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【首都スポ】

7人制ラグビー フィジー出身の2人が五輪での活躍誓う

2016年7月1日 紙面から

長く柔らかい手足とバネをいかしたプレーがトゥキリの武器だ=札幌市の定山渓グラウンドで

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 リオでフィジアンパワー爆発だ! リオデジャネイロ五輪で採用される新種目・7人制ラグビーの日本代表が6月29日に発表された。男女14人ずつのメンバーの中で、ユニークな経歴を持つのが男子の日本代表に入ったフィジー生まれの日本代表、トゥキリ・ロテ(28)=クボタ=と副島亀里ララボウラティアナラ(33)=玄海タンガロア=だ。トゥキリはフィジーから栃木県の白鴎大に留学し、北海道のクラブチーム「北海道バーバリアンズ」でプレーしながらセブンズ日本代表で活躍してきた。セブンズ王国・フィジーのDNAが日本にメダルを運ぶ!! (文・写真=大友信彦)

◆トゥキリ 魔法のパスでメダルもたらす

 「メンバーに選ばれてうれしい。オリンピックの舞台でベストを出したい」

 先月29日に東京都内で行われた五輪代表発表会見。男女27人の五輪代表メンバーが発表された中で、そんなシンプルな抱負を語ったのがトゥキリ・ロテだった。

 トゥキリは白鴎大の卒業を控えた2011年3月に7人制日本代表デビュー。以来、高さと強さと柔らかさを兼ね備えた、同代表の攻守の要として活躍してきた。13年のセブンズW杯にも出場。15年には日本国籍も取得し、昨年11月のリオ五輪アジア予選では日本FWの切り札として活躍した。相手のタックルを受けながら、反対側の手で柔らかくボールをつなぐ魔法のパスは世界レベル。強敵ひしめく男子7人制でメダル獲得を目指す日本男子の大黒柱なのだ。

 生まれは「セブンズ王国」として名高いフィジー。生まれ育ったシンガトカの町のクラブで、5歳のときにラグビーを始めた。

 「シンガトカの町には子どものチームはなかったから、最初から大人と一緒にプレーしていたよ。初めて試合をしたのは10歳のとき、周りはみんな大人だった。グラウンドは斜めだったよ(笑)」

 日本に来たのは07年。元フィジー代表主将で7人制日本代表監督も務めた白鴎大のパウロ・ナワルHCにスカウトされた。

 「奨学金をもらって勉強できるというお話だった。僕は5人兄弟の長男だったし、家族も勉強を続けさせたがっていたからとても喜んでくれた」

 ただ、常夏の島からやってきたロテにとって、白鴎大のある栃木の寒さはこたえた。「シンガトカはフィジーの中でも暑い方なんだ」

 白鴎大は関東大学リーグの2〜3部で、ひのき舞台とは無縁だったが、チャンスをつかんだのは白鴎大4年のときだ。ナワルHCの勧めでセブンズ日本代表のトライアウトを受験して合格し、11年3月の香港セブンズで日本代表デビュー。188センチの長身と、セブンズ王国フィジーで培った柔らかいハンドリングで、たちまちセブンズ日本代表の欠かせない存在となった。

 大学が下部リーグだったためにトップリーグのスカウトには誘われなかったが、北海道バーバリアンズへ。NPO法人として活動する同クラブの職員として、グラウンド整備などの仕事をしながらラグビーを続けた。

 「雪を初めて見たときは感動したよ。それまでテレビでしか見たことがなかったから。札幌は自然が豊かだし大好き。札幌ラーメンはナンバーワン! 休みの日はみそラーメンだね(笑)」

 15年には日本国籍も取得。五輪を意識しての決断だった。

トゥキリとともにリオ五輪に挑む、フィジー出身仲間の副島亀里ララボウラティアナラ

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 「五輪にあこがれたのは00年のシドニーのとき。1軒だけテレビのある家に村中の人が集まって見ていた。オーストラリアのキャシー・フリーマンが女子400メートルに優勝して、アボリジニで初めての金メダリストになったときは興奮した。その舞台に僕も立てるのはうれしい」

 今は、フィジーのトゥキリ家にはロテが送ったテレビがあるそうだ。

 サンウルブズでプレーする米国代表のトーマス・デュルタロはフィジーから一緒に来日し、白鴎大でともに学んだ仲だ。

 「白鴎大の寮でもずっと一緒で、寒さに震えていたよ(笑)。リオで対戦できたらいいねと話しているんだ」

 村に1台のテレビにかじりついて五輪にあこがれた少年は北関東の寒気の中で鍛えられ、ついに遠い日本の代表としてリオ行き切符をつかんだ。決戦は目の前だ。

◆副島亀里ララボウラティアナラ 息ぴったり

 「同じフィジアンだからかな。フィーリングが合うんだ。ゲーム中も、アイコンタクトだけで大体うまくいくよ」

 トゥキリがそう絶賛するのは副島亀里ララボウラティアナラ。所属は福岡にある玄海タンガロアというクラブチームだ。フィジーで国際協力機構(JICA)のボランティアだった彩さんと出会い、結婚して来日。彩さんの実家のある佐賀県で道路工事の仕事をしながら佐賀工のラグビー部で一緒に練習し、13年に日本国籍を取得。同年の東京国体で活躍したのをきっかけに7人制日本代表入りした。

 現在は五輪に向け、仕事免除で給料が支払われている。地元の仲間も募金活動で競技に専念する環境を支える。「みんなが応援してくれる。ハリウッドスターになったみたいな気分だよ」。トゥキリの才能も、フィジアンならではの感覚を共有する仲間がいればより輝く。トゥキリ−副島の“フィジアン・ホットライン”が日本男子にメダルをもたらす?

セブンズ王国フィジーは2014年東京セブンズでも優勝した=秩父宮ラグビー場で

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<トゥキリ・ロテ> 1987年11月12日、フィジー・シンガトカ生まれの28歳。188センチ、98キロ。5歳でラグビーを始め、マリストブラザース高卒業後の2007年に来日して白鴎大(栃木)に入学。同大4年の11年3月に7人制日本代表入り。11年4月から北海道バーバリアンズでプレーし、13年のW杯セブンズに出場。15年に日本国籍を取得し、同年11月のリオ五輪アジア予選でも日本の優勝に貢献。16年4月からトップリーグのクボタスピアーズに移籍。ポジションは15人制ではCTB、7人制ではプロップ。

<フィジー共和国> 南太平洋の大小332の島からなる国。人口約89万人(2014年・世界銀行調べ)。ラグビーは国技とされ、特に個人技が多くの比重を占める7人制では1997年と2005年のW杯で優勝するなど世界の強豪として知られる。日本でも多くの選手がプレーし、1999年W杯で活躍したパティリアイ・ツイドラキ(故人)ら日本代表入りした選手も多い。15人制では87年と2007年に8強入りしている。リオ五輪には男女ともに出場。男子は優勝候補に挙げられており、メダルを獲得すれば五輪では初となる。

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