So-net無料ブログ作成
検索選択

安倍晋三自民党総裁に期待します。

安倍晋三自民党総裁に期待します。
伊勢市神田久志本町の皇學館大学清水潔学長は平成24年4月29日、元首相で衆議院議員の安倍晋三氏(自由民主党)を講師に迎え、創立百三十周年・再興五十周年を記念した講演会を開きました。

 この日は九百人が参加し、安倍氏が「日本の未来 皇学館に望むこと」と題して1時間ほど講演されました。祖父の岸信介氏が同大学の第二代総長を務めるなど、自身と大学との縁や、資料を基に初代総長の吉田茂氏や、岸氏の大学への思いなどを披露し「同大学に期待することは、二人とも同じだったのではないか」と述べられました。

 健全な日本人の育成を目的として改正した教育基本法にも触れ、「道徳心を培う」や「郷土愛、愛国心を教える」など内容を説明し、教育の大切さを訴えたのでした。

 安倍氏は「この日本の国柄を守って精神の中心にあるのが、皇學館大学なんだろうなと思う。その意味においては、二十一世紀に皇學館大学の果たす役割や使命は重たい」とし、「皇學館大学が、教育において精神の支柱として、責任を果たしていくことを期待しています」と激励してくれました。

私は安倍晋三自民党総裁の岸信介先生から学んだことは多くあります。日本はアジアの一員、アジアを中心に考えなさい、とか1960年安保の締結の際、全学連の「安保反対」の大合唱は、意外に思われるかもしれませんが岸先生も「安保反対」の立場です。自主外交・自主防衛・自主憲法を持った主権国家日本を目指されていました。

しかし敗戦後15年も経ていながら復興が思うように進まない現状があり、吉田茂先生と同様、ここで自主防衛路線を展開すると、米ソ冷戦時代に於いて、自衛隊は米国の手先として遣われることは自明の理、ここは防衛よりも経済復興を重点的に置かれました。岸信介先生の最大の仕事は60年安保の締結でした。

昭和35年1月に全権団を率いて訪米した岸は、アイゼンハワー大統領と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意しました。

新条約の承認をめぐる国会審議は、安保廃棄を掲げる社会党の抵抗により紛糾しましたが、新条約案を強行採決することができましたが、国会外での全学連の安保闘争も次第に激化して行きました。

岸信介先生の暗い部分は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て、ヤクザの親分衆の会合に派遣したことでした。

そのことから錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光や関東尾津組組長・尾津喜之助ら全員が手を貸すことに合意ました。さらに3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請しました。ひとつは岸自身が昭和33年に組織した木村篤太郎率いる新日本協議会、右翼の連合体である全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会でした。これらの多くは仁侠系の右翼団体として残りました。

岸信介先生の言われた言葉に「座して国は守れない」ということがありました。我が国はまさに国難の中です。大規模災害に見舞われた国家が増税を実行したという前例はありません。増税ではなく減税すべきときに消費税増税を推し進めている野田首相、尖閣諸島や竹島問題でも無策のままです。尖閣諸島を守るには日中軍事衝突の覚悟も必要です。早期に尖閣諸島の基地化を進めるべきです。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。