2016年前半(1月~6月)にテレビでみかけた「テレビ」に関する言葉の羅列。要は、自分のツイートを「テレビ」で検索して出てきた言葉をピックアップして並べて編集するという作業の結果。過去のはカテゴリーから飛んでください。
個人的に視聴した範囲に限られるのでもちろん偏りがあるのだけれど、発言者も番組も異なる言葉のあいだになんとなくある、矛盾も含んだつながりがおもしろい気が。テレビが伝えるテレビの余分と、テレビが伝えないテレビの余白。ということで、以下、1月から順に、敬称略で。
小泉今日子「(昔は)テレビの演出家のかたでも厳しいかたがたくさんいて、ホントに下手くそだとか、そんなことは普通に言われてました」
薬師丸ひろ子「声とかね。発声もそうだし、言葉の聞き取りやすさとか」
小泉「音声さんもみんなで」
薬師丸「みんながどっかこう、お父さんみたいな」
小泉「そうですね。厳しくも優しくもあるっていう感じで。育てようっていう気持ちがすごくあったかもしれない。映画自体をまたみんなで盛り上げようっていうような」
男性「田舎の母がみてますので。『何してんだ?』って」
ケンドーコバヤシ「母親の前でカラいもんはなかなか…」
男性「大学出て、卒業して、就職して、やめちゃってるんで。こんな格好してて…」
コバヤシ「その姿をいまパッとテレビで急にみせたくはないと」
男性「そうです」
羽田圭介「テレビで自分の本を紹介しさえすれば売れるに決まってると思ってたんですよ。でも意外とテレビの影響力って本の売り上げにあんま関係ないなってことが段々わかってきたんですよ。だから最近はギャラ上げの交渉とかして、出演料で稼ぐ」
ヒロミ「テレビをみないんじゃなくて、テレビでみないんだと思うんだよね、若いコは」
ヒャダイン「失礼なナレーションが増えたなと思うんですね。いい意味でちょっと失礼というか。それってボクらがお茶の間でみてて、隣の人としゃべってるような内容をそのまま出してくれてる感じがして。やっぱテレビの向こう側のディレクターとかもそう思ってるんだってことで、悪口の共感というか」
吉田正樹「やっぱりテレビは、サブカルチャーをうまくフューチャーして、サブカルの人、モノを吸収して、どんどんそれを大きくしていくみたいなのが、地上波の醍醐味だと思うんですよ。ダウンタウンもそのときはサブカルだったんですよ」
千原ジュニア「『アンタそんなことしてたら吉本しか行かれへんで』みたいなことで(芸能界に)入ってきてた時代が、いまは『アンタそんなことしてたら吉本入ってテレビ出られへんで』みたいな」
岡村隆史「すべてが全部がうまく回ってるときっていうのは、さほど、なんでしょう…テレビの向こう側の人って笑顔にできてないんじゃないかなっていう。なんか背負ってる、背負ってないと、満たされてたらダメなんやろなぁって思ったりするんですよね」
(ネットニュースのつくりかたについて)
駒井千佳子「各スポーツ紙の、普段芸能の現場に行ってる記者さんが、順番でシフト制になってまして、たとえばテレビ担当の日はテレビのピックアップされた番組をずーっとみてチェックしてる」
(プロボクサー・亀田興毅という演出について)
亀田興毅「テレビみてもらって、試合も会場にお金払って来てくれてる、っていうひとつの商品じゃないですか。プロとしてやってるからね。でも、いまはもう引退したじゃないですか。これからはそんな嫌われたくないですよね」
田中シングル「(2015年はラッスンゴレライで)一気にテレビ出させてもらいまして、一気にテレビ出なくなりました」
はまやねん「8.6秒で1年間終わりましたね」
三遊亭小遊三「年が改まりましてもう半月でございますね。今年は三が日好天に恵まれ、また箱根駅伝は歴史に残る名勝負をいたしました。あとはこれといって浮かびませんが、会場のお客さまも同じでございましょう。さて、テレビご覧の皆様方、今日は一体去年でしょうか、今年でしょうか。小遊三でございます」
渡部建「食べ物がテレビに出てくる、感想を言う、ってこれもう義務なんです、テレビの」
