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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第14章 青年期 日常編

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 間話「新たなる剣王の誕生」

 剣の聖地。
 当座の間。

 そこには三人の剣聖が片膝を付いていた。

 ニナ・ファリオン。
 ジノ・ブリッツ。
 エリス・グレイラット。

 彼らの前に、剣神ガル・ファリオンの姿があった。
 剣神はゆるりとした立ち姿で腰の剣に手をかけつつ、三人を睥睨する。
 ゆっくりと口を開いた。

「お前らの剣技は、すでに剣聖の域にない」

 その言葉にジノの肩が微かに震えた。

「そろそろ、ギレーヌに続く二人目の剣王を決めようと思う」

 ジノの目が見開かれた。
 拳がギュっと握られ、わなわなと震えた。
 歓喜の感情が体を支配しているのだ。
 彼は飛び上がって喜びたい気持ちを、ただひたすら抑えつけている。

 しかし、剣神の話はまだ続いている。

「その前に質問だ」
「……」
「お前らは、剣聖と、剣王と、剣帝の違いは何かわかるか?」
「……強さですか?」

 ぽつりと答えたのはニナだった。
 そんなもの、強さ以外に何があるのか、と全員の目が語っている。
 だが同時に彼らは理解していた。
 剣神が聞きたいのはその先。
 強さの元となるものであろうと。

 剣神はニナには応えず、逆に質問を返した。

「ニナよ。『光の太刀』を習得する前、お前の師匠はなんと言っていた?」

 ニナの師匠は剣神ガル・ファリオンではない。
 彼女に直接剣を教えたのはジノの父、剣帝ティモシー・ブリッツである。
 ニナは師の教えを思い出し、言葉を絞り出した。

「『お前は右利きであるがゆえ、左手を鍛えろ』と。左手一本で完璧に剣を操作出来るまでは、光の太刀は放てないと」
「そうだ。『光の太刀』は利き腕とは逆の腕が重要だ。なぜか分かるか?」
「利き腕に力が入れば、剣先が横にブレるからです」
「そう。全ての闘気をそこにつぎ込み、まっすぐ斬る。単純だが、これが『光の太刀』の極意だ」

 剣術というものは、動く相手を斬るものである。
 馬鹿正直に真正面から斬りかかっても、簡単に回避されるだけである。
 故に下から、横から、斜めからと、剣士は斬るための工夫として、様々な形で斬撃を放つ。

 しかし、初代剣神は違った。
 彼にそんなものは不要だった。
 ただ最速で剣を振り、あらゆるものを両断した。

「この極意ってやつには、剣神流の歴史が詰まっている」

 コンと、剣神が剣の柄を爪で叩いた。

「初代様がなんとなしにやってた事を、歴代の剣神が少しずつ解明して、ようやく行き着いたのが、今の剣神流だ。
 『光の太刀』の極意の解明、原理、その練習方法。
 行き着いてしまえば簡単な事だ。
 ちょっとでも才能のあるやつなら、誰にでも使えるようになった。
 剣神流が最強と呼ばれる時代の始まりだ。
 俺様たちは初代様と、初代様の技を解明した歴代剣神のお陰で、でかい顔が出来る」

 剣神は、コンと、もう一度、剣柄を指で叩いた。

「『光の太刀』は剣神流最高の技、他流派で言う所の『奥義』だ。
 その極意を習得したのに、優劣が出やがる。
 剣聖、剣王、剣帝、剣神……おかしな話だなぁ。同じ事をしてるだけなのに、強ぇ奴と弱ぇ奴がいやがるのはよぉ」

 剣神はそこで、ジノへと顔を向けた。

「その違いはなんだと思う? ジノ、答えてみろ」

 問われ、ジノは顔を上げる。
 その顔には不安が張り付いている。
 問いの答えがわからない。
 しかし、早く答えなければという焦燥が、彼に口を開かせた。

「ご、合理的に考えて、技以外の、足運びの巧みさや筋力、あるいは……ぶ、武器の優劣、でしょうか」
「武器だぁ!? お前、何年修行してんだ! 初級からやり直した方がいいんじゃねえのか!?」
「も、申し訳ありません!」

