、頭から台本が零れ落ちそうな状態で一人でステージに座った。
僕の前は、二年上の女子の先輩二人で、タコ踊りをしてオオウケしていた。
まったく中学生というのは謎だ。なんで花も恥じらう乙女がタコ踊りをしてウケをとらなければならないのか。頭がおかしいとしか思えない。
座ってみると、全校生徒の視線が一斉に集まる。
田舎の中学校だから、全校生徒といっても、3クラスx3で400人くらいしかいないんだけど、よく考えると社会人になった今でも400人の前で喋ることってそんなにない。
そしたら頭が真っ白になっちゃって、固まってしまった。
数十秒間固まっていただろうか。
そしたら校庭で誰かが音楽のライブを初めて、全校生徒が次々と席を立って行った。それでも半分くらいは残っていたんだけど、もう一言も発しないうちから「スベった!!」という緊張感が全身を直撃し、それでもなにかやんなきゃ、と思って
「えー、バカバカしいお話をひとつ・・・大丈夫、こんなこともあろうかと他所でもう一人つくってあるんや」
と、いきなりオチを言ってしまい、さらにパニック。
全校生徒(の半分)は、壇上の男が何を言ってるか理解できず全員ポカーン。
これからなにか面白いことをするんだろうという期待の眼差しを受けて、いきなりオチを言ってしまった僕。
もうダメだ。
逃げるようにステージを飛び出して、そのまま自転車に乗って家に帰って泣いた。
社会人ならやけ酒を飲んでたところだろう。
我ながら、まさかこんなに人前で話ができないとは思わなかった。
いくつか反省すべき点はあるが、最大のものは、好きでもない落語をやることを安易に引き受けてしまったことだろう。というかあいつもなんだって僕なんかに落語ができると思ったんだ。
という話を思い出した。
「そんな話あったわねえ」
同級生のスナちゃんは、遠い目をして言った。
この経験はものすごく衝撃的で、そして僕自身をもっと別のことに駆り立てることになった。
すなわち、ウケるしゃべり方はどういうものであるか、ということにものすごく興味が向いたのだ。
そもそも、僕自身がかなり不遜な人間だったので、他人に興味がなかった。まあ今もあんまり変わらないが。
けど、敢えて「興味のないものに興味を持ってみる」ということを試し始めた。
興味のないことを探すというのは実はけっこう大変だ。
興味がないということは、要するに知らないということなのだ。何を知らないか、知らないものを探すのはインターネット全盛期の現代でも難しい。
キーワードがわかんないと探しようがないでしょ。
そこで図書館に行っていろんな棚に行ってみた。長岡市が誇るべき中央図書館は、古今東西ありとあらゆるジャンルの本があった。
当時、極めてどうでもいいと思っていた将棋や釣りなどの趣味の棚から釣り、経営、法律、国際社会、数学、物理学、英文学、日本文学、日本画、デザイン、写真・・・なんとびっくり、今思えば、このときの経験が今の僕をまさしく形作っているのだ。興味のないことに興味を持つというのはなんと便利なことなのか。
結果として、僕は「人間が一番好きなのは自分自身である」という仮説を僕は持っている。まあほぼほぼ間違いないだろう。
そして、逆に言えば、そもそも他人に興味がないというのがデフォルトの状態なのである。
なんだ、他人に興味がないのは別に僕だけじゃないのだ。
吉田さんの本を読んだらそんなことを思い出した。
中でも特に驚いたのが、おそらくタモリと思われる業界の大物のアシスタントになったときの話だ。
大物を目の前にして緊張する吉田さんに、タモリ(たぶん)は「吉田ってどういう字を書くの?」という、恐ろしくとうでもいい質問をしたのだ。
「えーと、ふつうの吉田です。大吉の吉に田んぼの田で」
「吉の字は上が長いの?下が長いの?」
「いやー、ずっと上が長いんだと思っていたんですけど、こないだ婚姻届書くために本籍見たら、実は下の方が長かったんですよー」
「そう、それを聞きたかったのよ。じゃあふつうの吉田だ」
「そうですね、普通の吉田です」
タモリ凄すぎる。
ふつう、「吉田」と言われたら、「へー、よしだね」くらいで終わるところを、吉田の字に敢えてツッコむことで先日結婚したばかりというプライベートな情報をラジオでさらりと言わせた。これ、新人アシスタントが自分で言ったら「うぜえな」と思われるポイントだけど、タモリの質問に答えるかたちなら何の問題もない。
そして吉田さんはタモリの何気ない質問の持つ強烈な威力に感動し、次第に誰とでも会話できるコミュ障アナウンサーとして人気者になっていくのだ。
他にも実用的に使えるコミュニケーションのツールがいくもつ紹介されていて、僕は特に自分のコミュニケーションで困ったところがあるわけではないんだけど、「なるほどこれは使える」という目からウロコのテクニックが満載で非常におもしろかった。
そして吉田尚記さんがなぜ「ゴボウ」と呼ばれているのかという秘密も本書を読んでようやくわかりました。
いや面白い。天才!
というわけで、献本いただかなかったら絶対に読んでなかっただろうな(僕は自分がコミュ障だと思ってないから)という本ではあったんだけど、予想外に面白かったので、コミュニケーションに困ってない方にもお薦めです。
コミュ障は治らなくても大丈夫 コミックエッセイでわかるマイナスからの会話力 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)
- 作者: 水谷緑,吉田尚記
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