塚田僚一「タレントさん、出演者さんがお給料高いって思うんですよね。同じテレビ番組とか作品だったりとかをつくっている、そのひとつの歯車なのに、スタッフさんも演者もそのひとつなのに、なんでタレントさんだけお金多いんだろうって」
石田明「ボクほんまお笑いファンからスタートしたんで、テレビで同じネタばっかみるのが嫌なんですよ。だからボクはなるべくちがうネタをやりたいなぁっていうことで、いまもずーっとネタをつくってるんですよ」
中川礼二「そんな真剣にみてないって、テレビみてる人」
小島瑠璃子「テレビに出てるときは、自分の明るい部分を抽出してテレビに出てる感じ」
菊地亜美「『テレビみないからわかんない』って言ってくるアレいらないよね。だってさ、自分たちがもし、はじめましての人で会って知らなくても、たとえばスポーツとかだったら、『私スポーツ全然知らないんでアナタのこと知らないです』って言わないじゃん」
渡部建「基本的にわれわれテレビでこうやって商売するには、ここの人たち(=女性)にハマらなきゃいけないんですよ。メディアっていうのは、ほぼ女性向けに…」
岡村隆史「モテるもんな! オマエ、モテるもんな!」
山崎樹範「28で『天体観測』初連ドラ出て、そのあと1年間バイトまだ続けてたからね。テレビ出たらオレすぐ食えると思ってたのに、連ドラ決まった瞬間に車何買おうって思ったぐらいだったのに、ぜんっぜん食えないのね」
(息子に直してほしいところ)
岩尾望の母「最近太ってきているのでやせてほしいです。世間ではブサイクと言われてるけど、親としてはテレビにカワイらしく映ってるやんと、いつも思っています。でも、もう少しやせたらもっとカワイくなりますよ。せっかくカッコいい服を着てるのに、太ってると洋服がかわいそうです。洋服のブランドにも迷惑だと思います」
永六輔「ラジオで巨泉にめぐりあって、また長い長い歴史があってテレビとラジオでわかれてて、両方が両方…いまは巨泉はラジオで素晴らしいですよ。ラジオのトークが。ひと回りしてきたんだなと」
小宮浩信「いろんなキャラ模索してたなか、走って転んで歯失って、それでなんかちょっとテレビ出れるみたいな。盲点でした」
中井貴一「小学校の時に眠い目をこすって、親には寝たふりをして、ホフク前進でテレビまで行って、テレビをつけて『11PM』をつけてみる。そうするとガラッと音がするからパチッと消すけど、ブラウン管のテレビだから小さく光が残る、それでバレる、みたいなことの箱だった」
東野幸治「たまに女性アナウンサー同士でうわーっとすっごいはしゃいでるときあるんですよ、朝の番組で。寝起きやからちょっとイラッとするときあるんですよ。朝から女子社員同士がはしゃいでんのを、なんでテレビでみなアカンねんと思って」
(『ダウンタウンなう』で共演後の逮捕を受けて)
松本人志「テレビ出てきてね『覚醒剤やってました』ってそんなこと言えるわけないんですよ。それはわかってるんですよ。じゃあなんで出てきたんやっていうね。ウソつきに出てきたんかっていうことやから。それでギャラもらって。テレビをちょっとナメてんのかっていう気がボクはする」
トキ「ボクらのときはまだ(リズムネタで)3年ぐらいお仕事いただいてた時期があったんですけど、いまもうテレビに出る前に無料動画でバンッと火がつくと。みんな無料動画みるんですよ。で、それで飽きちゃうんですよ。無料動画で飽きたまま、劇場とかにも足を運ばないまま、何もないただの一発屋が生まれるわけです。なんのお金も稼いでない…」
明石家さんま「ゼロ発屋か」
トキ「カネのないただの一発屋が生まれるという、おそろしいサイクルなんです、いま」
(Mr.マリックをゲストに迎えて)
はに丸「超能力者っぽい感じでテレビに出ちゃって、みんなダマされちゃったんだよね。被害者の会の靖子ちゃん、そうだよね?」
光浦靖子「ダマされた、んー…でも、ダマされるってステキなことじゃない?」
ドン小西「しかし世の中ダサいよね。思わない? テレビをみててもさ、なんだろなぁ、文化を引っ張ってるっていう新しさがないよね」
