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【社説】

熊本で再審決定 検察は隠していたのか

 検察の全面証拠開示は不可欠だ。三十一年前の殺人事件で、熊本地裁は再審開始を決定した。懲役十三年が確定し、服役した熊本市の宮田浩喜さんは既に八十三歳の高齢だ。救済は急務といえる。

 有罪を支えていたはずの証拠が、実は何もなかった−。そう表現してもいいのではなかろうか。そもそも宮田さんと犯行を直接、結び付ける証拠は自白しかなかった。捜査段階の自白であり、一審の第五回公判から否認に転じていた。

 客観証拠はなかったのだ。

 事件は一九八五年だ。熊本県松橋町(現・宇城市)の男性宅で仲間ら三人と飲食中に口論になり、宮田さんは一度帰宅した後、男性宅に戻り、首や顔などを小刀で突き刺して殺害したとされた。有罪は確定し、既に服役を終えた。

 再審開始への決め手となった弁護側の「新証拠」は、裁判官の職権に基づいて検察側に開示させた証拠の中から見つかっている。例えば、シャツの一部だ。凶器とされたのは小刀で、それに布を巻き付けて犯行が行われたというストーリーが認定されていた。供述調書などによれば、犯行後、その布は燃やされたはずだった。

 だが、検察側にはその布片が残っており、組み合わせると、一枚のシャツに復元できたのだ。布切れは燃やされておらず、血液も付いていないことが判明した。凶器であるはずの小刀の形状と、被害者の傷痕の形状が一致しない−そんな鑑定書なども新証拠として提出された。

 熊本地裁が「自白の重要部分に疑義が生じており、確定判決の有罪認定を維持できなくなった」と判断したのも当然である。

 容疑者の供述は一般的に取調官に迎合しやすい傾向があるとされる。だからこそ、自白の信用性や任意性は厳しく判断されねばならない。自白の有無にかかわらず、客観証拠だけで犯人を特定できる捜査のレベルが求められる。

 とくに証拠開示が問題だ。検察側は不都合な証拠を隠しているのではないか。今回の事件でも「証拠隠し」が指摘される。今年五月の刑事司法改革関連法の成立によって、証拠リストが弁護側に開示されることになった。本来は再審を求める事件でも、全面的な証拠開示をすべきである。

 裁判官の職権ではなくて、刑事裁判のルールとして、全面証拠開示へと移行しないと、無実の人に「有罪」を背負わせるという不正義がまかり通ってしまう。

 

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