 剣神の怒鳴り声に、ジノは真っ青になって俯いた。

 ジノは「才能」と答えたかった。
 だが、剣神がその答えを望んでいない事は、ジノも重々に理解していた。
 そんな簡単な言葉で片付けてはいい話ではないはずだ。
 なにせ、才能の中身についての話をしているのだ。
 そんな事を言えば、本当にこの場から追い出されかねない。

「お前はまだガキだからわからねえか?
 まあいい。わからなくても強ぇ奴は強ぇからな。
 よし、じゃあ、ニナ、答えてみろ」
「…………」

 問われ、ニナは熟考する。
 今聞かれていることが、恐らく剣神と剣帝、そして剣王。
 自分たちと上との違いを指すのだ。
 彼らにあって、自分には足りないもの。
 そういえば、剣神と剣帝は全員、すでに伴侶がいる。
 自分が欲しいもの。彼氏? 夫?
 ジノの方をちらりとみる。
 彼は俯いている。
 その表情は実に悔しそうだ。
 ここ最近、ニナは年下の彼のことが気になって仕方がない。
 と、そこで剣神がよく口にする単語を思い出した。

「……『欲望』ですか?」
「ハッ、お前、最近なんか色気づいてきたな。さすが俺様の娘だ」

 剣神は、ニナの心の奥底を覗きこむように笑った。
 ニナは動じない。
 動じないような訓練を、続けてきた。

「『欲望』それも間違っちゃいねえ。けどじゃあ、お前の欲望ってなぁ、どこまで耐えられる?」
「耐える、ですか……?」
「例えばだ。ジノと結婚するのと、剣王になるのと、どっちか選べと言われたら、どっちを選ぶ?」

 結婚と言われ、ジノとニナの目線が絡んだ。
 ニナの頬に若干の紅がさした。

「……剣王を選びます」

 ジノとの結婚と剣王なら、自分は剣王を選ぶだろう。
 つまり、自分の欲望とは、その程度のものだ。
 ニナは自分が言葉を間違えた事に気付いた。

「相変わらず甘っちょろいな。じゃあエリス、お前はどうだ」
「覚悟よ」

 エリスは即答であった。
 何ら考える事なく、即答した。

「『覚悟』。そいつは違うな」

 剣神は、それを笑って否定する。
 だが、エリスは剣神を睨みつけるように、もう一度答えた。

「違わないわ。『覚悟』よ」

 この時、エリスの脳裏には、かつての光景がありありと浮かんでいた。
 オルステッドに胸を刺し貫かれる、ルーデウスの姿。
 無力を嘆く自分、崩れ落ちるルーデウス。

 あの時より、自分は強くなった。
 パワーもスピードも、数年前に比べれば段違いだ。
 しかし、オルステッドには勝てまい。
 この数年の修行で、エリスも自分の限界が見えた。
 恐らく、これからどれだけ修行しても、オルステッドの領域にはたどり着けまい。

 だが、ルーデウスと一緒なら。
 彼と一緒ならば、手は届くはずだ。
 魔術師(かれ)と、剣士(わたし)、二人でやるのだ。

 もし、私が刺し違えてでもオルステッドの足を止めれば、ルーデウスはやってくれる。
 ルーデウスが勝てれば、勝ちだ。
 もちろん、自分が死ぬが、ルーデウスは生き残る。
 そうすれば、きっとルーデウスと共に生きる未来はなくなる。
 だが、それでもいい。
 未来を考慮すれば腰が引ける。
 腰が引ければ剣が鈍る。
 剣が鈍れば、自分もルーデウスも、二人とも死ぬ。
 なら、死ぬのは自分だ。

 エリスは覚悟をしていた。

「じゃあ、剣王にはなれなくてもいいな?」
「別にどうでもいいわ」
「強くなりたいんじゃねえのか?」
「ええ。なりたいわ。でも呼び名なんてどうだっていいでしょ?」

 剣神は嬉しそうに呟いた。

「よし、エリスにニナ。お前たちの内、勝った方を剣王とする!」

 その言葉に、最年少のジノは静かに肩を落とした。


---


 エリスとニナ。
 二人は向かい合って立つ。

「……」

 互いの手に握られるのは木剣である。
 しかし、剣聖同士の技を持ってすれば、相手を絶命させるに容易い。

「初めて来た時の事を思い出すわね」
「そうね」

 二人の脳裏に浮かぶのは、数年前。
 エリスがギレーヌに連れられてやってきた時の事だ。
 魔獣のようなこの女に、ニナは屈辱を植え付けられた。
 他の剣聖や、ジノの見ている前で、無様に失禁させられたのだ。
 今思い出しても、顔を覆って転げまわりたくなる。