吉田敬「ボケの人間かてね、(コメントが)テレビに使ってもらえるやりかたはわかりますよ。たとえば『おい、この番組スタッフ頭おかしいよ!』とか。まぁ使われますねこのコメントは」
小杉竜一「でも言わない」
吉田「言わない」
ヒロミ「芸能人を清廉潔白な人たちと思っちゃダメなんですよ。テレビに出てる人はすごく正しくなくちゃ出ちゃいけないんじゃないかみたいなことになってるから。よくオレらが芸能界だと(ゴシップ対象の芸能人を)擁護するじゃんか。そりゃしょうがいないよね、身内なんだから」
佐々木恭子アナ「そんなにテレビにクリーンさって求められてるんでしょうか?」
松本人志「んー、でもボクはなんか、いまテレビは逆に誠実さが必要かなと思ってますけどね。なんていうんでしょうね、誠実な番組。『ワイドナショー』は割とそうかなと思うんですけどね」
佐々木アナ「ギリギリなところで、ここまで言っていい、ここまでは言っちゃいけないっていうところ、どう線引きされてるんですか?」
松本「正直にしゃべろうっていう、ボクはそんな感じで。すっごい下品なワイドショーもありますもんね。なんだと思いますか?」
村西とおる「私がみなさんの前でテレビに出てくるっていうことはね、私にとってはね、職業を失うってことなんですよ。っていうのはキワモノじゃなくなるから。『えー、おぞましい』とかね、『わー、信じられない』とか、『わー、人でなし』みたいなイメージがないと、私たちの仕事ってのは当たり前になっちゃったら、誰でもやってAV監督ってステキねと、常識人ねと、当たり前の人間と思われたら私たちの商品価値っていうのはないんですね」
千原ジュニア「ボクらはこのテレビのなかが職場でもあるから、なかなかね、言えないことがいっぱいあるんですよ。それ言うてまうともう次から笑われへんわオマエで、みたいな」
天達武史「テレビ変えてかないとダメでしょうね。(天気予報の)エンタメ化」
佐野瑞樹アナ「お台場の上空は今夜寒波に見まわれ、この『めちゃイケ』スペシャルをみているみなさんの握るテレビリモコンが、ひとりの人間の人生を変えようとしている、そんな緊張感を楽しむ冬将軍の高笑いが聞こえるようであります」
益若つばさ「テレビもホントは全然出なくていい。いつでも潮時だなとは思ってる、テレビは、正直。芸能人ってすごいずば抜けておもしろいとか、ずば抜けて変わった人が出てるなかで、私は別に特技もないし、変わったこともなにもないのに出続けることが、すごい嫌で嫌で」
有吉弘行「プライベートの電話の話とかテレビでしないほうがいいよ。アッコさんじゃないんだから」
カズレーザー「そうです。あ、でもボク、テレビでみたことあるんで大丈夫です」
富澤たけし「最初にテレビでネタをやるっていうときに、起承転結とかを結構考えてやってたんですけど、途中からチャンネルを回す人もいるからそんなにそここだわんなくていいみたいなことは、(言われて)なるほどなと思いました」
徳井義実「オレ一応この仕事させてもらってるけど、芸人として…極端に言うとよ、自分で人様に自信をもって提供できるものが、もうネタ的なものしかないのよ。で、ある種、30歳ぐらいのときに、『M-1』とかもあったりして、提供できるネタみたいなものはもう提供したの。そのあとこうやってテレビとか出させてもらって、いろんな番組呼んでもらったりするけど、そこはもう、オレのなかではもう、なんか…」
小沢一敬「余技というかね。芸じゃないぞと」
徳井「そう。うちの正規の商品じゃないものでやらせてもらってるから、年齢とともに、ホンマに仕事いただけるんであればというか、オファーしてもらえるんであれば、やらせてもらいますっていう感じになんかなってきたというか…」
(芸能活動自粛から復帰したときについて)
稲垣吾郎「緊張しましたよね、やっぱり。半年くらいテレビ局に来てなかったし、明るいところとかも半年ぶりぐらいだったから、スタジオがこんなにまぶしいんだってすごい思ったんですよね」
マツコ・デラックス「罰ゲームみたいなのをたまにやらされると、なんかこう初心に帰れるっていうか。まだテレビに対してドキドキして向き合ってたころの自分に戻れるところはあるね」
