紅と白 ① これが、日本だ。
昨年12月に行った、坂本冬美のコンサートは良かった。持ち歌の演歌はもちろんのこと、ビリー・バンバンの「また君に恋してる」、西田佐知子の「コーヒールンバ」、伊東ゆかりの「あなたしか見えない」などのカバー曲も秀逸だった。あらためて彼女のジャンルを問わない芸達者ぶりに感動した。デビュー30周年になる今年の公演が、今から待ち遠しい。
「紅白はここ3年で2回も歌詞を間違えてるんです。今から緊張してます」
舞台で冬美はそう言っていた。ちゃんと歌えているか、見届けてやろう。そう考えた私は、何十年かぶりに、昨年末の「第66回 NHK紅白歌合戦」を見た(ただし録画で)。
計算されたお祭り騒ぎに、52歳のオジサンになった私は、冷ややかな視線を送りつつ、AKB48高橋みなみのグループ脱退最終パフォーマンスに涙した(ファンではない。もらい泣きです)。以下は、私の”第1回紅白観戦記”である。
前々から思っていたのだが、性別に分けて争うことに何の意味があるのだろうか? 会場の審査員、聴衆の評価、さらには視聴者による投票が加算され、どちらかに軍配が上がるのだが、何を基準にしているのか、さっぱりわからない。私は性別は男だけれど、別に白組を応援したいとは思わない。かといって冬美が所属する紅組に思い入れがあるわけでもない。
性別で争うことに意味がないことに、NHKもわかっているはずだ。伝統だから続けているに過ぎない。形骸化した仏教を葬式仏教と言うが、現在の紅白は葬式紅白だ。
どうせ争うなら、西日本vs東日本とかにする方が、応援にも力が入るのではないか。そうなれば、私は西を支持する。なんといっても西は私のホームタウンであるし、政治経済の中心がある東には対抗意識もある。なんなら、西の応援団長になってもいい(ムリムリ)。
あるいは北は北海道・東北から、南は九州・沖縄のブロックの中核局が、持ち回りで主催するのも面白いかもしれない。北海道・東北ブロックが主催するときには、ブロック内出身の歌手を多めに出す。地元の民謡を入れるなどして、地方色を出すのもいい。関西ブロック主催の際は、私が応援団長を引き受ける(出たいのかよ!)。NHKよ、一考あれ。
さて、われらが坂本冬美は、52組中9番目に登場し、デビューしてすぐに出した「祝い酒」を歌った。さすが27回目の出場だけあって、堂々としている。本人懸案の歌詞の間違いもなかった。「よし!」。私は胸をなでおろし、テレビの前で、祝い酒をグイグイ飲んだのであった。
まあ、音程をはずすのならともかく、別に歌詞の言い間違いぐらい、いいではないかと思うのだが、そこはプロの心意気があるのだろう。
それよりも、人気子役(らしい)鈴木梨央と寺田心が、冬美にまとわりつくように踊っていたのが気になった。冬美は歌を聴かせる正真正銘の歌手であって、余計な演出は要らないのである。画面が見栄えすると思ったのか、はたまた子役人気で演歌ファン以外の視聴者獲得を狙ったのか、いずれにしても冬美もなめられたものである。
今回の紅白のテーマは「ザッツ、日本!ザッツ、紅白!」だった。これぞ、日本、紅白と言いたいのであれば、「ザッツ」などという外国語は要らない。ノー、サンキュー!