 だが、エリスに対する憎悪は無い。
 彼女のおかげで、自分は強くなれた。
 慢心をなくし、ひたむきに修行に打ち込めた。
 そう思えば、あの屈辱も糧となったと、そう自信を持って答えられる。

「今日は、私が勝つから」

 ニナがそう宣言した瞬間、エリスから殺気がほとばしった。
 だが、ニナはたじろぎもしない。
 悟りきった修行僧のような玲瓏たる表情にて、エリスを見つめる。

「…………ふん」

 次の瞬間、エリスの殺気がみるみるうちに消えていった。
 そして、ニナとは対照的な表情がエリスの顔に張り付く。
 笑みである。
 ニマニマと、気持ち悪い笑みが、エリスの顔に張り付いた。
 猛獣の笑みである。

 ニナはこの笑みに本能的な恐怖を覚えている。
 水王イゾルテとの鍛錬中、エリスとは何度も打ち合った。
 そして、負けた。
 無論、勝てる時もあった。
 だが敗北の記憶だけが、やけに頭に残っている。

「……」

 エリスは動かない。
 野獣の笑みを浮かべたまま、静止している。
 常に先手を取ろうとする彼女にしては、珍しいことに。

 ニナの脳裏に、カウンターの文字が思い浮かんだ。
 イゾルテとの戦いで何度ももらった、あのカウンターだ。
 エリスは、水神流の技を使えない。
 だが、北神流にもカウンターの技術はある。
 エリスは恐らく、それを狙っているのであろう。

「…………」

 場に沈黙が流れた。
 中段に構えるエリスと、上段に構えるニナ。
 一足一刀の間合いで静止する二人。
 無表情のニナ、笑みのエリス。
 不気味なオブジェのように、二人はただただ睨み合った。

 静止、それは先手必勝をモットーとする剣神流同士の戦いでは珍しい事である。

 ぴたりと静止した二人。
 それにため息をついたのは、何を隠そう剣神であった。

「いつまでお見合いしてんだ?」

 その言葉がきっかけとなった。

 動いたのはニナであった。
 彼女は鋭く踏み込んだ。
 何十万と繰り返してきた、剣神流の所作。
 極めて合理的な位置についた足は、爆発的なエネルギーを上半身へと送る。
 そのエネルギーはニナの体から発せられる闘気と融合。
 腕へと伝わり、そして剣に乗った。
 『光の太刀』。
 圧倒的な剣速を誇る剣が、上段より勢いよく振り下ろされる。

 完璧な技であった。
 誰がみても惚れぼれするような、完璧な『光の太刀』であった。

 だが。

「があぁっ!」

 ニナは腹にすさまじい衝撃をくらい、後ろへと吹っ飛んだ。
 道場の壁にたたきつけられ、ずるりと地面に座り込む。
 道着が破れ、よく鍛えられた腹が見えている。
 その腹に、ゆっくりと赤いミミズ腫れが走り始める。
 焼けるような痛みを感じる頃、剣神が宣言した。

「そこまで!」

 ニナは呆然とした顔でエリスを見た。
 額にびっしりと汗をかいたエリス。
 道着の肩がわずかに破けているが、それだけである。
 その顔には、すでに笑みは浮かんでいない。
 だが、その立ち姿は、勝者のそれであった。

「……くっ」

 何をされたのか、ニナは理解している。

 エリスは、ニナが動くとほぼ同時に踏み込んでいた。
 そして、上段のニナに対し、エリスは身を深く落としながら、横薙ぎの『光の太刀』を放ったのだ。

 だかわからない。
 それなら自分の方が先に届くはずである。
 先に動いたのはニナであり、剣速もエリスよりニナの方がわずかながら速く、しかも、もっとも剣速が上がる、上段からの振り下ろしでもある。
 ならば、わずかに頭を下げたとしても、エリスより先に自分の剣が届いてもおかしくない。
 だというのに、結果は相打ちにすらならなかった。
 なぜ自分はへたり、エリスは立っているのか。