蛭子能収「オレはいつも考えているんですけど、麻雀で、このくらいの一定の金額までは許されるような…解禁してほしいなと思います。世の中にほとんどはびこってるものっていうか、そういうものは法律的に解禁したほうがいいんじゃないかと」
設楽統「すごいこと言うなテレビで」
(『5時に夢中!』のアシスタントが他の番組とちがうところ)
内藤聡子「ギリギリの品格を保ちつつ、どこまで下品にいくかっていうそのせめぎあいですね」
ふかわりょう「そもそもこの番組、テレビ番組じゃないですからね。みえるラジオですから」
古舘伊知郎「考えてみればですね、テレビの地上波、地上波なんていちいち言わなくても、テレビの一人勝ちの時代がありました。その素晴らしい時流に、よき時代に乗ってですね、綺羅星のごとく、あの久米宏さんが、素晴らしい『ニュースステーション』というニュースショー、まさに時流の一番槍をかかげて突っ走りました。私はその後を受け継ぎました。テレビの地上波もだんだん厳しくなってまいりました。競争相手が多くなりました。でもそういうなかでも、しんがりを務めさせていただいたかなと、そういうささやかな自負はもっております。さぁ、このあとは、通信と放送の融合、二人羽織、どうなっていくんでしょうか」
笑福亭鶴瓶「ボクら、いかに自然にしゃべるかっていうのを目指してやってきたんやからね」
鶴瓶「いやぁ、テレビはあかんかった。ラジオは自然やったから。だからラジオみたいにしゃべるテレビはないかなって、ずーっと思ってたっていうのはあるね」
井上公造「ワイドショーの人間からすると、(不倫の)相手がわからないんですよ、おばちゃんたちには。今になればゲスの極みっていうのはみんな認知してしまったけど。テレビはやらないと思うな。初っ端に(情報を)つかんでも、テレビはやらないでしょうね」
ふかわりょう「DJをしてるときも、『5時に夢中!』でMCしてるときも、変わらないんだなっていうような。お茶の間がダンスフロアーで、テレビがミラーボールなんだなっていう」
(ヘリコプターで東京上空を遊覧して)
マツコ・デラックス「東京の巨大さというか。あそこにみんな人がいて生活してるって思うと…で、あの人たちに向けてアタシはテレビでしゃべってるのよね。そう思うとなんかこう、身の引き締まる思いだったわ」
加藤諒「あるとき朝ドラ出たんですよ。その瞬間、(学校の先生の態度が)コロッと変わりますね。周りの友だちとかもコロッと変わります。それが中2ですね。そのときはちょっとゾワッとしました。自分の価値って芸能でテレビ出てることだけなのかなとか」
麻生久美子「これホントに良くないんですが、(小さいころ)道路があったかくって気持ちよくて、ちょっと大の字になって寝てたんですね。そしたら車が止まったんですよ。それがおもしろくて、それを繰り返して母親にものすごい怒られた。テレビでする話じゃないけど」
ピーコ「いま映画評論家が正直に(映画の評価を)言ったら仕事なくなっちゃうんだもん。テレビ局が映画つくってるから」
永野「なかなか慣れてないんですテレビに。ニコニコ動画が長くて」
糸井重里「仕事してる最中に(視野の外の)90度の角度でテレビがこっちにあって、叶姉妹が出るとわかるもん。みたいかみたくないかの話じゃなくて、目がいくもん」
笑福亭鶴瓶「毒吐く人間が残るんでしょうね、しまいには。このテレビ界には」
マツコ・デラックス「(ラジオは)自由ではないと思うよ。そりゃ言っちゃいけないこともあるし。だから、こう…じゃあラジオのほうが自由だからおもしろいね、って言っちゃうと、テレビに携わってるものとしては逃げ口上じゃない。テレビもやってラジオもやって、ラジオのほうが自由だからいいって言っちゃうのは、なんかもう…じゃあテレビはボクはそんなにおもしろいと思ってませんよ、私はテレビでは本領発揮してませんよ、って言っちゃってるようなもんじゃない。自分もラジオをやっててラジオは楽しいなと思ったときもあるけど、制約はどこにいてもあるじゃない。そのなかでおもしろくしなきゃいけないんだなぁ、ってラジオに出ると振り返られる」