4時間半に及ぶ放送で私が感じたのは「ザッツ、NHK!」であった。総合司会の有働有美子アナと白組司会の井ノ原快彦(V6)は、総合テレビ「あさイチ」で、ともにMCを務めている。紅組司会の綾瀬はるかは、2013年の大河ドラマ「八重の桜」で主役を演じ、今年も3月から始まる大河ファンタジー「精霊の守り人」で主演を務める。内輪で固めました、という印象はぬぐえない。まあ、今に始まったことではないけれど。
あと、歌とはほとんど関係がない番組宣伝が多すぎる。紅白の審査員には、1月から始まった大河ドラマ「真田丸」に出演する堺雅人、大泉洋、長澤まさみの3大スターが、ドーンと控えていた。番組の最後に感想を聞かれた堺は、「本当に堪能しました。新しくて懐かしい大河、大河じゃないよ紅白、素晴らしかったです!」と言い間違えていた。大河ドラマで頭がいっぱいだったのだろう。
この他にも、土屋太鳳(連続テレビ小説「まれ」主演)、有村架純(同「あまちゃん」出演)、所ジョージ(「所さん!大変ですよ」司会)、上橋菜穂子(「精霊の守り人」原作者)が勢ぞろい。フィギュアスケーターの羽生結弦は、NHK杯の顔である。ここまでやるか、と言いたくなる、NHKシフトではないか。CMがないのが国営放送の利点だが、自局の番組を宣伝しまくりである。
番組と関係がないのは、三宅宏美(ウエイトリフティング)、又吉直樹(漫才師、作家)くらいである。三宅の後ろの席には二戸一の父親、又吉の後ろには、相方の綾部祐二が背後霊のように座っていたのが可笑しかった。
NHK 関連で言えば、NMB48の「365日の紙飛行機」は、現在放映中の連続テレビ小説「あさが来た」の主題歌だが、歌が始まるまでの前ふりが長かった。ドラマの登場人物が芝居仕立てのVTRで登場し、その後、実際に7人の出演者が紅白のステージに駆けつけ、今後どんなストーリー展開になるか、インタビューを受けていた。
こんなん、要る? ドラマを見ている視聴者は面白いかもしれないけれど、そうでなければ、なにひとつも楽しめないではないか。NMB48のパフォーマンスが素晴らしかっただけに(楽曲とくに編曲がいい)、ドラマの宣伝は絶対にないほうがよかった。
今年は「戦後70年」ということで、「エンタテーメントの決定版」(井ノ原快彦)を意識したらしい。たとえばそれは、嵐と「スター・ウォーズ」のコラボレーションであったり、ディズニー映画の主題歌メドレーであったりするらしい。
前者は言うまでもなく、公開中の映画に合わせた企画である。ルーカスフィルムはディズニーに買収されたので、まるまるディズニーのコーナーになっていた。国営放送が、外国の映画会社の宣伝を延々してええんか、と思う。
しかも敗戦70年の年に、である(「終戦」は官僚の造語)。この70年は、番組の冒頭でも強調されていた。アメリカに負けて70年の年に、なぜ米国製の映画の主題歌やキャラクターを”国民的番組”に登場させなければならないのだ。これではいまだに被占領国のままではないか。
しかもディズニーは、著作権法を延長してまで自社キャラクターの賞味期限を延ばしすのに必死である。そんな会社に、国営放送局が加担していいのだろうか。
まあ、日本のアニメの主題歌メドレーもあったけど、「ザッツ、日本!」と謳うのであれば、国産だけにすればいい。やっていることが、ちぐはぐなのである。
そういった企画や演出の内容はともかく、企画された筋書き通りに事を運ぶ手際のよさには舌を巻いた。ただ、管理されたマスゲームを見ているようで、はぐれ者の私としては、恐怖に似たものを感じた。
ステージ上の歌唱・演奏に、他の歌手たちが、しきりにペンライトや風船を振っていた。応援している(させられている)らしい。舞台の上だけではない。審査員も、観客も同じ動作をしている。その過剰な集団主義は、見ていて気色が悪かった。私が審査員だったら(ないない)、あるいは客席にいたら、それを拒否するだろう。
野球観戦であれ、コンサートであれ、私は周囲と同じように歌ったり、同じ動作をすることに抵抗がある。よくコンサートで歌手が「1階席だけ歌いましょう」「今度は男性だけ」と呼びかけるが、私はそういった誘いには、絶対に乗らない。人と同じ事をするのが、生理的に嫌なのである。学校じゃあるまいし。
12番目に登場した三山ひろし(初出場)の「お岩木山」の間奏で、カメラが観客席からステージを映していた。すると舞台袖の「ペンライト用意!」と大書されたプラカードが映し出された。やはり観客は、ペンライトを振ることを要請(強制)されていたのだ!
観客は三山のファンだけではない。知らない人もいるだろう(私がそうだ)。そういう人もペンライトを振らなければならないとしたら、あの一見、華やかで熱気に満ちたホール風景は、にせものではないか。いやなものを見てしまったなあ・・・。
いやこの集団主義こそが、「ザッツ、日本!」なのかもしれない。(2016・1・ 25)