「人を倒すのに、必要以上の力はいらないわ」

 エリスは静かにそう言った。
 その言葉の意味が、ニナにはわからなかった。

 エリスが使ったのは、北神流の技であった。
 本来ならあらゆる相手をオーバーキルする『光の太刀』。
 エリスはその威力を、速度に回したのだ。
 斬撃の威力を倒すに止め、その分だけ速く動かす。
 エリスはそうした闘気の配分を、北帝との鍛錬で学んだのだ。

 もっとも、そうして生まれる速度は、微々たるものである。
 大きく殺した威力に、釣り合わない速度。
 しかし、そんなわずかな速度の上昇は、髪の毛一本分の差を覆し、勝敗を決するのに十分であった。

「見事だエリス。お前に剣王の称号を授けよう」

 ニナはゆっくりと起き上がった。
 腹部に鈍痛を覚え、顔をしかめる。

(完全にやられた)

 木剣だから吹っ飛ぶだけで済んだが、真剣であればニナは内蔵をぶちまけただろう。
 光の太刀と言えば、胴体が真っ二つになってもおかしくないが、致死量には十分だ。
 対するエリスは、肩口を切り裂かれる程度にとどまったろう。
 完全に敗北である。

 ニナはため息をついて、その場に座り、背筋を伸ばした。
 全てにおいて負けた。
 先に動き、そして負けた。
 負けた。
 負け。
 ニナの胸のうちから、重く苦しいものがせり上がってきた。

「悔しいか、ニナ」
「はい」

 ニナの目からは、ボロボロと大粒の涙が流れていた。

「お前はまだ伸びる。精進しろ」
「はい、お父さん」

 ニナはその日、久しぶりに己の父を父と呼んだ。

「……」

 剣神はニナが泣き止むのを静かに待っていた。
 エリスもまた、口をへの字に曲げ、腕を組みながら、待っていた。


---


 ニナが泣き止むのを見届けて、剣神はエリスに対し、言った。

「エリス。お前に剣王の称号を授けたが、すでに教えることは何も無い。免許皆伝も授けよう」

 免許皆伝。
 その言葉を聞いて、ニナとジノは顔を見合わせた。
 二人の剣帝も、剣王ギレーヌも、もらえなかった称号。
 免許皆伝とは、そうしたものである。

「ついでに剣帝の称号を授けてもいいんだが……ただし、その場合は、ギレーヌと戦ってもらう事になる。もし一足飛びに剣神を名乗りたいなら、俺様を殺すんだな」

 どうする?
 と、剣神は己の刀に手を掛ける。
 エリスは首を振った。

「剣神なんてどうでもいいわ」
「だろうな……じゃあ、これからどうするつもりだ?」
「ひとまず、家族の所に帰るわ」

 エリスのまっすぐな瞳を見て、剣神は眩しさを覚えた。
 彼女は、彼がいつしか失ってしまったものを持っているように感じた。
 愚直に強くなる姿勢と、その目的を見失っていないなら。
 あるいはエリスなら。
 あの無敵のオルステッドを倒せるのではないか、そんな予感すらあった。

「来いエリス、剣王の証として、七本剣の内、一本を授ける」
「……はい」

 エリス・グレイラットの長い修業はその日、終わりを告げた。


---


 エリスと剣神が退出し、剣王称号授与式は終わった。
 残ったのは二人。
 ニナと、ジノである。

「……」
「……」

 二人はしばらく、黙って座っていた。
 二人の胸の内にあるのは、悔しさであり、羨望であった。
 だが、決してそれを口にも、そして顔にも出さなかった。

「……」

 二人どちらともなく立ち上がった。
 並んで歩き、当座の間の端に並べ置かれている木剣を手にした。


 ややして、当座の間から、カンカンと木刀の打ち合う音が聞こえてきた。
 それは、剣の聖地なら、どこにいても聞こえてくる音であった。
(続く)
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