岩下尚史「そんなにさびしけりゃテレビ消してね、夜中に自転車こげばいいのよ。これがね、よりさびしくなる」
(『トットてれび』のオファーを受けて)
満島ひかり「監督が『テレビドラマでいまできる遊びをしてみたい』って。『テレビがおもちゃだったころ、まだみんなが空をつかむようにテレビをやってた時代みたいに、遊ぶことがしたい』っていうので、ちょっといいなと思って」
ナレ-ション(小泉今日子)「日本でテレビがはじめて放送されたのは、昭和28年2月1日。テレビはまだ日本全国で866台しかなかった。テレビといわずにいちいちきちんとこう言った」
黒柳徹子(100歳)「テレビジョン!」
高畑淳子「若いときはやっぱり、お芝居するんだっていうのを、アカデミックな新劇チックなことで教えられたので、そういうのがすごくあったんですね。いまだんだんとれていってるのが、バラエティとかこういうところでおしゃべりさせていただいたり、こういう世界に出るようになって、ちょっとずつ生に近づいてきてるのがおもしろいんだと思いますね。でも1回そういうのでうまくいくと、テレビ局ってそれを執拗に求めるっていうのもありますもんね。恐ろしい世界ですね」
笑福亭鶴瓶「ええかげんな世界でしょ? テレビの世界ってええかげんなように思われるじゃないですか。思われるからこそちゃんとしとかなアカンって思いますね」
Ken Yokoyama「いまインターネットでいろんな人が出てきていろんな情報があるじゃないですか。それでなんかテレビが逆に…かつては垂れ流しのメディアとか言われてたものが、いまものすごく特色をもったメディアに逆になったと思うんですよ」
立川談春「ボクらが入ったときにね、冗談じゃなくて、落語家になるっていうのはある意味ね、テレビに出ることを諦めた人がなる職業だったんですよ。落語っていうのは本当に古くて気持ち悪くてというイメージ。そう思ってる人たちが、大勢がみるテレビ番組をつくってた」
羽田圭介「昔の近代文学のころの文豪とかって、ひんしゅく買ってそれをキャラクターとして小説に昇華させるって人たちが多かったので、昔の文豪の役割を現代だとお笑い芸人さんとかがメインでやられてる。なんで、小説家もテレビとかでなんかやってひんしゅく買って、バカにされて、それを小説にするっていうのは、そういうことやってもいいのかなっていうふうに思ってやってます」
マツコ・デラックス「労働意欲なかったぐらいだから、余計に働いてんのよ。いまは、こんな自分を一番望んでくれたのがテレビの世界なので、テレビの世界にありがたいなと思ってやってる」
矢部浩之「義理人情だけや」
マツコ「ほぼそれ。だから逆に働けんのよね。労働したくてとか、対価がほしくてじゃなくて、楽しい人たちと一緒に仕事をさせてもらってるから」
(ダウンタウンへの手紙)
菅田将暉「『ガキ使』のはがきトークなどである、2人して笑う瞬間。自分でおもしろいと思うものを全力で、しかも即興で周囲を巻き込んでいくなかで、思わず耐え切れず2人して笑ってしまうあの瞬間、あれが堪らなく好きです。と同時に、あれをボクら素人がするとただの身内ネタになり、それこそサブく痛々しくなると思います。でもそれを、テレビでアリにしてしまうあたりが、すげぇなぁと思います」
ベッキー「ファンの皆様、世間の皆様をお騒がせしてしまったことを本当に申し訳なく思っています。1月に行った記者会見は、たくさんの間違いがありました。言葉を届けるお仕事をしているにもかかわらず、事実と違うことをお伝えしてしまって。本当に深く反省しています。人としても、プロとしても、本当に最低なことをしてしまいました。いろいろな方々を傷つけ、悲しませ、裏切ってしまい、本当に深く深く反省しています。お許しはいただけないと思うんですけれども、また、このテレビのお仕事を、ゼロから、マイナスから頑張らせていただきたいと思っています」
中居正広「だね」
出川哲朗「お母さんのほうの家系が、ボクの大叔父が日本経団連の会長ですよ。お葬式のときにそのときの総理大臣とかみんな来てましたからね。だからボクはテレビで裸になったりお尻出しても、なんか品が出ちゃう」
桂文珍「テレビは昔、神棚の横にあるみたいな。仏壇の横みたいな。崇めるみたいな。それがどんどんどんどん下に…。クラブなんか行ったらタイルの代わりになってるみたいな状態にまでなって。どんどん薄くなっていって、中身まで薄くなってんじゃないかと思って」
(ドラマ『それでも、生きてゆく』のオファーは何度か断った)
満島ひかり「やっぱどっかしら、その、映画なんかよりも衣装合わせとかも結構簡単にパパパッてすまされちゃう印象とか。役をみんなでつくる前に脚本がきて、撮って撮って撮っていかなきゃいけないのが怖くて。テレビドラマで、テレビにいっちゃうとまた、私は、なんか、自分をみてもらえなくなるんじゃないかなって怖さがあって。ちょっと、ごめんなさいって、なんか、言って。それでももう1回連絡がきて。でもそれでもごめんなさいって。そしたら、会いにきて、(脚本家の)坂元さんが『アナタができること以外ボクは想定していない』って言って、ちょっと手が震えてて、それみたときに、あぁ、私この人と仕事を…っていうか、この人と人生のなかで大きく関わらなきゃいけないと思って」
若槻千夏「MCのかたたちが、ちょっとおもしろがるじゃないですか、そういう(SNSで人気、みたいな)コたちを。もっと怒ってほしいんですよ。もっと厳しくしてほしい」
明石家さんま「ちがうって、アイツら芸人ちゃうからなぁ」
若槻「芸人さんではないんですけど、テレビに出る演者として、もっとちゃんとテレビの前で電波を通して、みなさんが電気代払ってくれてるわけですから、ちゃんと話し合いをしないといけない。わかりますか。スポンサーのかたたちも、そういうので制作費払ってんですよ。ちゃんと話さなきゃいけないんです、ゲストは。だけど、ちょっとチャラチャラして出てる人たちに対して、MCのかたたちがもうそれを良しとして、ニコニコしながら帰られるじゃないですか。なのでそれを、もうちょっと厳しく、『電視台』のようにしてほしいなって」
間寛平「でもそのコらのほうがオレらよりおもろいもん」
重盛さと美「お休みが好きなんです」
さんま「でも芸能界で忙しくなると引っ張りだこになって、休みなんかとられへんやんか、若いときって」
重盛「でもいっぱいテレビに休みなく出てるときに、そんなに幸せを感じなくて。逆に週休2日にしてから、どっちも幸せを感じれるようになった」
さんま「何してんねや休みの日」
重盛「家でニコニコしています」
黒柳徹子「森繁さんやなんかに仲良くしていただいたのはね、普通はもう大先輩、森光子さんも沢村貞子さんもみんな大先輩なんだけど、テレビっていうのから始めたときは、アタシはNHKでちゃんと教育を受けてテレビの、よーいドンってとこでおんなじ線から始まったから、それで森繁さんでもなんでも普通の態度で、いまで言うタメ口でお話しできたのね。あれテレビじゃなかったらできませんでしたよね、エラいかたたちなんですから」
満島ひかり「映画とか舞台で一緒だったら」
黒柳「できません」
藤田ニコル「モデルの仕事は詐欺れて、テレビって詐欺れないじゃないですか」
若林正恭「よくみえるってことでしょ、写真とかが」
藤田「だからこのへん(=斜め上)から撮ってほしいんですよ、テレビも。あと美白加工もしてくれたら最高」
園子温「(子どものころは)子ども番組とほぼおなじ感覚で、ヒッチコックとかトリュフォーとかベルイマンとかゴダールでもなんでもみてた。っていうかなんでもやってくれたの、当時のテレビは」
ムロツヨシ「21歳のときにムロツヨシという芸名で始めたんですけど、ボクが本名でやってたら、(4歳で別離した母親が)『アタシの子だ』ってなったら、新しい家族もいらっしゃったみたいなので、テレビとか出たら目障りだなと思ったんですよ。21歳のときはすぐテレビに出れると思ってたので、すぐ売れると思ってたもんで、お母さんにバレちゃうと思ったんですけど、そっから17,8年食ってけなかったわけですから、本名でもよかったじゃないかって」
ウエンツ瑛士「最近、私生活を結構切り売りしすぎじゃないですか、芸能人のかたが。どっちかっていうと、こっちから向こうに寄っててるのかなって。テレビに出てるとか何かをしてる自分を好きになってじゃなくて、私生活をみせてそこを好きになってもらうって…」
片桐はいり「テレビに出たいとは思ってなかったですね。舞台は、大学時代は舞台ぐらいはやって、思い出をつくってちゃんと就職しようと思ってました。けどなんか、テレビ出させていただいちゃったら、まぁあの…そのままの流れができてしまって、って感じです」
マツコ・デラックス「(視聴者プレゼントの)応募方法は最後までみないとみられないというのが、テレビの嫌なところです」
内山信二「大人になってくるとなかなか評価って難しいじゃないですか。テレビ出てもディレクターさんとか、終わった後に『よかったよ』とかみんな言うじゃないですか。でもホントなのかな?って思うんですよ。だからいつも評価はさんまさん(基準)でするんです」
男性「ネットの過剰な反応をメディア、テレビとか新聞、雑誌がとりあげることが、それを増幅している」
マツコ・デラックス「テレビ画面のフィルターってスゴいなって思う。アンタね、テレビでみるとちょっとエロくみえんのよ」
若林史江「へー、テレビってすげー」
篠原ともえ「どうして私に芸能界を目指してほしかったの?って(母に)たずねたら、母のふるさとが島なので、情報源がテレビぐらいしかなかったんですね。で、もし、自分の子どもがテレビに出るようになれば、おばあちゃんの手紙のかわりになるなって思ったんですって」
西川きよし「(選挙の)3ヶ月前からテレビは出たら駄目なんです。法律ではそんなのはないんですよ。でも、3ヶ月前から自粛しましょうという」
恵俊彰「情報番組の司会が来るという時点で、ちょっとおもしろいこと言おうとか、おもしろい空気つくろうとかって思っても、『わかりやすさを優先してください』とか、そういうリクエストが多いから、だんだん笑いだけが求められてるわけじゃないんだって思って、テレビで」
(ドッキリで落とし穴に落とされる流れ)
哀川翔「恐怖症になってんだよ最近。ダマサれてばっかりいるから。…このパターン、俺テレビでみたことある」
(『なんてったってアイドル』のころ)
黒柳徹子「あのころのアナタはかわいかったもんね。ホントにかわいかったね、髪の毛とかいろいろね」
小泉今日子「そうですね、遊んでましたね。どうせテレビに出て歌わせてもらうなら、みてる人をびっくりさせたり、楽しませたり、ちゃんとしたいっていうのがあって。チャレンジしてました」
女性「自分が大好きな一番誇りに思ってる仕事なんですか?」
マツコ・デラックス「今やっぱテレビの仕事はホントにやりがいもあるし嬉しいわよ。こうやってみんなに好きって言ってもらえるし。だってテレビの仕事してなかったら、こうやってアンタとも話してないわけじゃない?」
(ニコニコ動画の党首討論での炎上後。発言が慎重にみえる古市)
東野幸治「やっぱテレビって大変ですか?」
古市憲寿「テレビは大変じゃないですよ。ネットとかのほうが怖いなと思いました。ネットって守ってくれないんですよ。運営者のほうもテレビとはちょっとちがうし、反応はダイレクトに返ってくるし。逆にいまテレビのほうが自由なのかもしれないとも思いましたね。発言に関して。ネットの人のほうが批判にいつもさらされてるから保守的っていうか。テレビのほうがたぶん、自由に言えてる」
(林家木久扇の孫は学校でからかわれることもある。その孫に)
黒柳徹子「みんなに言ってあげて、あの黄色いのを着てるとき、テレビでやってる時はどんなにフザケたことを言っても、あれはお客さまに笑ってもらおうと思ってやってらっしゃることなんだから、本当のじいちゃんは2足す2が5なんて言わないよって。2足す2はいくつ?」
林家木久扇「わかりません」
オール巨人「だいたい劇場はおんなじネタをやるんですが、ただその劇場のネタはテレビではほとんどやらないっていうのがボクらのポリシーなんですね。テレビでやってしまうとね、不特定多数の方がみはるし、お金払うてきた場合は、『テレビでみた』となったら寂しいもんで」